自分は なぜ Vtuber にハマらなかったのか

ここ一週間の密度はすごかった。いままで挑戦してこなかったイラストに取り掛かり、ビジネス文書以外の文章を長々と書くなんて経験のないことだし、Youtubeで生まれて初めてスパチャ投げた。なにもかもが一変してしまった感すらある。

そもそもなぜそんな事になったかと言うと、最近散々noteに書き散らしているように、VRアイドル「えのぐ」に出会ったからだ。なぜ出会ったのか、どんなところに惹かれたのかは前稿まででさんざん触れているので割愛するが、今まで自分がVtuber的なコンテンツに全く食指が伸びなかったのか、自分自身とても疑問に思ってしまった。あんなに巷で流行ってるのに。

そんなことをスポーツジムで運動している際、とりとめもなく考えていたところ、脳内に文章が降って湧いてきたので書いてみる。


1.色々原因を考えてみた。


①.流行ってるものが嫌い?

これはそう。メジャーなものはなんとなく苦手意識がある。
逆に、「知る人ぞ知る」とか「マニア垂涎の」とかいう言葉に弱い。

②.二次元が嫌い?

これは違う。ももいろクローバーZから入ってそれ以降3次元アイドルオタクとして数々の現場に通ってきたけど、自称「二次元寄りオタク」だと思っていた。自分の学生時代はギャルゲーの中にしかなかった。
(特に「天使のいない12月」は今でもおすすめなので是非!)

別にVtuberがアニメっぽい絵柄だからといってなんの偏見も持つはずもない。


③.Vtuberを観たことがない?

じつはそんなことは無い。Vtuber黎明期の「輝夜月」登場あたりまでは熱心に動画を追っていた記憶がある。ただ、それ以降のブームには全く興味がなく離れてしまった。

④.ゲーム実況動画に興味がない?

必ずしもそうではない。 「からすまAチャンネル」「RYU実況チャンネル」は結構見てる。ゲームに対するツッコミが鋭いのが好き。


2.一体何が原因??


二次元が嫌いでもなく、ゲーム実況動画が嫌いなわけでもなく、Vtuberも昔はそれなりに観てた。
ただ、上記の条件の場合、動画を全く観なかった場合がある。

それは、リアルタイム配信であった場合だ。

配信者が身の回りの話をだらっと話す。
配信者がゲームをプレイしているのをなんとなく見ている。
そういったものを観る、間延びした時間が非常に苦手だった。

対象が推しの3次元アイドル出会った場合も同じだった。
「配信」はほとんどと言っていいほど観なかったし興味が湧かなかった。


3.「筋書き」のない時間を過ごすのが嫌い


黎明期のVtuberの動画は、企画や動画のシナリオがあって、見せ場やオチが計算されて動画としてあったと記憶している。
また、自分が観ていたゲーム実況動画も、ゲームに対するツッコミという様式美があり、オチが計算されていた。

このことから、自分は「筋書きのない」「起承転結」に乏しい動画を観るのが苦手なんだなと気づいた。
類似したことで思い当たる節があるのは、昔から自分は「日常系アニメ」が大の苦手だった。「らき☆すた」から始まり「けいおん!」「ごちうさ」「ゆるキャン△」etcetc…ことごとく脱落して全話完走できていない。

なので、配信者が身の回りの話をとりとめもなく雑談する配信や、まるで友人が遊んでいるゲームを眺めているかのようなスタイルが多い(と自分は勝手に思い込んでいる)現在のVtuber界隈にはあまり興味が持てなかったのだったのだ。


4.リアルは「筋書き」なんてなく、


7 → 6 → 5 → 4 → 3 → 2 → 6 → 5 → 3 → 5 → 4

↑これは、自分が2013年の暮れから2020年2月24日の活動休止まで追い続けていたアイドル「Party Rockets」「Party Rockets GT」のメンバー変遷だ。
初期の頃からメンバー離脱が相次ぎ、その後も絶対的エース渡邉幸愛さんのメジャーアイドルグループへのメンバーの引き抜きや、裏切りに近いように思える事務所の身売りとメンバー引き抜き、その後も加入メンバーの卒業を経て最終的に4人となった。
当然悪いストーリーだけでなく、良いストーリーもあった。仙台の地元事務所から出発したグループは困難を乗り越え、渋谷WWW→新宿BLAZE→Zepp DiverCityでのライブ開催など、着実にステップアップしてファンを獲得していった。別れたメンバーとの邂逅もあった。さまざまなアイドルグループとの出会いもあった。

しかし、当然だが最初からそういった筋書きがあるわけではない。
彼女たちが歩んだ道のりの解釈によって、そういったストーリーができあがるのだ。

Vtuberにまったく興味がなかった自分が「えのぐ」に対して期待すること。
それは、「えのぐ」のメンバーとそのファンが描く道のりが、非常に困難に見えるけれども、その轍は「ストーリー」となって、忘れられない記憶として、自分たちの心に刻まれるだろうということだ。


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