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人生は制限があるミニゲームだと思う

「自陣ではフリータッチ、敵陣では2タッチ以内でプレー、トップの選手に当ててからじゃないとシュート禁止」
そういう制限の練習が、実は好きだ。

好きだということと同時に、実はオフザピッチで大切にしていることに繋がってくる。

今日、とある動画メディアの取材を受けながら、自分が常に意識していることを、久しぶりに言葉にしたなと思った。



置かれた状況は、ゲームの設定でしかない。

金持ちなことも才能だし、貧乏であることも才能だ。

それぞれに長所があるし、それぞれの状況でないと体験できないことは無数にある。
ただ、金の有る無しで言えば、当然振られていくステータスに差は出るから、無い物ねだりをすると、隣の芝は青いっすよねって話になっちゃうんだけど、実は等しく成長の機会は与えられている。


だから、貧乏だろうが金持ちだろうが、案外本気でやればゴールに差は生まれない。多分それは色々なサッカー選手が証明しているから、今さら語る話ではないだろうけど、ひとつだけ例を出してみると、

ファヴェーラ(スラム街)出身のアドリアーノも、
都会で不自由なく育てられたカカーも、
ブラジル代表の歴史では同じぐらいのスーパースターだ。


アドリアーノは足りないものを追い求めて、カカーは持っているものを十分に活かして成功した。
と同時に、アドリアーノは持っている武器を全部使っただろうし、カカーは自分の理想像を常に追いかけていたに違いない。

どちらも満たされていたし、どちらも不十分だった。
共通してるのは、きっと置かれた状況で、全力で頑張ったのだろう…と想像できること。

今、天から与えられた環境は、人生というゲームの設定でしかなくて、そのゲームは必ず全クリできるはずなのだ。




日本人はハングリーにはなれない

「ただでさえ実力のない自分が、ブラジル人みたいなハングリー精神を持ててないのに、どうやってプロになれるっていうんだ」

高校生の頃、こんなことで悩んでた時があった。

今なら笑い話だけど、自分に才能がないことは明白で、才能がない割に貪欲でもない毎日に、自己嫌悪する日々。

なんとなくブラジルに行きたいなとは思ってたけど、今のまま行けば現地のヤツの熱量に圧倒される気がして、隅っこで小さくなってしまう自分が脳裏に浮かぶ。


そんなとき、恩師から言われた一言は、頭のモヤをすべて消し去った。


「俺たち日本人は、どうやったってアイツらみたいに貧乏になれないんだから、逆にガンガン金使って上手くなるしかないだろ」


そうだなと思った。

ブラジル人が何キロも歩いてトレーニングに通うからって、俺がそうする必要はまったくなくて、バイクでも車でも何でも使って、サッカー以外のストレスを減らす努力をすればいい。

ボロボロのボールをずっと使うことがストイックではなく、練習にたくさんボールが必要なら、お小遣いで何球でもボールを買えばいいと思った。


逆に、日本人の中では貧しい部類に入る瞬間もある。
家族のサポート、親の仕事、母親の余裕、与えられた物、住んでいる場所…
自分より恵まれた選手も、吐いて捨てるほどいた。

だけど、親から毎月何万円も渡される選手を羨む必要がなく、バイトしながらサッカーしなきゃいけない毎日なら、それはそれで全力でやることが必要だと思っていた。




そう思うことはポジティブなのか?

マズイ飯しか出てこないスリランカでは、大量のふりかけで飯を喉に流し込んだ。

リトアニア時代は貧乏すぎて、塩パスタしか食えなかった時期があったけど、プロテインを摂取するために頭を使った。
考えて調べて動いて試した結果、一番安く蛋白質を摂れるのは、1ユーロで売ってるひまわりの種だった。

俺はハム太郎のごとくひまわりの種をかじり続けた。


怪我したときは、怪我した時なりにできるプレーを考えたし、競る相手が190cmなら、ボールに触ることより、相手のバランスを崩すことを考える。

俺の方が脚が速いなら、その日はスピードスターみたくプレーするし、サブに回れば声をたくさん出した。


そういう自分を見て、
「ポジティブだね」って声をかけてくる人がいる。

悪い気持ちはしないけど、そうなのかな?と疑問に思う毎日。

置かれた状況の中でしか行動はできないわけで、ポジティブかどうかは関係がない。

マサラタウンでオーキド博士に
「ほら!3匹から好きなのを選べ!」
と言われれば、ゼニガメかヒトカゲかフシギダネしか選択肢はないわけで、色々考えてヒトカゲを選んだ自分に

