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10年前、私は貧乏な移民としてアメリカに渡った。

ちょうど10年前の、2009年9月。
語学留学のためにハワイへと旅立ったのが、私のアメリカ生活の始まりでした。当初は3ヶ月間だけのつもりが、まさか10年もアメリカに暮らすことになるとは思いもせずに……。

当時、東京でフリーランスのライター・エディターとして忙しく働いていて、ありがたいことに仕事はとめどなく降ってきて、さばききれずに断る案件も多数。やりがいも収入もそこそこあり、生活自体に不満はなかった、のですが。表面上は。

33歳という年齢で、この先のキャリアを考えた時、英語をしっかり身につけて海外取材を増やしたいというのが留学の理由だったけれど、どこか「このままじゃいけない」という漠然とした焦燥感がありました。当時のパートナーとの関係性に悩んでもいたし、仕事は楽しいけれどこの先10年20年と同じことを続けていくのにも確信が持てなかった。とにかく、生活をガラリと変えてみたかった。

行き先にハワイを選んだのは、帰国後の仕事を考えてのこと。これだけ日本でひっきりなしに取り上げられるハワイなら、3ヶ月の滞在中に情報収集したりコネを広げておけば、帰国後にハワイについて書くチャンスも増えるだろうと目論んでのことでした。

また、3ヶ月の滞在ならビザなしでも渡航できたけれど、短期間にできるだけ英語を習得したかったので、受講時間に制限のない学生ビザ(Fビザ)を取得しました(観光ビザだと1週間に受けられる授業時間は18時間以内と決まっています)。

いざ留学してみると、3ヶ月だけでは英語はペラペラにならないことに早々に気づき(笑)、もっと長期で滞在したいと考えるようになりました。
しかし学生ビザだと働くことができず、貯金を切り崩すばかりになるのはつらい……じゃあ働けるビザを取り直して再入国しよう、と決断。

それが、貧乏な移民生活の始まりでした。


インターンシップビザは、通称「奴隷ビザ」

留学前の私は、収入はそれなりにあったものの、あればあるだけ使う生活をしていたため貯蓄はほとんどなかったんですね(苦笑)。直前に留学資金を貯めたものの、3ヶ月で帰国する予定だったので、3ヶ月分きっちりのお金しかない。

さらにハワイは物価がものすごーく高い。事前に算段していたけれど、実際に生活してみると予想よりも3割増しぐらいの感覚でした。家賃も食費もとにかく高い。

留学3ヶ月で、貯金は、ほぼスッカラカンの状態になってしまいました。

懐がさみしい状態で日本に帰ったものの、せっかく身につき始めた英語力を落とさないためにも、なるべくブランクをあけずにハワイに戻りたい!
そのため、1年を通していつでも申請でき、取得までの時間が短いインターンシップビザ(以下:Jビザ)での渡航に焦点を絞りました。

Jビザとは、アメリカでの職業研修のためのビザで、正確に言うと就労ビザではありません。研修なので給与は発生せず、そのかわり「生活補助費」の名目で、研修先の企業から些少ですがお金が支給されます。

じつは、このJビザ、アメリカ現地では「スレイブ(奴隷)ビザ」と呼ばれています。

・研修であり就労ではないため、最低賃金規定が当てはまらない。
・健康保険や有休といったベネフィットの規定がない。
・研修先企業を変えることができない(「その企業への研修」としてビザが下りるため)

といった理由から、安い賃金でこき使われる現場も多いんですね。
ビザ申請にあたり、研修先の企業が監査機関に研修プランを提出するのですが、それはあくまで申請をスムーズに通すための、いわばフェイクの内容なことがほとんど。実際に研修(という名の労働)が始まれば、提出したプランなんて一切無視されます。

「アメリカに暮らしたい労働者と、安い労働力を得たい企業」

この両者の密約が成り立ってしまうため、研修とは名ばかりの労働をするはめになる人が多い……ということで、通称「奴隷ビザ」なんですね。

※ちなみに、以前からJビザでの労働環境が問題視されていたこと、アメリカの大統領がトランプになって以降ビザ取得が全体的に厳しくなったこともあり、現在はJビザにおいての就労状況はかなり改善されています。またJビザの申請手続きや審査自体がとても厳しくなっており、以前のように簡単には取得できなくなっています(とはいえ他の就労ビザと比較するとゆるいです)。


