「Endless SHOCK 私的観劇記録」

今年はEndless SHOCKが4月〜5月開催ということで、
ここまでの私の個人的な観劇記録を忘れないように書いておこうと思います。(あんまり関係ないけどね!)

先に言っておくとあくまでも自分の為の記録なので、
な〜んの参考にもなりません!笑
(不幸にもたどり着いちゃった人のために、一応変更点やレビューなども書いておきますね…)

2007年

記念すべき初観劇年です。
当時14歳、ただの生意気な中学生だった私にとっては「帝国劇場」まで出かけること自体が「めっちゃ自分大人じゃん〜!」ってテンションあがっていました!

ちなみに私の母方の曽祖父・曽祖母が一応俳優、女優夫婦でして…
とはいっても曽祖父は森繁久弥さんの劇団に入り、帝劇に立ったり広告に出たりして何とかやっていたレベル…。

ひいおじいちゃんは周りから「森繁さんに顔が似ている」と言われていたらしく、森繁さんに公私ともにお世話になっていたそうです。
急に呼び出されて、障子の張替えしに行ったり、
ヨットに乗るのに便乗したりしていたそうです。

今でも先輩が後輩を食べさせるみたいなのがあると思うんですけど、
それですね、それで生き延びてたんだと思います、多分。

ひいおばあちゃんの方はちょうど森光子さんと同世代ぐらいだったので、たまーにその当時のことを教えてくれましたね。
(それこそもうその時にはもちろん森さんは大スターだったので、ほんとたまたま同世代っていうぐらいのレベルです)

そんな家系で育ったので、昔から「帝劇」「ミュージカル」というものがどんなものなのか自体は知っていました。
母親自身もどちらかというとミーハーなので、観に行くことを許してくれたんだろうと思います。

Endless SHOCKがスタートしたのが2005年なので、内容を大きく変えてから2年目のタイミングですね。
いきなり二階席上がってきたから、「えーーー!!」ってびっくりして鳥肌が立ったのを覚えています。
「なんか、え、光る棒みたいなの出てきたけど、なんだぁ〜??」って思ってたら(アホの子)
「こんな綺麗な人がいるんだな〜〜!」って思いました。

当時の私は自分で自分のことを「頭いい」と思っていたので、
「まぁ大体のことは頭で考えれば分かるだろ〜」っていうめちゃくちゃ冷めてました。(嫌だ、そんな中坊)
でも、一瞬でそんな自分はどこかに行ってしまって…!
自分でもこんなに自分が心動くものが世の中にまだあったんだ!っていう驚きでした。
こんな若い時に『本物』に触れる機会を持てて、
すごく幸せなことだったなと思います。

生田斗真さんがライバルっていう貴重な年でした。
(今や売れっ子俳優だもんね…)

*2月17日で通算434公演、動員数80万人を突破。
*ラダーフライングでは2階席に着地する初演出が加わった。


2008年

通っていたのが中高一貫校だったのですが、
一応内部進学のテストあるので遊んでいるわけにも行かず、
行けませんでした…。
自分の中でも一応そこは線を引いてまずは勉強するべきかなっていう想いがあったので。
(「勉強もしないのにSHOCK観るなよ、自分」っていう気持ち)

*出演者・スタッフ一同が第33回菊田一夫演劇大賞を受賞。


2009年

2年ぶりのSHOCK観劇!
この時からなぜか二日目観劇が定着しまして…(笑)
平日だったので制服で観に行きました。
ちなみに私の学校は中学は赤リボンで可愛いのに、
高校はグレーリボンで通称「お葬式」だったので、
「テンション下がる、誰だこのリボンにしたのは!?」って思ってました。(今から考えるとノーブルな感じにしたかったんだろうって分かります、ごめんなさい)

そしてこの年は帝劇のステージ(舞台機構)を間近で見られて、
「私が普段見ている体育館と違うー!!」ってびっくりしたことを覚えています。
今考えたら、そりゃそうです、どこと比べてるねん!!って感じですけど。

当時はほんと普通の高校生だったので、
「ステージ(?)=体育館」っていう発想でいたんでしょう。

そして何より前に行けば行くほどステージを見上げるようになるんだな〜!っていうのが新しい発見でした。
殺陣のシーンの時は、普通に上から「落ちてくるんじゃないか」って思ってすごく怖かったです(笑)
落ちてきたらどうしようってマジで思ってた…
生身のこっちが死ぬんだけどって思ってた(そんな訳ないから安心して!)

