見出し画像

グリーン・クリーン

以前、韓国で「緑色教会」という取り組みを見せていただいたことがあります。単独教会の取り組みではなく、キリスト教系の団体が環境美化や保護の実践を行っている教会を緑色教会として認定する運動。

活動内容は教会ごとに異なり、私が見せていただいたのは2教会でした。そのうち1つの教会では愛餐(お昼ごはんを食べながらの教会員同士の交流)で残飯を出さないことと、地域の家庭の太陽光発電化推進を教会が呼びかけて実践していた。

もう1つの教会の活動は、近隣の河川と地域の環境美化。教会の側を流れる漢江流域のゴミ拾いをして環境美化と生態系の観察を行うことが実践の大きな柱の1つ。もう1つは、教会と隣接する小学校との間にあった壁が人目を遮り治安を悪くしていたので、教会側から発案して壁を取り除き、教会と小学校との間に川から水を引いてビオトープ(人工池による生物棲息空間)を創り、小学生にも開放しているとのこと。自然環境の回復だけではなく、地域の治安改善にも貢献しているわけです。

私はキリスト者でありながら、教会が環境問題に積極的に取り組むということを考えたことも無かったので、多く学び、また大いに考えさせられるひと時でした。

とは言え、日本に戻り忙しい日常の中でもがいていると、その時の感動もいつの間にか遠のいてしまいます。そして以前通りの、環境問題は大切だと思いながらも積極的な行動は特に取らない、平凡(以下?)の一市民として生活を続けてきました。

しかし、以下のニュースをきっかけに、少し考えさせられました。

安倍首相、国連演説を断られる 9月の気候行動サミット(共同通信) - Yahoo!ニュース
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191129-00000008-kyodonews-soci

化石燃料の発電、選択肢として残しておきたい=梶山経産相(ロイター) - Yahoo!ニュース https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191203-00000041-reut-asia

最近、何かと失点続きの安倍政権。気候行動サミットや石炭火力発電所についても国連から叱られたからと、政府に対してやいのやいの批判も出てくるでしょう。しかし、それで終わりにしてしまう人がけっこう多いのではないでしょうか。「安倍首相吊し上げ祭り」をひとしきり楽しんでまた日常へ、みたいな雰囲気で。

現在の日本のエネルギー事情を考えれば、石炭火力への一時的な依存はやむを得ないのかもしれない。東日本大震災後の原発停止以降、電力が不足しているならば、他の供給源で一定期間はある程度支える必要があるでしょう。

また再生可能エネルギーの普及が遅れている原状で、原子力以外の代替エネルギーの比率を高めていくにはそれなりの時間がかかることが推測されます。だから、私はこれらのニュースの直後に政府のエネルギー政策を批判する気にはなりません。

しかし化石エネルギーへの依存は可能な限り短期間にしなくてはならない。ですから、経産省が記事中で語るように、政府が本当に再生可能エネルギーの導入・開発に本腰を上げるのか、市民として見守る必要があります。

でもどうしたらいいのか?先ずは関心を持つことでしょう。そして政治の世界の人たちが何も変えるつもりが無さそうなら、選挙でそういった人々や政党にNOを突きつける。あるいは共通の批判用ハッシュタグを付けてツイートするのもいいかもしれない。また3.11直後に実践できた冷暖房温度調整や、電力消費を抑える工夫を改めて思い出し、我慢強いお年寄りなどが極端に走らないように注意しつつ実行する。

長期政権にあぐらをかく政治家を嘲笑しながら、けっきょく何も変わらないと言うだけでは、本当に何も変わらないでしょう。経済界の言うことをよく聞く日本国政府は、熱さが喉元過ぎてしまえばコロリと「石炭火力が駄目なら原子力」と姿勢を変えかねません。

悔しければ、大事なことを忘れずに、自分に出来ることを実践しつづけていくしかない。地球を守ることが自分たちの生活を守るのだと、環境問題への関心を保ちながら。

以上、自戒を込めて。

※書き終わってから思ったこと。経産省と石炭火力発電所の建設業者が癒着していなければいいなあ。某元文科相と教育産業大手B社が怪しいように。

©Mark Skywalker, 2019.

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?