感情の放出

泣くということは、よいことだ。
そして私は泣き虫だ。

先日とても悲しいことがあり、
noteにつらつら気持ちを書いて(下書きにして)
すっきりした気持ちになっていた。

でも、次の日私は大泣きしていた。
そのときの気持ち(相手に無理をさせて申し訳ない)は、絶対に嘘ではないはずだから、
私が本当に悲しかった気持ちは、noteに全然書けてなかった。

月刊自己肯定感のDr.ゆうすけさんのnoteで、

正しい感情を感じるようになってしまう

とあったが、
まさにそうだなと思った。
ひとりごとのように、感情のままにばばばっと書きなぐったnoteのはずなのに。

でも次の日、友達のおかげもあって、
ちゃんと泣けて自分の気持ちに気づけたから、
少し自己肯定感あがってるのかなと思った。

でも、その出来事は、連絡が頻繁すぎる、という苦情に対し、もう私はいらないってことかも、、と思ってしまって勝手に落ち込んでしまったので、
やっぱり自分は自己肯定感低めなんだなと思いしらされた。
悲しみの渦中にいたとき(相手の反応を待ってるとき)は全然気づかなかったけど。
大袈裟だけど、戻ってきてくれて、気づけた。
だだ、また否定されるのではと怖くなってしまって(出来事自体そんなことではないと気づいたはずなのに)、素直に甘えたい気持ちをぶつけることができなくなってしまい、振り出しに戻った感。
相手のことを考えずに気持ちをぶつけていて起きたことだから、自制できることは、いいことだけど。

人と付き合う、深いところまで向き合うって、自分の知らない自分を思い知らされて、難しいなぁ。
面白いけどね。

感情の放出のためのnote、重宝してます。
書きたいことが文章に追い付かなくて、いつも殴り書きからの下書き。
読んでくれて、ありがとうございます。
気が向いたら、出来事の起きた日に書いたnoteも公開しよう。