マルカッコウ

佐藤先生の宿題

佐藤先生は生前、自分が調べたいと思っている標本を1つの標本箱に入れていた。亡くなったあとにそのままその箱を引き継いだ私は、その宿題の標本箱の謎解きをしながら論文化していくことにした。その中にマルカッコウが入っていた。

マルカッコウは、カッコウムシ科の中では顕著な体型により分かりやすいグループで、当時は日本から3種が知られていた。その3種の標本が標本箱の中に入っていたわけだが、さて佐藤先生は何が問題だと思い何を調べたかったのだろうか。生前にその問題点をお聞きしておけば良かったのだが、そんな余裕もなかったし、佐藤先生もメモを残したりもしていなかった。とりあえずは関係する論文を集め、調べてみたがよく分からないのでそのままにしておいた。

卒業論文

大学の教員になって数年後、昆虫など全く分からないという学部3回生の村上広将君が研究室に配属された。背が高くおとなしい性格の彼は、昆虫よりも鳥の研究がしたい、鳥で卒業論文を書きたいと言ってきた。鳥もいいけど、フィールド経験も浅いことだし、標本調査をベースにできる昆虫をテーマに選んだ方が良いよ、しばらく昆虫採集してみて興味を持ったものを調べてみたら、と何となく放置していた。もちろん、鳥も好きな私には鳥に関する研究テーマも頭にあったが、鳥類の識別を1から教えるよりも昆虫の方がお互いに楽なのではないかと思った。半年も経った頃、村上君は昆虫採集をしたときに採れたカッコウムシを研究したい良いと言い始めた。カッコいいから、という今どきは小学生でも言わないような純粋な理由で研究テーマを選んだのだった。しめしめ、僕は心の中でそう思った。さりげなくマルカッコウの研究テーマを勧めた。しかし、マルカッコウの仲間ではなくほかのカッコウムシの方がカッコいいし研究してみたいといい始める始末。いやいや、カッコウムシ科を研究するならマルカッコウ!と半ば押し付ける形で村上君の研究が始まった。材料だけ決めてしまい、問題点が何なのかすら判っていない状態で押し付けるとは、指導教員としては失格だなと後で思った。

2種混じっている!

北海道から九州の日本本土にいるマルカッコウの仲間は、ムネアカマルカッコウという1種であった。たくさん採れる種ではないので、標本も少なかったが、並べてみると色彩は同じだが体型が長細いものと丸いものが混じっていた。一見して区別できるのだが、それが雌雄差なのか個体変異なのか何なのか判らなかった。村上君は先輩に教えてもらいながら解剖してみた。すると、雄交尾器の特徴が全く異なり、細長いものと丸いものは別種であることが判明した。琉球列島や台湾に生息する種も調べていたが、それらとの類縁関係を考慮すると、本土に生息する細長と丸は別種群に属することも判った。これは驚きだった。

どっちが真のムネアカマルカッコウ?

細長い個体と丸い個体が別種であることは判った。ではどちらが真のムネアカマルカッコウなのだろう?その当時にムネアカマルカッコウが図示されている図鑑は2冊出版されていてどちらも細長い方だった。そして愛媛大のコレクションにも細長い方の標本の方が多かった。だから細長い方がムネアカマルカッコウの可能性が高いかな、とも考えていた。

ムネアカマルカッコウはLewis (1891) により、6月中旬に”Kashiwagi in Yamato”(現在の奈良県柏木)で採集された 2 個体の標本(シンタイプ)を基に記載された。原記載の短い文章だけでは細長い方なのか丸い方なのかは判断がつかない。Lewisのコレクションはロンドン自然史博物館に収蔵されているので、知り合いのキューレターに頼んでシンタイプ標本の写真を送って貰った。その結果、シンタイプは1個体しか見つからなかったが、それは丸い方だった。もう1つのシンタイプはどこに行ってしまったのだろう?もしもう1つのシンタイプが細長いほうだったら、レクトタイプ指定を行い、どちらか一方を真のムネアカマルカッコウとして決定する必要がある。なのでシンタイプの標本は全てチェックしておきたいのだが、行方不明のもう1つのシンタイプを見つけるのは困難そうだ。仕方がないから、そこは妥協してしまおうかと思っていたところ奇跡が起こった。なんと行方不明のシンタイプが愛媛大学のコレクションにあったのだ。佐藤先生の宿題箱の中から見つかったのである。その標本は古くてよく判らないラベルが付けられていた。そしてTARI(台中にある台湾農業試験所)からの借用標本のようだった。このTARIがポイントであった。実はこのTARIには’素木標本’が保管されているのだ。

素木標本

’素木標本’とは台北帝国大学の昆虫学の教授であった素木得一が1900年代前半にロンドンに3年間出張した際に持ち帰った標本類のことで、当時の大英博物館から無断で持ち出したであろう標本を多く含む、大いに問題がある標本群だ。違法な盗難標本以外にも正式に譲渡された標本もあるようで、どれがどういう経緯のものなのかが判らない。加えて標本に付いているラベルの付け替えが行われたようで、その後の混乱を招いた日本の昆虫学の’黒歴史’と言えるものである(黒澤,1980)。
佐藤先生はTARIの’素木標本’の中からムネアカマルカッコウのシンタイプを発見し、それとは知ってか知らずしてかは今となっては判らないが借り出したままになっていたのだろう。

論文出版

愛媛大学から見つかったシンタイプも丸い方だったので、長い方が未記載種であることが判った。そこで村上君は日本産のマルカッコウの再検討として論文をまとめ上げた(Murakami, 2014)。愛媛大学から見つかった’素木標本’由来のシンタイプ標本はすぐにTARIに返却した。日本産を纏める前に台湾の種についても研究を進めていたので、学部・修士の間に英文の論文を4本も書き上げ学術雑誌に掲載させた。日本産の論文は発見の面白さもあって、日本甲虫学会の2014年の論文賞も受賞した。村上君が私の無茶ぶりに答えて論文をまとめ上げ出版してくれたことも嬉しかったが、佐藤先生の残された宿題をしっかり終わらせてくれたことに安堵した。

ソース

黒沢良彦(1980)アオカミキリ備忘録(1).甲虫ニュース(50):7-13.
Murakami, H., 2014. Revision of the Genus Allochotes (Coleoptera, Cleridae) from Japan. Elytra, Tokyo, New Series 4 (1): 95–110.

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