成人式考

阿部美哉の「比較宗教学」は、取っ付きは悪いが我慢して読んでみると面白いことが書いてある。例えば祭りに関する部分だが、文章通りではないが、私の勝手な解釈で書くと、祭りというのは前半の形式張った式典と後半の乱痴気騒ぎも含めて祝宴とで成り立っているというのだ。これがあって初めて皆が一つに繋がり、神や仏ともつながるというのだ。

なる程、そう言われれば、見聞きする神社の祭りでは、はだか祭等異様な天下の奇祭と呼ばれる物はいくらでもある、式典の後の振る舞い酒など宴の部分はあたりまえにある。更に、結婚式も葬式もそういう風にできているし、拡大して考えると会社などの各種行事にもそういう形式はいくらでも思い出す。同窓会等は、逆に宴会が主な目的なのに、いらん挨拶が必ず幾つもある。

そこで、成人式を考える。数十年前の自分の時を思い出すと、市が提供してくれたのは前半の式典だけ、後半は私的に勝手に幼馴染とは関係のない最近の友達などと飲みに行ったのを覚えている。折角の幼馴染との再会も今ひとつ盛り上がらないまますぐ終わってしまった。昨今、新成人の一部が舞台にまで上がって大暴れすることがニュースなどで時々取り上げられ問題視されているが、さきほどの宗教学の流れで考えれば大騒ぎを提供していない市町村のほうがルール違反であり、収まらないのは当然なのではないか。禁止ばかりしていないで、はだか祭まで行かずとも何か若者が熱狂できる大騒ぎを式典の後に提案してあげれば、収まるのではないか。それに幼馴染も、偉そうに演説していた来賓たちもいっしょに参加して大騒ぎすれば、皆のつながりも深まるというものだ。

なんてね。

この記事が参加している募集

最近の学び

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?