「石浦昌之の哲学するタネ 第2回 自然哲学」

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OPテーマ いしうらまさゆき「Human Dragon」(2015年4枚目のアルバム『作りかけのうた』より)
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【オープニング】
夜も更けて日をまたぐ時刻になりましたが、皆さまいかがお過ごしでしょうか?オープニング「Human Dragon」という歌で始まりましたが、「日本初の出版社が運営するインターネット深夜放送・極北ラジオ」、先月に引き続き「石浦昌之の哲学するタネ」第2回目…ということで、私・いしうらまさゆきが哲学するための必要最小限の基本知識を「タネ」と呼びまして、混迷の時代にあって、答えのない問いに答えを求め続けるためのタネ蒔きをしようじゃないか、というのが、この番組のコンセプトです。先月の初回の放送は、極北ラジオの杉本チェアマンによれば、のべ300人の方にお聞きいただいたとのことで、大変嬉しく思っております。お便りも沢山頂いておりますのでご紹介したいと思います。

~お便り紹介~
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ジングル1
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【自然哲学の始まり】
前回の最後には、哲学は暇(スコレー)から生まれた、という話をしました。衣食住が満ち足りて暇になった人々が実用性と無関係な学問探求を始めた…これが哲学です。世界でもギリシア・ペルシア・インド・中国が哲学と呼べる学問が誕生した場所です。「日本に哲学なし」という中江兆民の痛烈な一言もありますが、現代に至るまで日本人も基本は日々食べていくことに精一杯で、学問をする余裕などなかった、ということです。古代ギリシアにおいて、暇になった市民たちは、理性(ロゴス[logos])に基づき、自然の中にある万物の根源(アルケー[arche])探求を始めます。これが哲学のはじまり、自然哲学です。前回の放送でソクラテスを取り上げると予告しましたが、すみません、今回は自然哲学者を紹介することにしたいと思っています。

自然哲学の祖でギリシア七賢人の1人、タレスは、「世界の万物は何からできているのか」というアルケー(万物の根源)を「水」だと考えました。万物は全て「水」から成っている、というのです。なにしろ「水」は液体(水)・固体(氷)・気体(水蒸気)の3側面をもっています。そしてまた、全ての動植物は「水」を必要とするからです。これを現代人なら荒唐無稽だと一笑に付すかもしれませんが、経験に基づいて合理的に突き詰めた結論である点が重要です。「机は何からできているのか」→「木からできている」→「木は何からできているのか」…とたどっていって、突き詰めた先が「水」だったのです。たとえ「万物は神が作った」といったとしても「神は何からできているか」という疑問は残るわけですから。

【教祖ピュタゴラスの哀しい死】
「三平方の定理」で有名なピュタゴラス(Pythagoras)[B.C.6C?]は皆さんご存知でしょうか。彼の考えたアルケー(万物の根源)は「数」です。数という超自然的原理で存在を説明するというピュタゴラスの発想が後にプラトンに受け継がれ、そのプラトニズム(プラトン主義)が西洋哲学、及びそこから派生した科学という思想の屋台骨となります。サモス島出身で南イタリアに移住したピュタゴラスは、「数」と「音楽(ムーシケー)[mousike]」(文芸の女神ムーサ[musa]に由来します)を崇拝する秘教結社・ピュタゴラス教団の教祖でした。学校現場では数学の教員に音楽に長けた人が多いような気がするのですが、実際数学と音楽には関連性があるのです。物理学に「音」という単元があることからもわかりますが、音楽は数学的に説明することが可能です。ピュタゴラスは、ピンと張った1弦琴の2分の1がオクターブであり、3分の2(五度)、4分の3(四度)の長さの弦を同時に弾くと、心地よい音を奏でることに気が付きます(1、2、3、4を足した「10」は完全な数字とみなされました)。そのことから、音楽における秩序・規則性が保たれた状態を「ハルモニア[harmonia]」と呼び、これが「ハーモニー[harmony]」の語源となりました。ちなみに、宇宙の7つの惑星の位置や軌道も、7弦琴の7つの音に調和してハーモニー(天体の音楽)を奏でている、と考えていたようです。さらに、音楽と感情にも関係があります。きれいなハーモニーを聴くと心(魂)が洗われるようですが、不協和音を聴くと、なんだか気持ちが悪くなります。つまり、心(魂)の秩序と宇宙(コスモス)の秩序は同じ数的秩序に基づく構造だということです。かなり斬新なことを言っています。私たちを感動させる音楽の美も、突き詰められば数学的比率の問題である…もちろん実際は音符を表現する楽器の特性や声の抑揚、演者の風貌など様々な要素が音楽の美的判断に関わってくるとは思いますが。

