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缶コーヒーの中身

画面越しに映る、高速道路や地下鉄の入り口。歓楽街に集う者たち。
昼間と夜間で、この街の景色は違う。

忙しそうに牛丼をかきこむ人、自らとつぶつぶのタピオカミルクティーを一緒に写真に残す人、狭そうな喫煙所で狭そうに煙をくぐらせる人。一眼レフカメラで、なにやら眺めている人もいるのかもしれない。いろんな人がいる。そう、いろんな人が。

全然関係のない話をしよう、わたしはこの話が大好きなんだ。
わたしは小さい頃、タピオカをカエルの卵だと本気で思っていたのだが、実際はキャッサバという芋の根や茎から加工して作られるもののことらしい。なんと!あれは芋の副産物だったのか!当時、驚嘆したのを覚えている。当時とは高校時代のことで、高校の頃、地理の授業で先生がそう言っていた。気がする。地理を受けたのは1年生の頃だけだったが、先生の授業で学んだことは「キャッサバ」だった。もちろん、その後地理の勉強はしていない。

夜になると、このキャッサバシティーはまた色を変える。忙しそうにしていた人々は腰を据え、口に各々の飲み物を運んでいく。ビールもよし、烏龍茶もよし、夜にコーヒーを飲んでも、別にいいだろう。
また、たくさんのネオンサインに電源がつく。それら一つ一つがうるさく主張しながら、もし何かをPhotoshop CC(※画像を加工するソフトのこと)ですり替えられても、何も思わないだろうというほどの、個々の主張のはずがかえって全てが同質化するというジレンマ。まあとにかく、うるさくて見たくはないのだ。
それから、午前0時を過ぎると、ゴミ収集車やコンビニに商品を運ぶトラックなどが目立つようになる。わたしが見ていた画面には、それらがひどく寂しく映されていた。
さしあたり昼間はモノクロ写真で、夜間はカラー現像した写真といったところか。

わたしはこの街が、果たしてどこにあるのかがわからない。
いや、街自体はあるのだろう、よく見れば、地名が書かれたいつもの青い道路標識や、おそらく誰もが知っているであろう、赤くて高さのある例の四角錐が見える。今は彼よりも高い丸型のやつも建設されているが、依然皆の中で、あの赤い鉄塔は象徴になっていることと思う。
そう、この街は絶対にあるし、わたしも絶対に訪れている。

しかし、この画面に映る、この街は一体なんだ?
わたしは頭を捻らせる。おそらく、この映像が意図的に印象操作をされた結果謎めいているわけでもない。この街に関するその他の映像を見ると、きまってこの感想を抱いてしまう。つまり、この街はなぜかその正体を隠しているように思うのだ。

地方の人間からすると、この街は彼らにとって憧れ、夢、あるいは繁栄の象徴として映る。例に漏れずわたしもそう思っている。
にもかかわらず、この街に住む者もこの街を見る者もこの街に憧れる者も、まるでこの街を説明できない。わたしもできない。

静まり返った街の中で、タクシーがずらりと並んでいる。家路を逃した人々を送り届けたあと、またこの「なにか」に戻ってきては、次の客を待つ。疲れているんだろうな、彼らは眠そうにタバコを吸う。運転に支障をきたすものかと、缶コーヒーももちろんセットだ。また、中には同業ということもあって世間話をする者たちの姿もある。あの会話が妙に気になるのは、わたしだけだろうか。

映像はさらに続く。
警察官がなにやら誰かと話している。未成年飲酒だろうか。泥酔した若者とそれを介抱する若者と、それを横目に酒を飲む若者と。これに関しては、この街特有の景色ではないだろう。大体誰しもが一度は目にする光景だ。そんなことを画面越しに思っていたら、警察官と目が合った気がした。
日夜市民の平和を守る彼らに幸あれ。

そして、ある時を境目に、何もなくなる。一体全体、どこへ行ったというのだ?
確かに彼らはそこにいた、確かにあの熱狂もあの喧騒も、ここにあった。しかし、何もなくなった。時折吹く強いビル風が、「いや、ちゃんと今もあるぞ」と教えてくれているようにも感じる。
満月のおかげもあってか、この街は夜も明るい。大気汚染と街灯のせいで、都市部は星が見えないなんて話はよく聞くが、星が見えるから幸せだとも、わーいやったーとも思わない。たぶんわたしにとっては、満天の星空は特別に映るから美しいのだ。向こうから見たら、この母なる大地も所詮その満天の一粒子でしかない。
そう考えると、わたしという存在はあってないようなものだ、そうだ、そうだな、「わたし」とは誤差なのだ。

