施設のお年寄りの皆さんには、いつも教えられています。
おはようございます、Martです。
ぼくの勤めている施設には、毎日何組かの面会者さんたちがやってきます。
もちろん、入所している親族や友人に会いに来る人たちです。
現在はパンデミックの影響で、直接お会いいただくことはできないのですが、それでも入所者さんたちの顔を見に、わざわざ訪れていただいてます。
私たちも出来るだけ近くでお会いいただけるように、いろいろ工夫はしているのですが、手を握るなど直接的な接触はできません。
コンピュータ越しにWEB面会のような状態か、もしくは施設の入口の大きなガラス窓越しの面会となります。
昨日訪れていただいた方は、市内に住むお父さんと息子さん。
入所されているお母さんのためにやってきました。
しかし、こちらの入所者さんはかなり重篤な状態で、彼らの来訪にもあまり反応は示せません。
大きな窓越しに、必死に呼びかける旦那さんと息子さんの声にも、残念ながら目を開くこともありませんでした。
ぼくもずっと見守っていたわけではないのですが、目頭が熱くなるのを禁じえませんでした。
面会に来た彼らは、一所懸命語りかけ、そして帰っていかれました。
残念ではありますが、これが現実であり、彼らもそれを受け止めざるを得ません。
お母さんの容態は特に切迫しているということはないので、恐らくこのままゆっくりと、そして確実に、お別れのときがやってくるのでしょう。
願わくば、手の一つも握ってもらいたかったのですが…。
実にもどかしい気持ちになりました。
この仕事につくことがなかったら、全く知らなかった世界です。
6月まではこういう気持ちになることなど殆どなかっただけに、いろいろ複雑ではありますが、今は知れたこと自体をありがたく、感謝しています。
その後、週一回所内にやってくる“音楽療法士”さんの仕事を取材することになりました。
痴呆が進んでいるお年寄りが昔よく聞いていた、歌っていたであろう歌を歌って、彼らの記憶を呼び起こし、簡単な楽器を使うことで手足の機能を少しでも維持しようと、必死に呼びかけ、一緒に歌ったりリズムを取ったりしてもらってます。
こちらも、心に残る一時でした。
確かにこれらの仕事は、決してお金になるお仕事ではありません。
また、この短い時間で彼らの症状が劇的に改善されるわけでもありません。
ただ、お年寄りたちの楽しそうな姿や、いきなり大きな声で歌いだしたり、涙を流し始めたりする姿をみていると、間違いなく「価値はある」と実感できました。
ぼくらは日頃、一人で生きていると思って生きていますが、決してそうではないんだな、と感じます。
面会に来ていたお父さんと息子さんにしても、音楽療法士さんにしても、そしてぼくにしても、あのお年寄りの素敵な笑顔から、何らかの勇気や生きるチカラをもらっているはずです。
そういう意味では、彼らも世の中に確実に影響力があるのです。
とりもなおさず、それが彼らの生きている証です。
一般社会ではぼくも“老体”と言われてましたが、ここにくるとまだまだ全然、若造なんだな〜と思い知らされます(*^^*)。
パンデミックが終わったら、みなさんもぜひお近くのお年寄りに会いに行ってはいかがでしょうか?
きっと、新しい感動や気づきを得られますよ!(^o^)
ではまた!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?