当時通路を駆け抜けてきて舞台に上がるっていう演出があって、
それがめちゃくちゃかっこよかったんですよ!!(他にもあったよね?)

階段みたいなのがちゃんとあるわけではないので、ただほんと足引っ掛けて登っているので、それだけで「わ〜〜」って思ってました(ちょろいな)
あと階段落ちを間近で見ると、自分がそれを表現する言葉をいかに持ってないかって思い知らされるな…って感じました。
多分この舞台を観たことがある方は分かるかと思うのですが、落ちた後もずっと叫んでて(多分痛くて)、
一回一回ほんとに命を削ってるんだな…と思いました。

*3月12日夜公演で『屋根の上のバイオリン弾き』で森繁久彌が19年かけて樹立した単独主演公演回数の記録を23年ぶりに塗り替えた。
(8年5か月という帝劇史上最速のスピード!)
*植草克秀がこの年に初めてオーナー役で出演。
*新曲「Yes,My Dream」


2010年

この年に始めて「SOLITARY」が登場。
エロい、エロいと全わたしが大騒ぎ…(笑)
(いや、ストーリーは!?)

写真集はもちろん学校帰り帝劇まで買いに行きましたよ〜!
(数ヶ月前から少しずつお小遣い貯めるっていう気合いの入れよう…笑)
ドキュメント番組が放送されたことで初めて「舞台俳優・演出家」という一面を知った人が多くて、それがなんだか嬉しかったですね。

*初めての夏期公演の実施
*10周年記念の写真集『DOCUMENT.』が劇場限定で発売。
*2010年8月18日ドキュメント特番『堂本光一とSHOCKの10年』が放送。

2011年

東日本大震災の影響で公演自体が途中で中止に。
高校卒業の年だったので、卒業式が延期になって色々不安だったのをすごく覚えています。
その後大学入学して本格的に演劇を学問として学び始めたので、毎日好きなことを学べて大学行くのが楽しくて仕方がなかったなー!
それと同時に震災という大きな出来事の前で、「演劇やエンターテインメントが何ができるんだろう」ってことを考えなければいけないなと思っていました。世の中的にも「何でそんな意味のないことを?」という風当たりが強かったですね…。

*帝国劇場開場100周年記念公演。


2012年

植草さんオーナー&沙也加さんリカっていう超豪華年。
しかも内くんライバル!
この時ジャニーさんと勝利君来てたし、
ちょっとした伝説の事件起こってた回としてめっちゃ覚えている(笑)
(この時ぐらいから「ジャニーズ大丈夫か?」ってなった気が……いや何でもないです)

やたら公演数が多くて、なんとかここで回数かせぎにいきたい!!!という東宝さんとジャニーズの厚き意思という名のハイプレッシャー年でしたね。
初めての博多座での公演(わざわざ改装してまで…)ということで、世間的に「なんか舞台やってるらしいよ」ぐらいのテンションだったのが少しずつここから変わってきたかなと思います。(…そう思いたい!)

*初の地方公演として博多座での公演が実現。
*新曲「Higher」


2013年

岸くん登板年。
この年ぐらいから全体的に少し風味がマイルドに…??
(…伝われ)
そこはやっぱり初めて女性オーナーが起用されたことが大きい気がします。どうしても男性オーナーだとコウイチと「対決」という感じになってしまいますが、女性オーナーになったことで「見守る」という要素が加わった印象です。
それによってコウイチというキャラクターも、以前の何でもできちゃうスーパーヒーロー的な側面ではなく、葛藤を抱える一人の人間としての側面がクローズアップされるようになった気がします。

そしてあの岸くんがSHOCKに!!
ジャニーズ好きの中では知られている存在でしたけど、世間的にはどちらかというと地味な印象だった岸くんを選んだのはさすがだなと思います。
(地味というと悪く聞こえるかもだけど、どちらかというと地道にコツコツ積み上げていく「職人タイプ」、「努力型」の人間かなと)
今やもう「岸先生」ですもん…
(サラリーマンからジャニーズに入ったんでしょ、っていういじりめっちゃ好き)

