見出し画像

山内マリコ「あのこは貴族」を読んで・おのぼりにとっての東京―後編―


「東京は、お金がないと楽しくないよ。

東京で貧乏するって言うことは、5000円の定期が買えなくて

毎日200円の交通費を払いながら、ぐるぐるぐるぐる働いて払って働いてを繰り返すことだから。」


すでに東京で暮らしていた姉のいやに実感がこもったアドバイス(?)を胸に2012年、就職と同時に上京した。


出歩くようになってすぐ、

自分がいかに世間知らずかということを思い知らされた。


すっぴんで電車に乗っているひとがあんまりいないこと、
女性はストッキングがマストであること、雨の日にはみんなおしゃれな長靴を履くこと
駅の出口がひとつではないこと、満員電車ではリュックはお腹に抱えないといけないこと。


リクルートスーツにすずめのしっぽみたいなひっつめ髪で
買ったばかりのsuicaをうっかり切符の差込口にいれて改札機を詰まらせ出勤ラッシュの人ごみのなか、駅員さんがそれを取り出してくれるのを傍らで待っていた時などは
申し訳なさすぎて、また客観的に見たその風景が「いかにも」すぎて、ほとんど泣きそうだった。


慣れないスタバで冬なのにフラペチーノを頼んで寒い思いをした。
新宿駅から永遠に出られないと思った。
急停止した電車のなか、人身事故のアナウンスへ迷惑そうに舌打ちをする人たちを怖いと思った。
「2万5千円、2万5千円」と夜の渋谷で父親と同じくらいの男性がセリのように指折り話かけてきたとき
それが自分の値段だと気づくまでに、数秒かかった。



そんな1年目だった。



このときの「自分はここでは常になにかしら間違えてる」という感覚は色濃くて
29歳になった今でも混んでる電車のなか、自分の隣の席だけが空いていたりすると「私、いま何か変なのかな」とどぎまぎしてしまう。


もちろん、楽しいこともたくさんあった。


なにより映画館や寄席や美術館がいっぱいあって、見たいと思うものを全部見られるのは楽しくて仕方なかった。休みの日にはとにかく出かけて、ひとりでそういうところへ行った。
身の周りのことに気をまわす前にお金はあっという間になくなって、姉にはこっぴどく叱られた。


姉が私にデパコスやエステや月1の美容院にお金を使って、「恥ずかしくない」女性になってほしいのも知ってる。
東京でほかの女の人と同じくらい身ぎれいにしているのって結構、根気がいる。

新宿駅のトイレのメイク直しスペース、ずらり並んだ10台近い鏡の台にウェイティングの列ができてることを、どれだけの男性が知ってるのかなと思う。

・・・・・・・・・・

上京して2年目のお盆、久しぶりに実家に帰った。


この時期、地元を出た女の子のところには一様に、地元の男の子たちから いつ来るのかとLINEが入る。
お盆とお正月、暇を持て余した彼らは夜な夜な、都会へ行って少し垢ぬけて帰ってきた女の子たちを誘いに出るのが通例だ。



地元に残った男の子たちは、そのほとんどが鳶か漁師さんになり
町でいちばん大きなセメント工場の正社員になった子はエリートとされ「○○くんはセメント工場、入ったってよ。あそこに嫁にもらってもらえたらいいねぇ。」と

井戸端会議ではよく、そんな会話が聞かれた。


お金を使うような娯楽施設があまりないこの町で、特需のある漁業や   

そうした「いいところ」へ務める若い男の子たちはピカピカのいかつい車を我が物顔で乗り回す。
地元にいたころは私も例にもれず、そういった男の子たちを「イケてる」と思っていた。
事実、陽に焼けて豪快に笑う自信にあふれた彼らはたいそう頼もしく見えたものだった。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・
新幹線で東京から2時間半、そこから車でさらに2時間。東北の港町にある実家までの道のり。
駅の商店で父の車を待ちながらレジに並んでいると
いつも通り、前にいるおばあちゃんがレジで財布をひっくり返し、
小銭をばらまいて1枚1枚数えて支払いをしている。


その「いつも通り」のはずの光景に


――早くしてくれないかな。


そう苛立っている自分に、すこしショックを受けた。


このころになると人身事故のアナウンスは私にとってももう、とっくに迷惑なものになっていた。


父の車で、例によってさだまさしを聞きながら帰って
1日目は親戚周りをしたあと町に出て同級生たちと飲んで過ごし
翌日は家で本を読んでいたら高校時代に仲の良かった、実を言えばちょっと憧れていた先輩から連絡があったので、すこし出かけることにした。



待ち合わせ場所にきたのはピカピカのトールワゴン、

車内にあふれるココナッツの芳香剤の香りとEXILEの曲。


他愛もない会話をしながら何もない道をしばらく走って、海沿いで車をとめる。


先輩は最近カラオケで歌う曲とか、服を買うお店とか、そんなことを話していた、ときだった。




「車もさ俺、こないだまでアストロ乗ってたんだけど最近買い替えてさぁ。
知ってる?この車、S-MX。シート倒れてフルフラットになるんだよ。試してみる?それでかわかんないけど、SMXってMを倒して横にするとさ…」






