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大日本帝國海軍 《空母》

《航空母艦 = 空母》
 洋上の飛行場、それが空母である。1941年12月に敢行された真珠湾奇襲攻撃は、帝國海軍の 6 隻の空母から発艦した戦闘機、爆撃機、雷撃機の大編隊で実行された。その攻撃には戦果もあったが それまでの戦術の常識を変えることにもなった。それは これからは航空機の時代になるということを世界に知らしめたという意味である。当然そうなると必要に迫られて、イヤでも空母にも脚光が当たるわけだが、後から考えると真珠湾攻撃は、資源のない我が国が一番やってはいけない 物量の戦い=米国との兵器建造競争  のスタートの合図にもなってしまった訳だ。その結果民間の大型船を徴用し、次々に空母をはじめとする戦闘用艦艇に改造していくことになったのだが、商船や漁船まで徴用したというから日本の工業力はアメリカとは比較にならないことは明白だった。

 空母は航空機が乗ることで戦力となる。主砲や魚雷という武器は持っていないから、飛行機が無ければ戦いにはならない。よって仮に敵の攻撃で飛行甲板に大穴を開けられたら、航行に影響がなくともそれだけで飛行機の離着陸ができないため、空母は空母として使えなくなる。

 好きな空母を一艦推挙するなら 何といっても『瑞鶴(ずいかく)』を挙げる。この船は真珠湾以来激戦を繰り広げながら連合艦隊の中心として存在し続けたにも関わらず、その最後は悲劇的なものであった。その仕事とは、フィリピンにおいて味方本隊の目標突入を助けるために、自らが囮となって敵主力を引きつける役目だったのだ。

 きっと私と同じく瑞鶴を推す人は多いんじゃないかな?と思う。自らボロボロになって撃沈されることを覚悟していた戦い(捷号作戦)において、その犠牲と引き換えに突入するはずであった肝心の大和以下の本隊は、レイテ湾という目標を目前にしながら、反転をして引き返してしまうのである(栗田艦隊 謎の反転)。映画『連合艦隊』でもことさらに栗田中将を悪者扱いしているが、それには様々な事情があったのだろう。軽々に批判などできるはずはない。魚雷 7 本、爆弾 4 発を受けた瑞鶴の最期は無残なものだった。最後は水面に艦を直立させた状態から沈んでいったという。

 瑞鶴は兄弟艦である『翔鶴』を敵潜水艦の魚雷により先に亡くしていた(マリアナ沖海戦)。その海戦においては、不沈空母のはずだった最新鋭の大型空母『大鳳』も同時に敵潜によって葬られてしまったから、帝国海軍に残る正規空母は瑞鶴ただ一艦になってしまう。同時期アメリカには正規空母だけで 20 隻以上、護衛空母 = 軽空母 に至っては 100 隻に迫る、絶対的な戦力差とあっては、まともな作戦など立てられる訳がなかったのだ。

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