ところで先ほど「魂」という言葉を使いましたが、ピュタゴラスは魂の不死と輪廻を信じていました。不完全な肉体の牢獄に閉じ込められた魂は、肉体が滅びるとまた別の不完全な肉体の牢獄に閉じ込められてしまいます。そこで数を理解し、きれいなハーモニーの音楽を聴くことで、魂を清らかな神的世界に救い出し、輪廻から解脱することを目指したのです。これは元々、古代ギリシアの(ディオニュソス・)オルペウス教(ギリシアの伝説的詩人オルペウスを祖とする)の「ソーマ(肉体)は魂のセーマ(墓場)」という思想の影響ですが、これはピュタゴラスのみならず後述するソクラテス[B.C.470?-B.C.399?]やプラトン[B.C.427-B.C.347]に採用された点でも大変重要です。

ちなみにピュタゴラス教団に入団を認めてもらうのはなかなか困難だったようです。あるとき教団本部(ミロンの屋敷)は、入団を認められなかった者達に襲撃されて放火されてしまいます。数を崇拝し、いつも怪しげな音楽が聴こえてくる教団本部は少々不気味に思われていたのかもしれません。ピュタゴラス一同は逃げまどい、暴徒は追いかけます。結局、そら豆畑に辿り着きますが、教団にはそら豆を食べてはいけないという禁忌があったため、ピュタゴラスはここで観念しました。そうして住民により撲殺されてしまったということです。「三平方の定理」のピュタゴラスの哀しい最期です。

【万物は流転する】
「万物流転」(パンタ・レイ[panta rhei])。書の題材に選ばれることもある言葉ですが、これはプラトンが引用したヘラクレイトス(Heraclitus)[B.C.540?- ? ]の言葉です。万物は絶えず対立・変化し、万物を支える「ロゴス」(ヘラクレイトスがこの言葉を初めて用いました)が、世界を支えるアルケー(万物の根源)としての「火」に秩序を与えている…とヘラクレイトスは考えたのです。世界は火からできている、と言ったわけではなく、アルケーとしての火は生成変化の象徴である、というわけです。「同じ河に二度はいることは出来ない」という言葉は、鴨長明[1155-1216]の『方丈記』の冒頭「行く河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず」とちょっと似ています。後者は仏教の「無常感」に基づくものですが、ヘラクレイトスが言いたかったのは、世界を「AはBである」と同一性を規定することの困難さです。何しろ万物は流転します。例えば、暖をもたらす火は善であるかと思う一方で、火事をもたらす悪でもあり得る、ということです。これは「言語」というものの相対性を指摘してもいるのです。それにしても、変わらぬ固定的な実体などなく、万物は矛盾対立により生成変化する運動である…という発想の新しさには驚かされます。これは近代に入ってヘーゲル[1770-1831]が唱えた「弁証法」やニーチェの「永劫回帰」の思想の下敷きにもなっています。確かにこの世には固定的な自分も、人間関係も、自然現象も、いずれも存在しません。そこに在るのは絶えず続けられる運動であり相互作用であるといえるでしょう。

