歌を歌うことについて(添削済み

こんにちは。多中です。

以下、前回投稿した記事の手直しです。

読みづらいなと思い、添削しました。 個人的に、どう直したかをいつでも見返せるように、前の投稿は消さずにそのままにしておきます。

既にご覧になった方はスルーしていただければと思います。

では。



今回の記事は、今まで取り上げたことのないジャンルについてです。

僕が子供の頃から好きなことを話します。

歌についてです。


目次


1、声を出すこと
2、好きなジャンル
3、ボイトレみたいな人生?




1、声を出すこと


まず、歌について話す前に、声を出すことについての考え方を述べます。

声を出すことが楽しいと感じる理由は2点あります。


1、口に出した言葉の意味が通ること

2、発声の仕方。音の鳴り方や、声色、音域


まず一つ目から話します。

人は考える時に、どういう風に考えるでしょうか。

多くの方が、自分の考えを音声として、独り言のように頭の中で話しているのではないかと思います。

なんらかの特殊能力を持っている人は、独り言のように音声で文字を組み立てる以外の思考方法をしているかもしれません。

 つまり、共感覚に色がついて見えるだとか、記憶力が凄まじく写真記憶や圧縮記憶でイメージがそのまま視覚的に映る、という方です。

しかし僕は、独り言のように、頭の中で声を出して考えます。

過去の記憶した場面を想起する場合など視覚的な思考ありますが、多くは、独り言を口に出さず呟いています。

言葉が脳内に流れることで僕は思考しており、その状況が僕は好きなのです。

しかしながら、脳内で考えていることが、声に出すことで意味が通じないことがあります。

口に出さず、考えに耽っているとワクワクするような素晴らしい考えに巡り合うことがあるでしょう。

ですが、そういう考えはいざ文字化すると陳腐になることも多いでしょう。

言葉は、抽象的な経験や知識を、視覚聴覚的な記号に置き換えたものであり、他者と交換可能なものです。

声に出すことは、思考上で抽象的なイメージに補完されたアイデアを、抽象イメージによって補われた部分を露わにします。

自分が言語化できるほどわかっているところと、曖昧なところをはっきりさせてくれるのです。

あなた方にも考えているうちはいい計画や筋に通った話だと思っていたことが、誰かに話してみるとメチャクチャで共感してもらえなかったことがある人がおられるでしょう。

これが思考を言語化する時に必ず起こることです。この壁を乗り越えて、頭の中のふわっとした考えを言語化していくのです。

僕はこの文字だけで表現した時に、うまく論理が繋がった時酷く心地よい気持ちがします。

また言葉の意味や音の響きに魅力を感じるところから、僕の読書の喜びにも広がっていきますが、それはまた別のお話。


この章で言いたいことは、声に出して考えを文章にしてみると楽しいということです。

しっかり意味が通る文章を作るのは意外と難しいですが、脳トレにもなりますので。


2、音楽のジャンル


 ここでは僕が声を出す際の楽しさの2点目(発声の仕方。音の鳴り方や、声色、音域)について触れていきます。

その前に。

私が好きな音楽にジャンルは、ボカロ、アニソン、ヴィジュアル系などです。アップテンポな歌謡曲も好きです。

私は詩より、曲調で気にいるタイプなので、全章で意味がどうとか言っておきながらアレですが、初めて歌を聴くときは言葉は韻が踏まれてるなあって思う程度で、そこまで意味を理解して聞き取れていません。

 そして音程が高い曲が好きです。中学生くらいから、女性が歌うアニソンを歌いたくてカラオケに通い詰めていました。また気にいる高い曲の多くはロック調だったりテンポが早かったりするので、そう言った点も練習していました。

