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ごはんと元カレ ~2019Jリーグ開幕に寄せて~

おはようございます。柏レイソルサポーター2年目(通算15年目)の円子文佳です。
今日から柏にとってはJ2開幕です。1年間お世話になります。J2なめてません。

先日のACLの文章を書いた際には、「Jリーグでは柏レイソルを応援していることになっています」と回りくどい表現をしました。僕の柏レイソル応援歴は、2004-2016年と2018年となっています。

つまり、2017年が抜けています。

その年はどうしていたかというと、柏の年間シートを買わず「浦和レッズを応援する!」と周囲に宣言し、実際に埼スタに観戦に行っていました。でも1年で柏に出戻りしました。当時は「『大久保嘉人みたい』って言われそうだな」とか思っていました。

再び柏サポとして迎えた2018年、柏レイソルは年間順位17位となり、2019年はJ2でのシーズンを過ごすこととなりました。それでも僕は、今年「は」、柏レイソルを1年間応援しつつ観戦するつもりでいます。今シーズンの抱負として、今回はそのことについて自分の考えを書いていきます。

・2017年、「元カレ」の呪縛

過去のチームを批判するのは本稿の趣旨ではないので、表面だけなぞっておきます。2014年までのネルシーニョ監督時代までは、何の疑問も抱かずチームを応援していました。

2015年に吉田達磨監督が就任しましたが、その1年を見せられた結果、応援する気はほぼなくなりました。吉田監督も1年で解任されました。翌年はすでに柏から気持ちが離れていたのですが、ここで年間チケットを更新しなかったら「吉田監督の解任に抗議して年チケを更新しなかった」ように見えてしまうかもしれないので、もう1年だけ更新しました。そして2016年はさしたることは何も起きず、その年で「柏サポ」は止めることにしました。

2017年は1年間、「無所属」としてサッカーを見ていくことも考えたのですが、色々あって「浦和レッズを応援する!」と公言して1年間過ごしました。浦和はACLは優勝しましたが、リーグでは中位に沈みました。

一方、当時僕が見限った柏ですが、開幕当初は負けが込んでいて、「さすがに降格されたら嫌だな」と思っていました。しかししばらく目を離した隙に連勝を重ね、6月ごろ気づいたら首位にいました(最終的な年間順位は4位でした)。それはそれで「優勝されると悔しい」と思ったのですが……。

何でしょう、この「元カレ感」
「破滅はして欲しくないけど、幸せになって欲しくもない」「そこそこ苦労するぐらいの人生を送ってほしい(そして私は幸せになる)」みたいな。

僕は彼氏を持ったことはないのですが、この感情って絶対「元カノ」じゃなくて「元カレ」に対する気持ちです。サッカー観戦はおっさんを女子に変える力があるのか……。

・人生には仕方ないこともあるが、運命はある程度選択出来る

人生は病気や事故、仕事や恋愛など、色々な偶然の出来事によって左右されます。自分の運命や幸福を自分の意思でコントロールできる部分は意外と少ないです。僕はサッカー観戦を趣味として、余暇の時間の大半をそこにつぎ込んでいるのですが、いくら努力しても目の前の試合の勝敗を左右することは出来ません。

そこを「運命」と考えてしまうと、試合結果を「神が与えた試練」のように受け入れるしかなくなります。しかしその前段階の「サッカーを趣味とするか」「どのクラブを応援するか」は、実は自分でコントロール出来る、選べるものです。

「プロサッカークラブは苦痛を売っている」という格言があります。
ファンは苦痛を買わされています。熱心に応援するほど、負けたら心を痛め、勝っても次の試合が心配になる。いつになっても心が休まらず、喜んでいるよりも苦痛を感じている時間の方が多い。それがわかっているのに、またスタジアムを訪れてしまいます。

いわゆるサポーターと言われるような人たちは、この「クラブは苦痛を売っている」という言葉が腑に落ちる人が多いようです。一方サッカーに興味がない人は、こう言われてもさっぱり意味がわからないかもしれません。

そういえば、「サッカーファンは幸せになれない」という研究結果も発表されたそうです。

https://gigazine.net/news/20180501-football-makes-fans-less-happy/
調査を通して集まった回答件数はなんと300万以上で、これらをサッカースタジアムの位置情報や、過去3年間のサッカーの試合結果などと組み合わせることで、サッカーファンたちの試合後の気分の変化を分析しています。
分析結果から明らかになったのは、「サッカーファンを続けることにより受ける累積的影響は、圧倒的に負のものである」というものでした。

この論文では結果の考察の一つとして「サッカーファンが応援するチームが勝利した際に得られる幸福感には中毒性があるのかもしれない」とされています。

つまり、熱心なサポーターは麻薬中毒やアルコール依存症などと同じように、危険な快感にハマってしまって抜けられなくなってしまった、という見方です。

薬物依存とは「薬物の作用による快楽を得るため、あるいは離脱による不快を避けるために、有害であることを知りながらその薬物を続けて使用せずにいられなくなった状態」(『現代臨床精神医学』改訂第12版 金原出版 P251)とされています。