日本における縄文時代に、現代物理学に近い原子の定義を行った人もいます。デモクリトス(Democritus)[B.C.460?-B.C.370?]は「アトム[atom](原子)」をアルケー(万物の根源)だと考えました。「アトム」は「アトモス[atomos]」(それ以上分割できない、不可分な)を語源とする言葉です。宇宙にはアトム(原子)と、アトム(原子)が動き回る場である虚空間(ケノン[kenon])が存在します。無数のアトム(原子)が運動し、偶然的に結合することで万物は生まれるのです(ちなみに現代ではアトム(原子)より小さい素粒子、クォークとレプトンの存在が確認されています)。デモクリトスは徹底した唯物論者として、快楽主義者・エピクロス[B.C.341-B.C.270?]にも影響を与えました。存在論[ontology]における唯物論(マテリアリズム[materialism])とは、「精神[mind/spirit]よりも物質[matter]」を世界の根源だと考える立場です。土台は「物質」ですから、その土台の上で「精神」的に生み出された神などは信じない、という無神論の発想にもつながります。よって、唯物論者のマルクス[1818-1883]は無神論者でした。デモクリトスは世界の成り立ちについて透徹な唯物論を貫き、近代科学に先行する発想をもっていました。その一方で、人生の目的は明朗闊達さであり、魂が情動に乱されないのが幸福であるといっています。つまり人生の目的・価値について語るという、ソクラテス以来の哲学の萌芽もここに見られるのです。ちなみにここまで紹介した自然哲学者が現れたとき、日本は縄文時代でした。そんな時代に現代科学につながる発想をもった自然哲学者がいたことには、本当に驚かされます。
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~お便り紹介~
弾き語りコーナー:いしうらまさゆき「不安です」
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ジングル2
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【ソフィストの登場】
紀元前5世紀頃になると、あれほどまでに熱中したアルケー(万物の根源)探求に代わり、弁論術(レートリケー[rhetorike])が人々の関心事となります。その背景には、約50年間にわたり4回行われたペルシア戦争がありました。アケメネス朝ペルシアがギリシアの植民都市(イオニア地方)――自然哲学が発達していた地域――に侵攻し、平定した後にアテネと2度にわたって争ったのです。結果的にアテネを中心とするギリシアのポリス(都市国家)の勝利に終わり、アテネの黄金時代が始まりました。

アテネでは市民参加型の政治デモクラチア[demokratia]が行われます。「デモクラチア」は「民衆[demos]+権力・支配[kratia]」からなる言葉で、「デモクラシー[democracy](民主政治)」の語源となっています。アゴラ(広場)には多くの市民(成年男子)が集まり、アテネの民会では直接民主制が敷かれ、多数決が行われます。人々の関心はアルケー(万物の根源)を突き止める自然探求から、いかに他者を説得し、人々の暮らしを良くしていけるか…という点へと向かうようになるのです。これは換言すれば、人々の関心が「自然(フュシス〔ピュシス、フィシス〕[physis])」の法則から「人為(ノモス[nomos])」的な法律・制度へと移行したことを意味しています。「川の水は低い方へ流れる」という自然法則は「絶対的」であるのに対し、法律や制度はあくまで「相対的」です。法律は、ある国では違法であっても、別の国では合法になり得るのです。「人為(ノモス)」に絶対はない…となると、「いかにして人々を説得するか」が重要となってきます。これが弁論術(レートリケー)に人々の関心が移った理由です。「レートリケー」は効果的に説得する原理を説く学問、「レトリック[rhetoric](修辞学)」の語源となっています。

相対主義を前提にして市民から金を取って弁論術を教えていた職業教師がソフィスト[sophist]です。真理は相対的であるわけですから、正しくもあれば正しくないともいえる、つまり相手をいかに説得・論駁するか、が目的となるのです。嘘でも本当だと言いくるめる技術ですから、これはもっともらしい詭弁[sophism]です。そうした詭弁を弄するソフィストが「知者」と呼ばれていたのです(教育者としては確かに有能で、尊敬を集めていたことは間違いありません)。ここに詭弁の例を1つ挙げましょう。修辞学の祖とされるシラクサのコラックス(Corax of Syracuse)[B.C.5C]は、弟子のティシウス(Tisias)[B.C.5C]がいつまでたっても授業料を払わないので、裁判にかけることにしました。ティシウスは「もし自分が裁判に勝ったら、もちろん勝ったわけだから授業料は払わない」と言いました。その一方で「もし自分が裁判に勝てなかったら、弁論術の授業が無意味だったことになるわけだから、もちろん授業料は払わない」と言ってのけたのです。こう畳み掛けられては、ギャフンと言うほかないでしょう。

