微笑みの国・タイから成り上がる鍼灸師フットボーラー。栗山鈴央の手記

海外でプロサッカー選手になることを目指してる若いヤツが、プロなろにはわんさかいる。14,000人のSNSフォロワーと、1600人のLINEユーザー、そして、千葉・幕張でトレーニングに励む「プロなろFC」の選手たち。

彼らの人生は面白いな〜と思ってるから、まとめてみようと思う。


微笑みの国・タイから成り上がる鍼灸師フットボーラー。栗山鈴央(編集:丸山龍也)

栗山鈴央(くりやま・れお)大阪市出身。1996年生まれ。
名門高校で燃え尽きたサッカーへの情熱だが、再びチャレンジする気持ちが湧き、プロなろFCへ入団。その後、大怪我を乗り越え、東南アジア・タイでプロ契約を勝ち取る。ストイックかつ元気印がウリのストライカー。

小学校の俺は2つのサッカーチームに所属していた。
学校の部活と、住んでいる街の隣の市で一番強いチームに所属し、両方のチームでエースとしてプレー。同時に市選抜でも中心選手として活躍していた。

そして中学に進むと、俺は大阪の強豪の千里丘FCに入団する。

入団してすぐはBチームだった。
今までずっとエースとして試合に出ていたが初めての全国レベルを実感した。

しかし、Bチームだった俺はトレセンに受けに行くことはできなかったが、チャンスが巡ってきて追加選考会に参加できることになった。

当初トレセンに入れなかった悔しさをぶつけるごとく俺は大活躍。そして上位5名に入り、大阪府トレセンの最終選考に受ける事になった。

そこには同じチームのスタメンがずらりと並んでいたが、俺は合格した。そこからチームでのパフォーマンスも調子をあげていき、夏に背番号が決まる直前の試合で10番が欠席、代わりに10番を背負ってスタメンで出場することになった。そこで10番は俺がつけることになった。

中学2年の頃は関西トレセンに入った。今となれば関西トレセンのメンバーはJリーガーばかり。当時は余裕でJリーガーになれると思い込んでいた。


それは勘違いではなく、中学3年になるとトップチームでさらに活躍した。

夏には、ガンバ大阪ジュニアユース(井手口陽介、鎌田大地、林瑞樹などが所属)に敗れるも、ヴィッセル神戸ジュニアユースに勝ち、関西3位で全国大会に出場することになった。

本戦では柏レイソルジュニアユース(会津雄生などが所属)にボコボコにされサッカーの厳しさを味わったが、チームは冬の大会に向け再始動となり、気持ちを切り替えて頑張るつもりだった。


しかし、突如始まったのは、原因不明の謎の吐気に悩まされる日々。

普段は通常だがピッチに立った瞬間に吐気が襲いかかってきまともにサッカーできる状況じゃなかった。

スタメンからも外され、チームは大阪予選で敗れ中学サッカーは引退となった。落ちこぼれまともにサッカーできない自分に腹が立ち完全にサッカーから離れる生活を送っていた。


立正大淞南へ進学。

高校では全国高校選手権ベスト4経験がある島根県の立正大淞南高校に入学した。

当時の俺はすっかりサッカーが嫌いになっていて、高校ではサッカーを辞めようと思っていたが、もう一度全国大会に行き、次こそ優勝したいという想いが募り、サッカーを続けることにした。

しかし全国からすごい選手が集まってくるチームで、俺は時々トップチームに参加するだけ。試合には全く絡めず、高3の夏最後の年が始まる。



選手権で日本一だけを目指してきた

冬までAチームとBチームを行き来するような選手でしかなかった俺は、時々Aチームの試合に出場するも結果は残せなかった。

チームは島根県大会を優勝し、全国大会に出場を決定するが、その予選メンバーの中に俺の名前は無かった。



俺は頑張るという言葉が嫌いだ。なぜなら自分が決めた道に頑張るも頑張らないもないと思っているから。


何事にも自分が決めた道は力を抜いた事がない。

故に、全国大会までの期間までの少ない時間をとにかく結果だけを求めた。

週に3日ほど紅白戦があるのだが俺はメンバー発表までの紅白戦で全ての試合でゴールを決め、全力を尽くした。
結果、高校最後のメンバーリストには、俺の名前があった。

同学年に部員は50人以上いた。その半分以上は応援にまわる事になる。
俺達は日本一の応援団と呼ばれ団結力があることで有名だったが、彼らも悔しい気持ちは絶対にある。
外れた仲間と、活躍することを誓い合った。