*初・女性オーナーとして前田美波里が起用。
*大阪・梅田芸術劇場で初めて公演。
*新曲「DEAD or ALIVE」「夢幻(むげん)」


2014年

初めて梅田まで観劇しに行った年。
(就職で忙しくなるからしばらく見納めの意味で)
この辺全然覚えてないです!ごめんなさい!笑

*「CONTINUE」が9年ぶりにリニューアル。
*10月26日の夜公演で日本の単独主演ミュージカルの上演回数で1位となる。


2015年

就職で引っ越し&大学卒業でバタバタしてて行けなかった…!
事故が起こったというのをワイドショーのニュースで知ったぐらいでした。
(本当に評判とか信頼を積み上げていくのは大変で、悪いことが広がるのはすごく早いんだな…って思いました)
舞台上のメッセージ通り、「続ける」っていう決断は正しかったと思います。

*新曲「Dancing On Broadway」「Missing Heart」
*3月19日の昼公演中に2枚のLEDパネルが倒れ、出演者5人とスタッフ1人が負傷する事故が発生。


2016年

行ったみたいなんだけど(チケットあったんだけど)
残念ながら全っっく覚えてない…。
内容というより行ったことすら覚えていないレベル(笑)
この時は仕事がとにかく忙しくて…すっぽり記憶ないです…。


2017年

この年は、初観劇から10年ということでとっても印象深い年でしたね。
久々内くんがライバル役だったんですけど、もう前回とは比較できないぐらいに演技力が向上していてそこがとっても印象に残っています。
背が高くてシュッとした見た目に反して、繊細な内面を持ってる…みたいな繊細な部分を演じるのがめちゃくちゃ上手くなってて、どれだけこれまで努力してきたんだろうって思いました。

そして光一さんはヴィジュアルが一番安定していた!!!!
髪型とDancing On Broadwayのあの衣装!!!!(うるせぇ)

急に初めて見たときのことを思い出して振り返ればそれが私にとって全ての始まりだったな~というのと、その前の辛い苦しい毎日を思い出してめっちゃ号泣してしまいました…

振り返ると9.11のテロがあって、
当時私の父親は海外にいて
ニュース映像を見て「大変なことが起こっている」と思ったあの時、
(「お父さんがどこにいるのか分からないままもう日本に帰ってこられないかもしれない」って思ってとても怖かった)

その後本当に自分の家族が今まで以上にバラバラになって、
もう昔のようには戻れないと悩んでいたあの時、

トラウマを抱えていた私だったけど、
「SHOCK」に出会ったことで自分の人生は大きく変わったな、
今までの苦しい、辛い、惨め、みたいな気持ちは無駄じゃなかったかも、と
初めて思うことができました。

問題になった記事展もしっかり行きました!
展示自体はすごく良かったと思います!
が、やっぱりノートとか置いたらアカンのよ…(笑)
(ルールを守れない一部の人の為に辞めるなんて嫌なんだけど、
そういう人達がまだまだいるのが事実なので…)

*2017年3月31日の千秋楽公演で通算公演1500回達成。
(初演から16年5か月)
*「読売新聞・報知新聞『SHOCK』記事展 2000〜2017」が開催。


2018年

一番荒れていたような??
普通に体調悪い??感じがしました。
声が出てない(忘れてる…?)
音声トラブルもありで、全体的に「ん?」って思った年でした。
本当に安定安心実績のふぉ~ゆ~がいてくれて良かったなと思いました。

*メインキャストを含め、アンサンブルキャスト、ダンサーも半数が入れ替わった新カンパニーでの公演。


2019年

光一さんがいよいよ「40歳」という節目を迎えて、
「とにかく派手で驚かせる、アイドル堂本光一がやっているSHOCK」から、
「オリジナルミュージカルをずっと牽引してきた1人の演出家・舞台俳優堂本光一としてのSHOCK」に大きく舵を切った印象を受けました。