画面を通してこの街を見ると、やはりこの街の本質もあってないようなものだも思う。先ほどわたしが、この街がどこにあるかわからなかったのも、おそらくそれが原因だ。まるで中身の空いた缶コーヒーのように、質量は確かにあるのに、喉に向けて缶を振ってみても、何も出てこない。あるのはずっしりとした、スチール缶という存在だけ。ユニークでありながら、それだけを面白いと思うことも、味わい深いと思うこともない。
「だからなんだ」という話ではあるかもしれない。

いや、わたしは何も、この街を否定したいわけではない。素晴らしい街だ、安全だし。そして、何も困らないからだ。人もいるし、電車もあるし、コンビニエンスストアもなんでその近距離に作ったんだというくらい、無数にある。かと思えば、スーパーもある。平々凡々たる豆もやしが40円。うん、高いな。やっぱり生活には困るかもしれない。

画面越しに見ていれば、わたしはこの街を神の視点で見ることができる。
イメージでいうと、観光地の航空写真と、自分の目で見たものは違うということだ。今、わたしはさしずめ最近流行りのドローンというわけだ。

午前3時ごろだろうか、あれはおそらく新聞配達の人だろうな。わたしは新聞を読まなくなってしまったが、新聞はいいものだ。何と言っても、あの週末限定のクロスワードコーナーがわたしは幼い頃好きだったのだ。

そんなことを考えているとふと、新聞配達の人がバイクを止めて、わたしに歩み寄ってきた。

「こんな夜更けにカメラなんか持って、何をしているんだい??」
男は不思議そうだった。

「いえ、ただの観光ですよ」

「観光……?それはまた、おかしなことだ。観光をするなら、お前さんみたいな若者は、昼間に浅草に行って、夜は渋谷に行くもんだ。ここは何もないだろう」

ここに何もないんじゃない、わたしにもこの男にも、ましてこの街には何もないんだ。
「とんでもない、そもそも何もないんですよ」

新聞配達の男は首を傾げた。
「お前さん、出身はどこなんだい?訛りもあまりないようだが」

「神奈川県ですよ。勝手にシンドバッドをしていた街です」

「ほほうなるほど。であるなら、どうしてこの街に観光にきたんだ?お前さんは来ようと思えばすぐここに来れるじゃないか。観光といえば、普通そんな言い方はしないだろう」

「いえ、観光が適切ですね。僕はただ、現実逃避をしたくてカメラを持っているだけですから」

やはり男は何かおかしなものを見つめる眼差しのままだが、遠くに見える無機質な街並みを眺めてから、ようやく何かを理解したようだった。
「そうかいそうかい。わたしも昔はそう思ったこともあるな。でもね、わたしはこうして新聞を運んでいるわけだが、新聞を届けるってことはだれにでもできる。お前さんにもできるだろう。ただね、わたしにしかできないことなんて求めるより、わたしが新聞配達をする理由を考える方が、きっと楽だし、その方がユーモラスだと思ったのさ。考えるのはタダだからね、コストパフォーマンスがいいんだ」
そう男は話すと、踵を返してバイクにまたがった。彼にはお礼と謝罪を言わねばなるまい。この男にはきちんとあったから。

映像は朝を迎える。
カメラには、動き出す鉄道、カラスの鳴き声、優しい太陽の出づるさまが詰め込まれていた。

映像は、そこで終わる。
カメラを置いて、自分の目でこの街を眺める。
そうさ、やはり自分とは誤差であって、あってないような、あのタクシーの運転手が道に捨てた缶コーヒーにほかならない。

目を背けようとして、キラキラ輝くこの街を映したかった。しかし、カメラを構えても、結局わたしには何もないことを自覚させられるばかりで、どんなときもわたしに必然性なんてない。
そんなわたしが必然性を求めるのも、なんとも傲慢な話だ。

はじめから何もなかった、だから、これから何かを紡ぐしかない。そう思ってカメラを持ってきたんだろう、こんな朝まで、ひたすら映像を回してきたんだろう。
何もないなら作ればいい。そうやってこの街は生まれてきた。たとえこの街にいるわたしが空っぽで、その集まりがこの街の正体だったとしても、確かにこの街はある。
そう、本質がなくても確かに質量がある。

それこそ、「だからなんだ」という話かもしれないな。

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※わかりやすく東京の情景と、この街を重ねて表現していますが、東京という都市を誹謗・中傷したいわけではありません。ご了承ください。

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