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にいちゃん、それホンマに失礼なことなん?

 専門学校のこの時期は、2年生の就職活動の最盛期である。秋からは年度末の国家試験受験に向けてまっしぐらになるから、教員側の立場とすれば、できれば生徒たちには暑いなぁ・・・と言い合う季節のうちに、卒業後の行先を決めさせておきたいところだ。専門学校の存在意義を考えると 就職に関する指導は根幹をなす項目だから 生徒も我々も真剣勝負なのだが、ネットや書籍が教えてくれる情報には首をかしげてしまうものもままある。中でもアホらしいなぁと思うのは『失礼』に関する例示だ。こんなことをしたら失礼、あんなことを言ったら失礼・・・。

 私が嫌だなぁと思うのは、ある言葉や行動について、元来何とも思っていなかった人たちに対し、謎の組織が 新たに『これは失礼なことなのだ』と発信してしまっている事実である。特に若い世代や就活をしている学生にとっては、 昔は無かったそれらの言動を『失礼』なことだと思わされていること、さらに経験豊かなエラい人までが それらのせられて同調してしまっている現実。悪いことにマナー講師たちはそれを広める手先となっていることもあって、企業の人事担当者や教育係なんかは、応募者や新入社員がその『謎の失礼事項』を知らないと、無礼で無知な奴と位置づけてしまっているのだ。要するに『失礼』が創作され、広められているのである。これをアホらしいと言わずして何としよう。もはや災害、それも人的な災害以外の何ものでもない。

 例を挙げてみると、例えば『了解しました』は上司への返答として使うのは失礼だ、みたいな論理は 最近になって初めて言われ出した流行、要するにファッションである。あたかも揺るぎない真理のようにのたまうマナー講師が、理屈をコネ回して『失礼』を作り出し、世間に押し付けているに過ぎない。昔はそんな指摘などサッパリ無かったということは、上司側でも『了解』が失礼とは思っていなかった証左ではないか。そもそも失礼な言葉であるかどうかを上司側が調べなきゃわからない時点で、もはや失礼ではないのである。ノックの回数、名刺の渡し方、語先後礼、お辞儀の角度・・・。ああうるさい、うるさい、うるさーい!! 『失礼』とはそんなことではないだろう?

 今世の中にはびこっているこの手の『失礼』情報には、最後の部分に大抵『・・・でも基本マナーに縛られすぎず、臨機応変な対応を』みたいな逃げが付け加えられている。応用も融通もきかないことが特徴の最近の若者に、膨大な量の『正しいマナー』を覚えさせようとするくせに、最後は『知らんけど』で締めくくる無責任さには嫌悪感を覚える。

 私とて必要なマナーを守ったり 他人に対して敬意を持つことは大変重要なことだと思っている。しかしややこしい取り決めを自分たちで独自に作り出して(理屈まで後付けでこじつけて)ルールとしてしまい、それを守らない人を『常識知らず』だと言って評価を下げたりするようなことが起きることこそ 何のこっちゃわからん話だと私は思う。ハラが立つのは、そう思っていても そんなことの数々を生徒たちに教えないといけない現実だ。就活をする相手が『巷の情報鵜呑み脳』だった場合、応募した生徒が『失礼』だと評価される可能性は排除したいからだ。

 我が学園の授業にも来ていただいて心苦しいのだが、そんな屁理屈の片棒を担いでいるともいえるマナー講師は少なくない。ちょっと前、ウチの講師にこの件を尋ねたことがあるが、案の定その品の良い中年女性は答えに窮した。そんなものだと思う。もちろん誰が見てもそりゃそうだと感じるような基本的なマナーを知らないレベルの人のためには、それを教えるプロも必要だろう。しかし『今までになかった常識』を当然だとばかりに広めている現状を、全国のマナー講師の方々はどのように感じておられるのだろう、可哀想な若者たち・・・とひねくれた還暦オヤジは思ってしまうのであった。 

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