前年の「ん?」が何だったんだろうって思うぐらい良きでしたね~!
この年もDVD出して欲しい。

「誰に何をいわれても、とりあえずここまでやってきたぞっていう1人の男の矜持」みたいなものを感じました。

この時、2009年と全く同じ日に行って、わーってはしゃいでいた自分のことを思い出すとともに、まだまだこの人は自分に求められているものを何とか全うしよう、その為に努力しようとし続けているんだな~と思ったら、勝手に感情移入して泣いてしまった…。
(やっぱ20代後半になると涙腺が弱くなるんでしょうか…!笑)

確かこの時ジャニーさんとHiHi Jetsが来ていて、
この時まだジャニーさん元気だったんですよね…。

後付けでしかないけど、
『もう自分に教えれることは教えつくした、
あとは自分たちで頑張れ』って感じで
亡くなったようにしか思えないタイミング…。

*3月31日公演で森光子以来となる史上2人目、単独主演1700回を達成。
*オーケストラピットや一部演出を変更。
*新曲「Memory of Skyscrapers」


2020年

コロナがニュースになり始めたかなー??ぐらいの時期。
ギリギリでコロナの影響を逃れて観劇できました。
いつまでコロナ続くかわからないし、
もしかしたら最後の「階段落ち」かも…って当時は思ってました。
でももう年齢的には階段落ちはもはや心配になるから辞めてほしいな、
っていう気持ちもあるから複雑ですね。
ちょっとしたことが事故や怪我につながる、
特にSHOCKはほんと数秒狂ったら危ないレベルに緻密な舞台だと思うので、無理せず…と思います。

ってかみんな普通に「階段落ち」って言葉を使ってるけど、本来は階段は上るか降りるかなのよ!!落ちたらだめなのよ!(笑)
特にやっぱ40歳以降は特に気を付けてほしいですね…

*ジャニー喜多川が「エターナルプロデューサー」に変更。
*ライバル役に上田竜也が初抜擢。
*3月22日、インスタライブ生配信を実施。


2021年〜2022年

コロナ禍で初めてのSHOCK。
「Endless SHOCK -Eternal-」(通称、短縮営業SHOCK)
翌年も同じくなのでまとめちゃいました。
「あぁ、こういう描き方もあるんだなー」っていう風に思いました。

やはりコロナの影響がとんでもなく大きかったはずで…

前提として感染予防のためどうしても密着しなければいけない「階段落ち」は省かないといけない、
階段落ちの後は自力では立ち上がれない状態にまでなるので、
それがコロナ禍だとできない(どうしても密着することになる)
そういう環境でスタッフ1人でもかかったら、
すぐにキャストまで感染拡大してしまう可能性が高いし、
そこのリスクは流石に大きすぎるという判断だったのかなと思います。

そして何よりまず時間を短縮しなければいけない。
その為には…
・衣装替えや出ハケはなるべく少なくしなきゃいけない。
・各出演者稽古時間も考えるとそれほど大幅な変更はできない…
っていうめちゃくちゃ高度なことをやらないといけないってことだったんだろうな〜と思います。

それに絶対に感染者を出してはいけないっていうプレッシャーもある。

の中でこのクオリティはよくやった!と思います(上からww)
両方何度も見て深く考察したいやつです!

…以上!
記憶違い&間違いもあると思うけど!
またSHOCKに関しては別に考察記事書きたいな!

今年のSHOCKも
もう少しで始まりますね…
個人的に乃木坂が好きなので、ヒロインに決まったの嬉しい…。
(乃木坂ヲタがSHOCKを観るという熱き展開が生まれたりしますか??)

でも身長高いですけど大丈夫ですかね??笑
何なら同じぐらいの身長だけど…
(ん??)

あと「ヒロインと親子ぐらい離れているけど別にそれは〜」って
ラジオで言ってましたが、
それがもうすごいおじさんだな〜って思ってしまいました。
多分聴いてた全員が、
「いや、そんな訳ない!」ってツッコミしたと思うので。
さすがに20代と同じな訳ない、ほんとに、もう。


転売ヤーはマジでどっか行けっていう気持ちがあるのと、
(その他、騒ぐ奴は一体どうしました??っていう気持ちもあります)
とにかくルール守って観劇する方が不快になる様なことがなければいいなと願っています。
あと病気とか怪我とか誰もしませんように!
無事に完遂できますように!


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