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「百年道場-西葛西のクリシュナ-」第1話

第1話 コルタカから西葛西へ

西葛西の叔父を頼って

クリシュナ・ヴィヴェーカーナンダは、インドで3番目の都市・コルカタ近郊のカーマールプクルという村に生まれました。

父親は雑貨商人で、村の中では比較的裕福な暮らしをしています。スポーツと数学が得意なクリシュナは、コルタカの高等専門学校(ポリテクニック)に進学し、統計や実践的なプログラミングを学びます。
空前のITブームに沸くインドで、クリシュナはコルタカにあるプログラミング会社に就職したいと考えていました。

ある日、日本に住んでいる叔父が、ビザ更新のためインドに一次帰国しました。家族で食卓を囲み、叔父からビジネスの話しや最近の日本の様子を聞いていて、クリシュナは日本に関心を持ちます。
父親を説得して、1週間、東京を訪れることにしました。

羽田空港から叔父が住む西葛西まで、地下鉄を乗り継いで1時間。隅々まで清潔な電車と日本人を見て感心します。ようやく地上に出たと思ったら西葛西駅に着いていました。

その日の夜、ベンガル料理店で即席の歓迎会が開かれました。インド人が次々に訪れて来ます。雑貨屋、食料品店、料理屋、税理士、そして区議会議員と職業はバラバラ、中でも多いのがITエンジニアです。

そこでクリシュナは、数人のエンジニアから、東京のビジネス事情や暮らしの様子を聞いていきます。
「東京でもITエンジニアは人気で、選ばなければ仕事はいくらでもある。仕事は厳しいかもしれないが収入は悪くない」
「中小企業に勤めていてもソニーや村田といった世界企業と仕事ができるし、世界企業に移籍したインド人を知っている」
「治安が良いし、どこにいっても清潔。西葛西付近に住んでいればインド人でも不便なく暮らせる」
「叔父さんに頼めば、住まいも借りられると思う。東京の住まいはどこも狭いのでそこは我慢しないといけないが、綺麗な家が多い」
「日本人の女性は優しい人が多い」
「子どもができれば、インターナショナルスクールに入れればよい」

話を聞いていて、日本での就職に心が傾きます。

帰国前日の朝、都内を観光しようと準備をしていると、電話が鳴ります。
「ボスが会いたがってる」、歓迎会で話したアサーヴからの電話です。
地下鉄を使って茅場町にあるIT会社に向かうと、社長が出迎えてくれました。
「会社には20人のスタッフがいる。今は、エンジニア派遣と自社プログラミング開発の仕事が半々だが、将来は自社開発一本でいきたい。そのために優秀なエンジニアに来てもらいたい」と癖のある英語で話します。

クリシュナは「待遇より、仕事の中味に興味がある」といって、仕事の細かい内容を尋ねます。
社長は答えます。
「自社開発は、マッチングサービスの駆動システムが中心。買い手と売り手を結びつけるマッチングサービスはあらゆる分野で導入が進んでいて、将来有望なビジネス。そんなサービスを手がける会社に、わが社の稼働システムを使ってもらう」
「今のところ日本には、我が社を含めて2~3社しか競合がいないので、いずれNo1になりたい」
確かに、マッチングサービスはインドでも流行しています。

各部屋を案内された後、蕎麦屋に行こうと誘われます。そこは牛肉を一切使わないのでヒンドゥー教徒でも食べられると聞いて安心します。この界隈でも、ハラール食堂が増えているといいます。
クリシュナは生まれて初めて蕎麦を口にしますが、美味しいとは思えません。

帰国する飛行機で、クリシュナは何かに導かれている予感がします。
経由地を経てようやくコルタカが近づいてきました。上空から眺めたコルタカの街は泥色にくすんでいます。

茅場町のIT会社

翌年6月、高等専門学校を卒業したクリシュナは、すぐ日本にわたり、茅場町のIT会社で働き始めます。
父親は反対しましたが、母親や叔母の応援があって日本行きが実現します。

叔父さんが保証人になってくれて、舩堀駅の近くのアパートを借りることができました。近くには叔父が営む雑貨店や、インドの食堂、マンションの一室を借りたヒンドゥー教の寺院もあります。
部屋に小さな祭壇を飾り、最低限必要な家財道具を揃えます。外国人でも家が借りられるのは、インドから来た先輩達が築いてくれた信用のお陰です。

最初の仕事は、占いアプリの自社開発です。アサーヴがリーダーを務める開発チームでAndroidプログラミングを学びながら、先輩達を手伝います。
半年たったところで、SNS開発チームに配属されました。プロジェクトは全体的に遅れ気味。なかなか定時に帰れず、出勤する休日も増えてきました。新しいチームには英語が喋れるスタッフが1人しかいないので、意思疎通がうまくいかないことがストレスになっています。

通勤は、都営新宿線を利用します。西葛西駅まで早歩きで20分。朝晩ラッシュがあるといっても混雑はインドの比でなく、会社まで乗り換えがなくムスーズです。二つの川を渡る鉄橋からの景色が好きで、通勤が密かな息抜きの場になっています。

楽しみといえば、休日の日本語教室と、ハタ・ヨーガ教室。
ハタ・ヨーガは、小さい頃から故郷のラーマクリシュナ寺院に通い、親しんでいました。ハタとは陰と陽、月と太陽のことで、対になるものを統合するヨーガ流派の一つです。
クリシュナは、日本のヨーガ会場でも指導補助をお願いされるようになり、そこで日本人の仲間が拡がっていきます。
霞さんとは、そのヨーガ会場で出会い、ヨーガやインド映画の話しをするようになります。霞さんは知的な雰囲気を持った30歳の女性です。


早くも、年の瀬を迎えます。
クリシュナは初めてまとまった休暇を取ります。社長には帰国を勧められましたが、西葛西に残ることにしました。
生まれて初めて買ったダウンコートを着て、霞さんと初詣に出かけます。日本に来て7ヶ月、ようやく心の余裕を感じられるようになりました。

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