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舞踏を観てきた

【令和3年3月21日(日)「ジョン万流離譚」土佐清水市で初演‼】
https://www.shimizu-kankou.com/news/2357/

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麿赤兒率いる大駱駝艦のひとり田村一行によるジョン万次郎(中浜万次郎)の物語。これを物語といっていいものか、というとやや迷われる。時間の連続は断ち切られ、エピソードとエピソードが交錯しあい、意味が結実していく様が描かれていた。

万次郎は少年万次郎、遭難者万次郎、国際人万次郎といった多様な側面をもつ。生れは京から遠く隔つ中浜という漁村、そこの漁民のひとりに過ぎなかった。

彼を歴史的な人物にしたきっかけは鳥島でアメリカ捕鯨船によって救助を得たことに始まる。鳥島にいたのは土佐の海で漁船ごと遭難したことによる。この漁船に乗っていたそもそもを辿れば、彼の生まれた土地で奉公をしていたが、臼に小石を混ぜると脱穀が捗るということを見つけるも主人にこれが見つかって追い回されたことによっている。逃げのびた隣りの漁村で隠れていると一隻の船が寄港しているところで、これが土佐の中部にある宇佐の船で、これに懇願して乗せてもらうことになった、というのがきっかけだ。

こうした万次郎のエピソードはいつも数奇性、偶然性によっている。彼自身の野心によってその進路を決定していたのではなく、いつも窮地に機会を得てそれに巻き込まれる、あるいは自ら飛びこんでいくという側面が強い。

さて、こうしたことが舞踏として表現されるとき、時系列を解いて、連関を組み替えながらひとつのイメージへと統合し直していくという仕草が看てとれた。

万次郎らは生活資源の少ない鳥島で、アホウドリを食糧に捕まえて生き延びたのだが、このアホウドリが舞台では食糧としてだけではなく、万次郎の数奇性と重ね合わせになっている。そうしたことはアホウドリに限らない、海流に翻弄される船、釣り上げられるカツオといったイメージが重ねられていく。

冒頭に学生帽をかぶった少年が登場し、集団からはぐれた先で眠りにおちる(白塗りに学生姿というのは寺山修司を思い出す)。彼のみた夢として万次郎の物語が始まるのだが、最後、学生服の上に、夢の漂流者万次郎が着ていたボロの着物を着ている少年が現れる。

こうした重複がエピソードを通して意味化していく。居眠りをした学生帽の少年は修学旅行かなにかで万次郎が少年時代を送った土地に来ていたのだが、彼を探して2人の同級生? が現れる。見つけた少年のそばには万次郎が纏っていた着物がある。駆け付けた同級生はこのボロで半濡れになった着物をただボロで半濡れの汚い布として扱う。そこには万次郎譚を経由しなかった人の姿がある。

舞台終了後、2時間ほどのワークショップが開かれ参加した。

舞踏の所作、そのための身体イメージのもち方などのレクチャーを受けた。そのなかで田村一行氏が言っていたのは、自分の意思で表現しようと思うことなく、周囲の状況によって動かされ、表現させられるということだった。人の形をした水袋になり、砂袋になり、頭頂に糸が張られそれに引かれて立ち上がる、また崩れる。視線が集中していたら、その視線に動かされて踊る。……私の頭には「死に物狂いで突っ立つ死体」という土方巽の言葉を思い出されていた。

この舞踏の態度は本編の万次郎譚の構成に連動している。つまり、自分から何か野望を燃やして掛かるのではなく、数奇性に任せて翻弄され、乗りこなしていった万次郎の姿と重なってくるのだ。

レクチャーのなかで、難しかったのはイメージをもつことだった。糸に吊られるイメージはまだし易さがあったが、「なんでもいい大切なもの」はイメージが難しい。また水袋になったり、ピンポン玉が転がっているイメージというのは、それを肉体へと連動させていくことがうまくできずに苦戦し、固さ、ありありとイメージしそれになるということがうまくできない自分を発見した。うまくできないという認知は悔しさを生み、何が余計なのかという思考へといざなっていった。すこし禅にも近いものを感じたりなぞした。

とりあえず雑感ということで、この辺で筆をおく。

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