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超人はどこにいるのか(『超人幻想 神化三六年』感想)

今作はアニメ「コンクリート・レボルティオ〜超人幻想」の前日譚にあたる物語、だそうである。だそうである、というのは、私がきちんと該当作を見ていないからである。

見ていなくても「二回目の東京オリンピック」「超人」というキーワードで引っかかる人はいるかもしれない。そう、この小説はタイムリープ系SFミステリなのだ。

主人公はテレビ局のディレクターで生放送中に侵入者に襲われたはずなのに、時間が巻き戻っている! という。これがただのタイムリープではない。「超人」という存在がおぼろげなものの過去と現在が交錯していくことで、人間ドラマが生まれる。

特撮であれ漫画やアニメであれ、誰しも一度はヒーローに憧れるだろう、そのヒーローに焦点の当て方を直接的ではなく、間接的に見せているのが、今作の特徴だと言える。伝聞されてきた「超人」という存在が、果たして本当にヒーローであったり、だれかの憧れる存在なのだろうか? その投げかけが巧みに行われている。

會川昇作品をそんなに触れているわけではないので、なんとも言えないけれど、たとえば仮面ライダーディケイドなんかは、ヒーローっぽくない仮面ライダーだし、そういう構想はずっと引き継がれて、「UN-GO」ができ、「コンレボ」ができたのだろう。その系譜を容易く引いてしまうのも、なんだか馬鹿にした話かもしれないけれど、そういうヒーローへの批判的な視点が、見ていて私は好きなんだと思う。

結局のところ。私たちはそれぞれの「超人」を願い、生きていく。その定義を、おのおの思い返すときがあってもいいのかもしれない。

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