なんだこれ。と思った。





なんだこれ、これっていうか今この瞬間のなにもかも。
この人はこれが口説く時の常套句なんだろうと思わせるその口調も、
「それでかわかんないけど」という保身めいた接続詞もフロントガラス越しの何もない風景も
横に置かれた彼の、高校時代すこしカリスマ的存在だった彼のいかにも好みであろうヴィトンの財布さえすべてがなんだこれと思った。
いちばんなんだこれなのはこんなところでさえ、あからさまに見下されてる自分だった。


そろそろ帰ろうとやりすごして実家まで送ってもらい、両親と祖母と晩ゴハンを食べる。
「東京で食べたら1万円するぞー!」食卓にお刺身を出すとき、よく父は 誇らしげに言う。


あなたの娘はまったくもってそのトーキョーの人にはなれず、ついさっきも簡単にいける女だと思われてばかにされてきたところです、と思いながら 口にはこぶ。



先輩は、よく女の子にモテた。
それは今だってそうだ。
なんとなく、変わったのは自分のほうなんだろうとは思う。



いっちょまえにレジの待ち時間に苛立ちプライドぱっかり高くなって先輩のことも心の中で貶める、東京にはなじめないくせに地元にもうまく 帰れない、いやな人間になってしまった。



東京に戻って翌日、職場で母方の実家に帰っていたとかで地方のお土産を配りながら


「東京駅の人ごみみるとほんと、帰ってきたーって感じするよねー」


と話す同僚に


「そうだね」とうなずきながら
私はただ、「戻ってきた」って感じだけがするよ、と思う。

・・・・・・・・・・・・

上京7年目の夏、今年ももうすぐ、そんな実家に帰る。


甘いとうもろこしと嘘みたいに綺麗な星空以外、なんにもないみたいな町。

畑でとれたとげとげのキュウリの精霊馬と、
お箸の持ち方に異様に厳しい叔母と
三木のり平似の、本家の叔父と気立てのいい奥さん
そして耳の遠くなった祖母と定年を迎えた両親が待ってくれている。


話題の中心はたぶん例年通り、甲子園と各家のお煮しめの味付けのこだわり。


何時間かに1本のバス。
夕方5時のイエスタデイ。
ときおり思い出したかのように一斉に鳴く、田んぼの蛙。


そんな私のふるさとに、もうすぐ帰る。
――――――――――――――――――――――――――――――――――


なぜ私がいまこうしてこの本を読み、東京東京言って過去を振りかえっているかというと
好きな人が東京のひとだからです。


楽しければいいと思って生きているぶんには東京は、たくさん恥ずかしい思いはするし、生きてるだけでお金がかかるとは思っていたけど、じゅうぶん魅力的で楽しい町だった。


ところがそういう事情で、ちょっとでも釣り合いたくて、いっぱしに洗練された大人になりたい、と思ったら
というか審美的な目で客観的に見始めたら、ここにいる自分のことがどんどん、好きじゃなくなってきてしまった。

髪型とか、服装とか、雑誌を真似てもなんだかしっくりこない。

芋っぽいとはこのことか、という雰囲気がぬぐえない。


なのでほとんど、恥ずかしい話ですが、いろんなことをお門違いにやっかんだ、東京に対する私怨にちかい。



それは性格や努力の差によるところもおおきいので、出自の不平不満ばかりを言いたいわけではないけれど

ときおりそのあまりの差にスタートがもう、違うじゃん、って言いたくなることがあります。
きいてないよー!ってなります。


町を闊歩する女性たちはスタイリッシュで、綺麗で、
なんかもう骨格からちがくない?という心持ち。

それでいて、小さいころ親に連れられて行った宝塚の話なんかで盛り上がる教養もあって、とっても魅力的である。

私が学校で熊は前足が短いので上り坂は得意ですが下り坂は苦手なので下り坂に逃げましょうとか習ってたときも、アニーとか観に行ってたって いうじゃありませんか。なんてすてきな。
アニーなんてわたし、社会人になってから初めてみた。


あの子がバレエを習いはじめたころ、私は素麺でザリガニ釣ったり
カンカンに入ってた肝油をコッソリたくさん食べて怒られたり、していた。
その子たちが放課後マックに行ってプリクラを撮っていたころ、私はベルマーク委員長でチャボの飼育係だった。
ともう、羨ましさからくるひとりコンプレックスフェスティバルは終わらない。
東京は好きだし東京の人たちも好きだけど、東京にいる自分が好きじゃない。


そんなこんなでお酒の席で上司に、みんながキラキラしてて自分がみすぼらしくてしんどい、という話をしたら
「これを読んだほうがいい。」と言われたのがこの本、という次第です。


あのこは貴族。


ここで書かせていただいたのとおんなじような経験や
おんなじ気持ちを抱えてる子とかはきっと、読んでいて思うところがあると思います。
私は読んでてひざの皿、打ちすぎて割れるかと思った。

出身を言ったときの「えー東京の人かと思ったー!」という誉め言葉をちょっとうれしく思っちゃうのとか、地方民あるあるだと思う。違うかなぁ。


私はこの本のおかげで、そのあたりちょっと楽になったので
なにか悩んでいたりするひとの、この本を手に取るきっかけや寄る辺になればと思い
少し、書いてみました。



とはいえあの経験達も、無駄じゃなかった。はず。



ちなみにアニーは政治家たちがトゥモロー歌う場面でめちゃくちゃ泣きました。
トゥモロー トゥモロー アイラブヤー、トゥモロー


それでは、最後までお読みいただき、ありがとうございました。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?