 そう言った経緯から、いかにロック調だったり高い音程だったりを練習するために声の出し方を気にするようになっていきました。 

声を出す仕組みというのは、喉仏の奥にあるゴムのような二本の筋肉が振動することによって音が鳴り、その音を口の開け方などで整形して声にしています。

この二本の筋肉は声帯と呼ばれています。

声帯の振動数が少なくなれば音は低く、多くなれば高くなります。

私は高い声を出せるように練習をしました。

声帯を厚くしてみたり、固めてみたり、力んでみたり、逆に薄くしてみたりして一時期は、怪我しないように気をつけながら一日中叫んでいたこともあります。

そうやって練習したら気づけば音程だけなら、多くの曲を歌えるようになっていました。

しかし最近は高い声が出せても、声質がつぶれていて気持ち悪いのが問題点でした。

ですが最近は声帯を力ませずに、脱力させて、それで持って身体中に音の響きを広げて(音は振動なので)、大きく綺麗な、首を絞められて苦しがる声ではなく、真っ直ぐな声を出すコツを少しずつ感覚でわかってきた気がします。

高い声を出す時にいつも喉に力が入っていたのですが、それをなくす練習をしています。

満足いくようになれば録音して歌ってみたをアップロードしてみたいですね。

僕は以上のようにして、高い声を出すこと、声が身体中に響き渡る感覚、そのような意識を持ってうまく発声したり練習したりすること自体がとても楽しいのです。

皆さんもボイトレとまではいかないけれど、大声で叫んだらスッキリすることがあると思います。

僕は声を出すこと自体が、スッキリに繋がっているだけです。

ここで僕が言いたかった声を出す楽しさは、

・以前までできなかった発声の仕方ができるようになる

・声を出すこと自体

その二つです。


3、ボイトレみたいな人生?


ここまで書いてきましたが、僕は全然音楽については語っていません。

僕は「声を出す」ことと「歌う」ことが好きなだけで、音楽の造形は深くないし、人と語り合うほどの熱意があるわけではないです。

また僕は今までできなかったことができるようになることが好きです。

A4の音域が出なかった中学生時代から、カラオケに通い詰めたり独学でボイトレしたりして、E6の音域まで出せるようになりました。声の出し方も、だんだん上手くなり、大きな声を出しやすくなりました。

そうして今までしてきたことに満足し、次はどうしよう、まだ音域を伸ばそうとか今度は声量を増やそうとか、ワクワクしながら練習します。

このように他人から見たら価値のないかもしれない行為をひたすらに繰り返すことをたびたび僕はしている気がします。でもこれってみんな多かれ少なかれあると思います。人それぞれ他人には伝わらないこだわりが。

そのこだわりを、人生の空いた時間に費やせば費やすほど、その行為に対する能力は向上するはずです。自分にとって向上している気がしなくても、絶対に数年前より、何かしら伸びています。それは、能力的な何かに限らず、昔気づかなかったことが気付くようになるとか、そういう知識や判断の部分もそうです。

僕のボイトレの例で行けば、昔は高い曲をサビで叫ぶ時、力んで全力で歌っていました。けれどそうすると聞き手は歌っている僕を見て必死だな、と思うだけで、上手いとは思いません。

歌う時に脱力して、叫ばないけど叫ぶような声を整形する重要性をようやく最近知ったわけです。

これは僕が、人生必死で働くことが美徳だという幻想から解放され、労働が嫌ならやめればいいじゃない、と開き直ったことも、気づきにつながっているのではないかと思います。

人生の方向性というか、意識の改革が、成長するにつれ起こると、趣味に対する意識も変化します。

もしかすると、よくテレビなどで歌が上手い人は人生経験を積んでいる、みたいな評価をすることがありますが、歌の表現力を出す余裕、つまり脱力すること、頑張ることの愚かさを知るのには、年数が必要だ、みたいな昔ながらの経験則を言っているのかな、なんて愚行します。

今ではインターネットでいくらでも知識は得られるし動画で勉強できる時代なので、歳をとることが知識を得て考え方を変える時代ではなくなっているとは思います。

ですが、人の成長速度はそれぞれなので、大人になったな、と思った時、もしかすると趣味の技量も上がっているかもしれません。

そのタイミングというのは歳を実際に重ねた時か、別の分野の勉強をしてその分野の知識を蓄えた時か。

多くの場合があると思いますが結局は、いろいろ経験したり勉強することが、意外なところで自分の趣味を楽しむことにつながるということだと思います。

なので僕はこの先も歌ったり声を出したりし続けます。

バイバイ




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