代表的なソフィストはプロタゴラス(Protagoras)[B.C.500?-B.C.430?]です。彼の「万物の尺度は人間である」という言葉は有名です。絶対的な基準・物差しはなく、人によりけり…真理は相対的であることを語っています。これは、あらゆる基準を個人の主観・感覚に求める人間中心主義的発想です。そもそもアテネで花開いたデモクラチア(民主政治)は相対主義を前提としています。現代のデモクラシー(民主政治)も同様です。「人それぞれ」であることが尊重された上で、多数決により意思決定を行うのです。となると、現代の民主主義社会における政治家はもちろんソフィストです。絶対的な真理など存在しないわけですから、いかに市民に嘘をマコトと信じ込ませて丸め込むか…いやいや、そこまであくらつ悪辣な政治家ばかりではないかもしれませんが。しかし人間の主観的な感覚に立脚している以上、客観的・普遍的な道徳がいずれ地に落ちてしまうことは明らかです。一部の個人の利害で人々を扇動し、共同体の秩序は乱れていき、衆愚政治という名の「愚か者たちの多数決」に堕してしまうのです。現代政治の様相もまさに衆愚政治といえる状況ですが、これはデモクラシー(民主政治)にはつきものです。そもそもデモクラシー(民主政治)は、私たちの知性や集団の中で生きる上での道徳心が担保されてこそ維持される…実はある種、危うい政治制度なのです。アテネとスパルタは紀元前431年から、27年にも及ぶペロポネソス戦争を繰り広げ、結局アテネは敗北し、ポリス(都市国家)は衰退します。アテネでは疫病の大流行までおこりました。デモクラチア(民主政治)を担保するはずの人心が荒廃し、乱世となってしまったその時…普遍の真理を探求するソクラテスが登場するのです。

さて、では最後にもう1曲音楽をかけたいと思います。ちなみに私のリリースした4枚のアルバムは全て、プロデューサー、アレンジャーの真下義伸さんと一緒に作っています。真下さんは先輩に当たるのですが、私が20歳頃からの付き合いですから、長いですね。どちらも音楽の虫と言いますか、似た音楽を聴いてきたこともあり、言葉にしなくてもやりたいことが通じるんです。私がギター、バンジョー、マンドリン、ベース、歌などを録音し、そこにさらに真下さんがドラムスやストリングスなどを加えて、音楽を作っていきます。今回このラジオのために、ファーストアルバム『蒼い蜜柑』に収録されている「抵抗Ⅱ」という曲のリミックス・ヴァージョンを作って頂きました。それではお聴き下さい。
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曲:いしうらまさゆき「抵抗Ⅱ―remix version―」(2011年1枚目のアルバム『蒼い蜜柑』より)
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【エンディング】
いかがでしたでしょうか?最後にお便りを紹介いたします。
~お便り紹介~

ではそろそろおしまいのお時間となりました。次回は満を持して、ソクラテスを取り上げる予定です。ちなみに本日の記事は明月堂書店ホームページ、そしてnoteというサービスを使ってアップロードしていますので、そちらも是非ご覧になってください。極北ラジオですが、近畿大学で教鞭をとられている社会学者竹村洋介さんの「夜をぶっとばせ!」もぜひチェックしていただければと思います。まだの方はアーカイブでも聞けますので、明月堂書店のHPならびに極北ラジオのHPをチェックしてみてください。

最後に恒例、新刊のお知らせです。金沢大学教授・哲学者の仲正昌樹さんの「FOOL on the SNS―センセイハ憂鬱デアル」、絶賛発売中です。続編が今年中に出る!?という噂も聞いております。「SNS言論空間の吹き溜まりを徘徊する〝末人論客〟に情け無用の真剣勝負!」を繰り広げる「FOOL on the SNS―センセイハ憂鬱デアル」、詳細は明月堂書店ホームページをごらんください。以上、明月堂書店の提供でお送りいたしました!また次回お会いしましょう!」

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markfolky

哲学するタネ

日本初の出版社が運営するインターネット深夜放送・極北ラジオからお届けする「石浦昌之の哲学するタネ」。 哲学するための必要最小限の基本知識を「タネ」と呼び、混迷の時代にあって、答えのない問いに答えを求め続けるためのタネ蒔きをしようじゃないか、というのが、この番組のコンセプトです。
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