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どんちゃん騒ぎはご勘弁

 騒ぎたい人についての個人の所感である。

 私見ながら喜怒哀楽の『哀』については個人による価値観の差はあまりないのかな?と思っている。例えば戦争という運命により諦めないといけない儚い願いや、病魔に翻弄される子供・・・といったような切ない話を聞くと、ほぼ皆がかわいそうだと感じるからこそ『全米が泣いた』が通用するし日本の観客の涙も誘うのだ。
 しかしそれとは逆に、『楽しい』と感じるモノサシは、国民性もあるのかもしれないが何より個人によって全く違うように感じる。たとえばある事象を見て、Aさんは面白いし楽しいと感じるが、B君はちっとも楽しくないどころかムカついて仕方がないといった事例にはこと欠かないのである。今回はこのあたりに関して述べてみたい。

 まず『面白い』の感じ方の違いについて考えてみる。漫才コンビ錦鯉の長谷川さん(向かって左・スキンヘッドの方)がボケると、すかさず右側の渡辺さんが長谷川さんの頭をバシッと叩いてツッこむ、というパターンでは、痛くない程度にてのひらで叩いているから笑えるのであり、あれを生卵を上からベチャッと割ったとしたら、きっと笑えない人が多くなるだろう。さらに極端な話、中身の詰まった一斗缶で思い切りブッ叩いて長谷川さんが気絶して周囲が大騒ぎになろうが、面白いと思う人はそれを面白いと言って笑えるのである。事程左様に『楽しい』と感じる感情には個人差があるものだが、本日述べたいのは表題にも掲げている『どんちゃん騒ぎ』が楽しいか楽しくないかという問題だ。

 私は田舎の出なので幼い頃から田舎特有の権力構造でもある、年かさの者が偉いという価値観の中で育った。権力を持つジジイが首を縦に振らなければ大きなことは決められないし、40代や50代なんかでは まだまだ自分の意見も言えない。ましてや女となると発言権を持っているのは その集落におけるトップであるジジイの嫁さんや先代のトップの娘くらいのものだ。
 そのようなコミュニティにおいて、年に何度か宴会が催される。女たちはかいがいしく働き、男が手伝うなんてことはまずない。そしてそんな集まりは基本的に『どんちゃん騒ぎ』になる。私の生まれた地域では男に生まれて酒が飲めないなどということなどあってはならず、恥ずかしいことでしかない。また目上の人が注ごうとする酒を断ろうものなら『俺の酒が飲めんのか?へぇ〜』という今となっては漫画の中でしかないような価値観が厳然として存在しており、酒の弱い私などは恐怖を感じていたから寄り合いや◯◯会みたいな集まりが心から嫌だったのだが、大半の参加者はこれを『楽しい』と感じていたように見えた。

 さて田舎でもなく老人でもないのに何より飲めや歌えや騒げや が好きな人々の話をする。経験上そんな『イテマエ!』の人々は、ひとたび酒席を設けると極めて短い時間で『どんちゃん騒ぎ』を運営することになる。私は外で酒をほとんど口にしないこともあって、大声で無遠慮な怪物状態になってしまうその手の方々とはどうしても合わず、身の回りにそんな人たちが来ると構えてしまう。
 生き方や価値観がズレるのか、はたまたそもそもの属性が違うのか。世の中にはアレルギーというものがあるが、それと同様 嫌いとかというものではなく受け付けないのである。だから当然だが巡り合わせでそんな人たちと同席しなければならなくなったとしたら、全くもって『楽しくない』時間を過ごさねばならず、時に恐怖に近い感情さえ芽生えるのだ。
 でもきっとあちらはあちらで私のことは『面白くない奴』とバカにして、『あんな奴、誘ってもしらけるだけだから放っとこ。ケッ』ということにしかなってないのだ。私は昔からそんな評価を積み重ね、今に至ります(笑)  でもこの先もきっと死ぬまでこの考え方は変わらないと思う。
 例えば先日の香川照之さんの事件なんかでも、彼を擁護する考えの人もいて驚くのだが、彼がやったような方法で羽目を外すのが好きだの 必要だのと思っている人って、他人がイヤだと思っている事さえ『イテマエ』でやってもいいと判断できる人なんだから やっぱり私は近づきたくないんだなぁ。

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