Jビザでハワイに渡る人たちの事情

私がJビザを取得してハワイで働き始めたのが、2010年4月から。

その当時はまだ、Jビザはほかの就労ビザに比べて審査基準がゆるく、研修先企業の負担も少ないため、わりと簡単に取得することができました。私の場合、研修先企業を探すところからビザ取得まで、約3ヶ月でいけました。

ラッキーなことに、研修先は希望していたハワイ現地の日本語メディアに決まりました。

私の場合、出版社時代も含めると、編集・ライターの経験は10年ほどあり、いまさら研修は必要なかったのですが、そこは企業とも暗黙の了解。「とにかくハワイに住みたい私」と「経験者を安い賃金で雇用したい企業」の利害関係は一致していたので、お互いにOKでした。

その当時、同じくJビザでハワイで働く仲間たちも、似たような状況の人がほとんどで、純粋に職業研修のために滞在している人には1人も会ったことがありません(笑)。ハワイに住みたい、サーフィンやフラが好き、英語を身に着けたい……そんな希望を優先させ、勢いで飛び込んできた人ばかりでしたね。Jビザは最長18ヶ月なので、みんな「1年半の期間限定だから」という割り切りがあったと思います。

「ハワイに住めるならどんな仕事でもいい」と、それまでのキャリアとは全く関係のない小売店での販売業や、日本人旅行者を対象にしたサービス業に就く人も多く、中には長時間労働を強いられたり、雇用主のいじめに耐えている友人もいました。

そんな中、私はこれまでのキャリアを活かせる日本語メディアでの編集・ライター業で、楽しくエキサイティングな環境。やりがいもたっぷり。かなり恵まれた環境だったと思います。


低賃金、保険なし。納豆ごはんでしのぐ生活

……が、当時のJビザの宿命で、給与面と待遇面は正直、かなり悪かったです。額面は1月1600ドル(約15万円)でしたが、物価の高いハワイでは生活できる金額ではありません。さらに最初の3ヶ月分はビザ仲介業者の取り分になるという決まりだったので、その間は収入ゼロの状態。健康保険も有給休暇もなし。貯金がほぼ底をついた状態の私にとって、経済的にかなり厳しかったです。

ただ、これらの条件を受け入れたのは私自身なので、企業に文句を言うつもりは一切なかったです。むしろ採用を即決し、ビザサポートをしてくれてありがうと思っていたし、今でもその気持ちは変わりません。

とはいえ、頭ではわかっていても、感情がついていかない……という時もありました。ブラックになりがちなメディア業、ご多分にもれず深夜まで残業が続くことも多く、経験10年の私は重めの特集を任されたり、他の社員の指導にあたることも。……あれ? ワタシ一応研修生ですよね? きっちり定時で帰宅するアメリカンな社員も多い中、日本的な責任感を持ち合わせた研修生である私(や当時のJビザ仲間)のほうに自然と仕事が集中していました。これって、どういう状況!?と怒りが爆発する夜もありました……。

あまりに金欠で、白ごはんと納豆で食いつないでいたら、骨粗鬆症になってしまったのは、笑えるけど笑えない話。

でも、それもこれも、あのまま日本で働いていたら、とうてい得られなかった体験なんですよね。フリーランスで昼夜問わずガンガンに働き、稼ぎ、2万円の焼肉を週イチで食べるような生活をしていたのに、納豆ご飯で骨粗鬆症って。

ついでに、貧乏ばなしをもうひとつ。
ある日突然、首にゴリッとした、くるみサイズのでっかいタンコブみたいなしこりができて、怖くなって病院に行ったんです。健康保険がなかったので、問診だけで100ドル取られました。診断は「なんかウイルスが入ったんだろうけど、放っておいて大丈夫」というもので、処置も投薬も一切なし。それで100ドルかかるって、すごい国ですよね、アメリカって。


特殊技能ビザ(H1B)へのステップアップ

そんなわけで、賛否両論、世の中的には「否」の意見のほうが多いJビザですが、私個人の体験からいうと、「賛」のほうが圧倒的に大きかったです。

アメリカの企業では一般的に最初の3ヶ月は試用期間ですが、それが終わる頃に「エバリュエーション」という評価儀式があります。私の場合、とても有り難いことに、このエバリュエーションの時点で企業側からH1Bビザ申請のオファーをもらえました。

H1Bビザとは、就労ビザのひとつで、「特殊技能ビザ」と呼ばれるもの。職業によって取得すべき就労ビザの種類が異なりますが、編集者やライター、ジャーナリストといった職業は、H1Bビザ(特殊技能ビザ)を申請することができます。

