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「学ぶ」ということ

私は、学生時代、成績は良かった方だと思う。でも、「勉強そのもの」はつい最近まで嫌いだった。

「結局、学びと言ったって、【試験に受かるための記憶力】を試すに過ぎないじゃないか」と思っていた。学んだことが将来役に立つかどうかもわからないし。(というか、大部分は役に立っているかどうかも疑問)」しかし、勉強をサボったら、後々面倒くさいことになることもわかっていたため、学校の先生の指示に従って大人しく授業を聴き、予習復習をし、試験を受け・・・ということをやって来たのだ。【学びの楽しさ】なんて見つける余裕もなしに。

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その後、時が経って、少しずつ「学ぶ楽しさ」に気づくことができた。娘の大学進学がきっかけだった。私はそれまで、「大学で学んだことなんか将来何も役に立たない」と思っていた。自分自身は、とにかく実家を出たい、一人暮らしをしたいという理由で大学進学を選んだ(高卒での就職となると、地元の役所か地元企業に無理矢理ねじ込まれて、地元脱出が叶わなくなる危険を感じたため)。当時たまたま英語の成績が良かったというだけで、英文科があって家から通うことが難しい大学を選び、入学後すぐからの、「英語が自分に向いていないし、学んだことも社会に出て活かせない」という絶望感を引きずったまま卒業したという経緯があったので、大学での学びなんか必要ないと思っていた。こんなことだったら早く社会に出ておけば良かったと思ったこともあった。(もともとは、自分の大学選びの動機が不純だったからなのだけど・・・)

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しかし、人生はわからないものである。昨今の状況下で、娘の通う大学も対面授業と遠隔授業を交互に行うようになり、私も在宅勤務が増えて、大学の授業を聴く機会も増えた。驚いたことに(!)講義はわかりやすくて興味深い内容ばかりである。先生方も個性がはっきりしているのだが、「いかにも研究者!」という感じではなく、みんな気さくで優しい。この時代に学生をやりたかった、と思った。

このように思えるのも、必死になって受験勉強して、曲がりなりにも大学生というものを経験したからなのかな、と思う。

高校1年の時、社会の先生に言われた言葉を思い出す。

「君たちはこれから、【学び】という【点】をまず打たなきゃダメなんだ。【点】を打ち続ければ、それが【線】になり、【面】になる時が必ずくるんだよ」

・・・その時が、ちょうど今なのかな。

今、思わぬ形でアカデミックな場に居合わせることが出来るということに心から感謝している。また、講義を聴いて感銘を受ける感受性が、知らぬ間に自分自身の中で育っていたことが本当に嬉しいのだ。

「人生に無駄はない」んだな、と、つくづく思う。









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