チームは本線までに士気をあげ、活躍を誓った仲間のため、自分もコンディションを上げていく。

大会直前には地元・大阪への遠征があった。
その練習試合で、俺は裏のスペースに抜け出しチャンスを作ったが、シュートを打ったと同時に態勢を崩した。


「ポキッ」と足首が鳴り完全に骨折したとすぐわかった。


「折れたー」と叫んだ。






外れたメンバーに申し訳ない気持ちでいっぱいだった。だが個人的には悔しいなどの感情は全くなくこれが人生かと思い私は応援に回った。チームはベスト8で敗退し目標は叶わなかった。


高校で燃え尽きサッカーから離れることに。

進路は大学ではなく、鍼灸の専門学校に進むことにした。

うちは裕福ではないので、3年間勉強をし国家資格を取りお金持ちになろうと思い描いていた。

ただ、専門学校だが部活動があったのでサッカー部に入部する。

部活はレベルがそこまで高くないものの熱いやつらの集まりで本気でサッカーをすることができ、専門学校の全国大会にも出場することができた。

ただ、国家試験は簡単ではない。
今まで勉強は欠点を取らない程度でしかしたことがなかったが、初めて本気で勉強に取り組んだ。

勉強には打ち込んでいたが、同時に就職先はどこにしようか迷っている日々だった。

そんな中、国家試験直前にJ3のトライアウトのニュースをみる。
毎日勉強をしていてまともに身体を動かしていなかったが興味が湧き、受けに行くことにした。

結果は不合格だったが、ここで俺はサッカー熱が再燃した。

そして卒業後にサッカーをしようと決めた。サッカーをする為に絶対に合格してやろうというモチベーションで毎日15時間以上勉強し、無事国家試験に合格し鍼灸師になることもできた。鍼灸師初のプロサッカー選手となり俺は鍼灸師もサッカーも2つで成功することを誓った。



プロなろとの出会い

どこでサッカーをしようかと考えて色々サッカーチームなどを調べていた。するとSNSで翌年度から始まるプロなろFCという場所を見つけた。

そこは海外でプロを目指す人を幕張でサポートしてくれて、練習場所だけでなく、仕事凱旋など様々な面で素晴らしいところだった。

指導者には元Jリーガーの方の指導だと書いてあり物凄く興味をもった。スタッフにはTV番組「激レアさんを連れてきた。」に出演した丸山龍也さんの名前があった。ここに入団する事を即決した。


2018年の4月にチームが始動した。千葉と東京を拠点にしているプロなろFCは週3回の練習と週2回でプロなろFCと提携している社会人チームでの活動があり非常に充実した毎日だった。

海外経験のある元JFLの選手や高卒で来る選手や、大学生で卒業後に海外渡航を目指す選手など様々な選手がいた。

全員が目指す場所はプロという高いレベルなので練習から激しくなることは当たり前でレベルの高い練習ができた。

社会人チームには元Jリーガーや元タイプレミアリーガーなどトップレベルの選手が在籍しており今までに経験したことのないレベルでのサッカーに取り組めモチベーションを高くしていた。


非常に新鮮な時間だった。


サッカーの練習は朝にあるので午後からは東京で鍼灸師として働いていた。

鍼灸治療をしたり、患者様と一緒に体幹トレーニングをして指導したりしていたので患者様との距離は近くサッカーで海外挑戦することを沢山の人が応援してくれ凄く励みになった。

一緒に働いていたスタッフの皆さんも海外挑戦する俺を凄く応援してくれた。


そして丸山さんと話をして夏にアジアに渡航する話が着々と進んでいて、社会人チームではスタメンとしてゴールを量産していて調子は良かったのだが、とある試合でゴールキーパーと接触する。