H1Bビザは、毎年4月に申請受付がスタートし、取得できるのは同年の秋ぐらい。全米で1年に取得できる人数が決まっており、4月の時点で申請が定員を超えるとくじ引きになります。このくじ引きはあくまで「申請を受け付けるためのふるい分け」なので、くじ引きに通ったとしても、さらに細かい書類審査、最終的には面接での審査があります。

まず必要書類を用意するのに3ヶ月はかかるので、1月には移民弁護士との相談をスタートしていなければいけない。1月に準備を始めて、4月に申請し、無事にビザがおりて働けるのが10月頃という途方もなさ。採用試験も考慮すると、トータルで1年ぐらいは時間が必要で、その間お互いの状況が変わらない保証もないし、かなりのコミットメントが求められます。また、このビザ取得に関しての企業側の負担も大きく、細かい説明は省きますが、おいそれとは手をだせないほど費用も手間もかかります。

そんなわけで、いくら求職者にそれなりの職歴があったとしても、いきなりH1Bビザを打診するのは、企業としては負担が大きすぎるわけです。なので、まずは取得しやすいJビザで能力や相性を見極めておきたいと考える企業側の判断は、私はわりと妥当だと思っています。


入り口はどうであれ、後でチャンスに変えればいい。

Jビザを保有していた18ヶ月は、金銭的にはとてもつらかったですが、全く後悔していません。最初から就労ビザを取得できるに越したことはないけれど、もし私が待遇面に固執してJビザを拒否していたら、渡米のチャンスを逃していたし、ハワイでのキャリアも、今こうしてオレゴンにも住んでいないでしょう。

けっきょく私はその企業に8年間務めることになり、マネージャーとして採用にも携わりましたが、まずはJビザやOPT(Optional Practical Training:アメリカの大学を修了後に1年間実地研修ができる仕組み)といった研修制度を足がかりに、まずは現地企業に入り、後に就労ビザに切り替えるケースを何度も見てきました。私がいた企業だけでなく、他の会社でもそうしたケースはわりと多い印象です。

もちろん、就労ビザを取得するためには企業のビザサポートが絶対必要条件なので、そもそも企業側に就労ビザを出すだけの体力があるかどうかを見極めることも大事です。また、研修期間中に「ビザを出してでもこの人を採用したい」と思わせるだけの貢献やアピールも重要になってきます。

とはいえ、いくら周到に用意をしても、また本人に能力があったとしても、ビザ取得は運やタイミングに左右される要素も大きいので、最終的にビザが取得できる人は本当にラッキーなんだと思います。私もその一人です。

それもこれも、「まずは低賃金でもいいから現地にすべり込む!」という勢いで飛び込んでいったからこそなんですよね。入り口はどうであれ、それをチャンスと捉えて突き進んでいくことは、大事だなと思います。

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今年10月15日から、アメリカの移民申請についての新ルールが適用されることになっています。現在、私が住むオレゴン州ほかいくつかの州がこの法案を違法だとして提訴していますが、もし実施されれば、低所得層はビザや永住権を取得できなくなります。

自国民の雇用を守り、社会保障負担を減らしたいという政府の意向ももちろん理解できますが、チャンスを求めて海を渡ってきた移民によって建国されたこのアメリカが、収入によって移民の足切りをするというのは、不寛容というか、夢がないというか……。

もしこの法案が、10年以上前に実施されていたとしたら、私はビザを取得できずアメリカに住んで働くことはできなかったでしょう。毎年、自分的にかなりの金額を税金として収めている身としては、多少はアメリカに社会貢献しているつもりでいるのですが。きっと、こういう私のような「入国当初は貧乏だったけど、頑張っていい感じになってる人」というのは、アメリカには一定数いると思うんですけどね。

人でも仕事でも社会でも、不安がつのると守りに入りますが、そうした「将来的に社会貢献するであろう移民」までも締め出す可能性を含むこの新法案は、私にはどうしても正しいとは思えません。


アメリカでも日本でも、「貧乏な移民はいらない!」と声高に叫んでいる人たちこそ、じつは日々、貧困にあえいでいる余裕のない人たちなのではないでしょうか。その糾弾の声は、移民に向けているようで、じつは見えないナイフになって自分自身にグサグサと刺さっているように、私には感じられるのですが……。

お読みいただき(ラジオの場合はお聴きいただき)どうもありがとうございます!それだけでも十分うれしいのですが、サポートいただけると大変励みになります。オレゴンで小躍りして喜びます。