「丸山くんはポジティブだよね」
と声をかけてるのと同じですよ?って感じ。それ以外に特にできることはない。




ってのは仕事や社会でも一緒なのではないだろうか。

トレーニングメニューで2タッチしかできない制限を設けられた時、

「なんだよドリブルできねえのかよ、早くフリータッチにならないかな」

みたいなことを言う人がいる。
し、気分によっては俺も言う時はある。(ここ大事)


ただ、それは気持ちの良いことなのだろうか。


置かれた状況の中で全力でやる人は信用できるし、加えてどの状況でもパフォーマンスを発揮することが可能なら、きっとその人は純粋に能力が高いと思う。
パフォーマンスが発揮できていなくても、近い将来に力を発揮できるようになる可能性があるのは、愚痴や文句をつぶやく方ではなく、全力で取り組んでる方だ。


これは仕事でも一緒だと思う。

予算がない、人が足りない、スキルがない、経験がない。
仕事をしてて、無いものは無数にあるし、加えて自信がないとかやる気がないとか、そういうパーソナルな部分も掛け合わさって、ないものリストはどんどん増えていく。

その上、
「こうじゃなきゃいけない」という理想論を押し付けられたり、
「○○しか可能性はない」と解決法を一つに絞られたり、
「これじゃ絶対に無理」とやりもしないのに結論を急がれることばかりで、少なくとも9割以上のサラリーマンは苦しい顔をするか、諦めている顔をするか、その2つのパターンに収まっていると思う。(※俺調べ)


でも思い出してほしい。


置かれた状況は、ゲームの設定でしか無いのだ。

言い換えると、
持っているリソースで、そのゲームは十分にクリアできる可能性がある。


間違っちゃいけないのは、手持ちのリソースで何でもすぐにできる・・・ということではない。
ヒトカゲだけで四天王は倒せないので、ピカチュウとかギャラドスとかカビゴンとかラプラスとか、色んな仲間を増やすことも必要だし、その道中で様々な壁(ジムとかトンネルとかロケット団とか)を乗り越える必要はある。

でも、それは、すべてヒトカゲ一匹から始めても達成できることだし、要は今のリソースをフル活用していった先にクリアは有るということだ。


もちろん難しいことはある。
ポケモンに締め切りみたいな時間制限はないし、四天王の比じゃないぐらいの難敵は実社会にたくさん存在する。


だとしても法律も変わるし、物の価値も変わるし、人も変わるし、何より自分も変わるわけで、別にどうとでもなる。

もっともっともっと言うと、どうとでもなる世の中なのにも関わらず、どうにもなってない現状があるのなら、問うべき責任の所在はきっと、大概の場合自分にある。


できる方法を考えよう。

俺は、自分がポジティブだとは全く思わないけど、ポジティブに物事を進めようとする考え方はあるのかもしれない。

でもそれは、本当にそれを達成したいからこそ湧き出る欲求・・・により自分が動かされるときもあるし、頭を抱えてため息を付きながら選択するときもある。

共通してるのは、とりあえず今の手持ち以外に何もない事だし、無い手持ちを作りにいくことも選択肢には有るということだ。


あれはダメ、それは無理、君にはちょっと。

そう言われることも俺からすれば設定のうちなんだけど、とはいえ心は少々疲れる。なんだかゲッソリしそうな毎日だ。そして俺以上に、世の中の人達は無理と言われることに弱くて、弱いくせに無理という。負の連鎖だ。


なんで今、この時期にこのnoteを書いてるのかよくわからないけど、多分ストレスの捌け口みたいな役割なんだろう。
酒飲んで暴れるよりは建設的な気はするけど。


だけど、ストレス溜まりながらも感じるのは、スポーツとマンガの掛け合わせはちょっと面白いなってこと。
少なくとも、会社を始めてから今日まで、自分の中ではできない理由が浮かぶことは少ない。

これを生業にしようとしてる俺は、結構センスが良いのかもしれないな。


おしまい。みんなもうちょいゲーム楽しも。

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