その瞬間は少し痛いくらいだったがそのまま試合に出場し続け5分くらいが経つと違和感を感じ走れなくなっていった。




試合が終わる頃には歩けなくなり病院に行き診察してもらうと半月板を損傷していることが分かった。




俺はまた人生の分岐点で怪我をしてしまう。

治療に専念するため、大阪に帰り手術を受ける。それからはリハビリ生活に専念した。丸山さんからはことある度に連絡をくれ、モチベーションを保ち続けさせてくれた。

10月にタイのトライアウトの話が来た。11月の末にタイに行くことに決まり手術から4ヶ月でプロテストを受ける事になった。


11月になりタイに到着した。初めて受けるトライアウトは誰でも受けれるオープンテストだった。

そこにはサッカーをした事の無いような素人同然の選手からアフリカ人、アジア人など色々な選手が200人以上いた。

そして30分1本勝負が行われていき、俺の出番は結局8試合目くらいだった。

いつ呼ばれるかわからない状況で4時間くらい待ち、いきなり名前を呼ばれ試合に出場。まともにパスが回せないようなレベルで活躍はできず不合格になった。

そこで

・海外での難しさ

・自分は助っ人外国人になる立場で圧倒的なプレーができないといけないという難しさ

・タイサッカーの難しさ

・アマチュアがプロになるという難しさ


を沢山味わった。

3チーム目に参加したトライアウトは、チームの活動に参加する形だった。
練習試合で2ゴールを挙げ、オーナーからはうちに来て欲しいと言われ入団が内定する。

「来週にも試合があるから来て欲しい」

と言われた。

翌週に再び参加すると、そこには初めて来るアフリカ人が来ていた。


そしてその試合でも俺は活躍。
内定ももらっているし、入団できると思っていたが監督からエージェントに伝えられたのは不合格だった。

そして初参加の誰かもわからないアフリカ人が合格した。

後から聞く話によると、監督が個人で選手を呼び裏でお金を貰っていたと言う。

悔しさの連続

初のプロチーム入団だと思ったので、非常に悔しかった。

しかし切り替えて行った次のチームでは、参加する段階で日本人を獲りたいと監督に言われており、練習試合でも活躍したのでスタッフからチームに来て欲しいと言われた。

しかし、翌週に連絡すると言われ待っていたが連絡は来ない。

気になってエージェントに連絡を取ってもらい、こちらから事情を聞いたところ「オーナーがあまり見ていなかった」
と言われ不合格となったことが発覚した。

焦りが募る中、移籍期間が閉じるギリギリで、なんとか最後1チームに参加し、契約してもらうことができた。

そこには日本人がもともと所属していたためにチームは日本人への理解があったのだが、それはとても大切なことだと身にしみてわかった。

自分は「外国人」だということ。

そして日本の常識は世界では常識ではないということ。

言葉の壁の部分や、言葉がなくても色々な表現で通じること。

日本代表の選手のインタビューでもよく聞くが、下ネタは世界共通だということ(笑) 


これらは自分が世界に出てみないとわからないことばかりで、始めて実感できることばかりだった。




これから海外に行く選手に伝えたいこと

まだこちらでは思うような結果は残せていないが、もっと上を目指して外国人助っ人に見合った結果を求め続けたいと思っている。


海外に挑戦したいと考えている人は沢山いると思うが、まずは行動する事が一番大切だ。



俺はタイからもっと高いレベルを目指し挑戦していく。
鍼灸師初のプロサッカー選手として、鍼灸業界や医療業界の刺激になるべく、貪欲に前に進んでいこうと思う。

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あとがき

栗山選手、いやレオは本当にストイックな選手です。
プロなろFCをこれから立ち上げるという段階で、レオは大阪から東京に引越してきてトレーニングする決断をしてくれました。


周りの選手の刺激になるような姿勢でトレーニングに取り組み、活動黎明期の僕たちを助けてもくれた存在です。

そんな中、半月板損傷の大怪我。
膝が痛む中、なんとか手術なしでトレーニングできる道も模索しましたが、結局手術に。

当時はネパールやスリランカにレオを送り込もうと思ってました。
しかし、手術となれば移籍期間と合わず、その話はおじゃんに。

手術をしてからもメンタルを落とさず、よく話をして、タイにチャレンジすることを決めました。


僕自身も気が気ではなかったので、別仕事の都合と合わせ、彼のタイでのチャレンジも見に行きました。

給料未払い、理不尽な解雇、全く違うサッカー感、東南アジアでのフットボールは思った以上に辛い日々です。


栗山選手も苦しい日々が続いてることです。本人は明るいですが、想像以上に厳しい毎日なのは僕はよく知っています。(本人にはすっとぼけてますが)

もしこの記事にサポートしていただけた場合は、その全額を彼の今後のチャレンジに向けた費用として、タイに送金するつもりです。(サポートのところ、俺の個人的な想い書いてるけど、この記事からのサポートはすべて栗山選手の活動費用に回します)


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丸山 龍也

ゆとり世代フットボーラーのサッカーばなし

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