一般的な程度のサポーターは、「チームを応援することが自分にとって有害である」とは考えていないと思うので、「有害であることを知りながら使用せずにいられない」という薬物依存と全く同じというわけではありません。しかし、熱心に応援するあまり苦痛が強くなってきているような方は、自分にとってサッカーが麻薬と同じ危険な領域に入ってきている可能性を考えてもよいかもしれません。そして一旦自分が応援しているクラブから離れるという選択をすることで、不幸や苦痛を回避するという人生のデザインを行うことが出来ます。


「彼ら」は「私たち」ではない

そのように危険なサッカーの応援ですが、その魅力、中毒性はどこから生まれてくるのでしょうか?
人間の本能の一つとして、「俺たち」と「奴ら」を区別して、敵を憎み味方を愛するという「同族意識」があります。石器時代に人類がまだ部族社会で、戦いに負けると部族ごと皆殺しにされた時代があり、その時期に得られた進化であると考えられています。つまり、ヒトは「集団での戦いに燃える」ように出来ているのです。

サッカーの応援が多くの人を熱狂させるのも、こういった同族意識に訴えかけるからではないかと思います。フランスW杯予選のアジア第三代表決定戦、延長戦前にピッチ内で円陣を組む日本代表チームが映され、NHKでは山本浩アナウンサーがこのように実況しました。

このピッチの上、円陣を組んで、今、散っていった日本代表は、私たちにとって「彼ら」ではありません。これは、私たちそのものです。
http://www.ouchi.com/soccer/post_10.html

「『彼ら』は彼らではない、私たちそのものだ」

この言葉はサポーターの心境を非常に的確に表現していると思います。「俺たち」もチームそのものだからこそ、勝ったら世界を征服したかのような歓喜があるし、負けたら皆殺しに遭ったぐらいの絶望を味わう。スポーツ観戦がなぜこんなにも世界の文化になっているかというと、その背景にヒトの同族意識という本能を刺激する仕組みがあるからでしょう。

だがちょっと待ってほしい。本当に「彼ら」は「私たち」なのか?

日本という国は島国で国民の均一性も高く、サッカーで日本代表チームを「私たち」と投影することは自然なように思えます。僕も最近では田嶋がどうとかハリルがこうとか、いろいろ複雑な思いはあるのですが、だからといって「もう日本代表はやめてドイツを応援する!」という心境に至ることはないと思います。

しかし僕にとって、日本代表と柏レイソルとでは、位置づけが結構違うことに気付いてしまいました。僕は別に柏に住んでいる訳ではありません。熱心に応援しているといつの間にかチームが「私たち」になり、歓喜や絶望を共にしていると感じてしまいます。でも実際に居住している「日本」代表と違って、柏レイソルに対する同族意識は実は擬似的なもので、言ってみれば脳のエラーだと気づきました。そして一般的にもサポーターにとって応援チームは、石器時代の部族のように切り離されたら生きていけない共同体というわけではありません。

・「肩入れ」はサッカー観戦のスパイスである

2017シーズン、満を持して浦和レッズに「移籍」したつもりでいました。元々僕にとって浦和は、観客動員も多くて屋根付きの専スタもある、いわば「正義のクラブ」でした。そんなところを応援できることになって、誇らしさも感じていたはずなのですが……。

何だろう、なぜだか味気ないです。ACLも勝ち進んでいるのに。

その年の秋、柏が「昔の男」吉田達磨監督が率いるヴァンフォーレ甲府と対戦する試合がありました。この日に限っては、「今日は甲府をボコボコにする!」と意気込んで日立台に乗り込みましたが、何だか負けてしまいました。このままでは年が越せない……。

翌週、甲府での開催ですがFC東京対甲府の試合がありました。「今度こそ甲府をボコボコにする!」と東京サポ何人かに声をかけ、雨の中わざわざ甲府まで見に行きました。試合としては甲府が先制し、FC東京が一人退場したが同点に追いつき、1-1で終了という内容でした。甲府はこの試合で勝ち点2を落としたことが響き後にJ2降格となり、アンチ吉田としては非常に意義のある試合でした。逆にFC東京サポにとっては、この試合で勝ち点0でも1でもどちらでもよかったかもしれません。

その試合で1-1に追いついたゴールは、僕にとっては2017年で一番の歓喜を伴ったゴールでした(ちなみに同率1位はロシアW杯最終予選での、予選突破を決定づけたオーストラリア戦82分の井手口のミドルシュートです)。でもその後「なんであの試合であんなに喜んだんだろう?」と考えました。その結果思いついたのが、僕にとって吉田監督が「プロレスの悪役レスラー」のような位置付けになっていたということでした。

サッカーの試合結果に感情が動かされるというのは、勝ったらうれしいという気持ちだけでなく、自分の中で負けるべきチームが負けたら楽しい、というのも同じようにあるようです。悪役は言ってしまえばFunnyな存在で、そいつが何かやらかすのは娯楽として楽しいのです。吉田達磨以外だと、例えばジェフ千葉が繰り返していると何だかドリフのコントみたいで楽しくなります(ジェフが嫌いなわけでは全くないのですが、本当にすみません……)。僕はプロレスを見たことがないのですが、聞くところによるとプロレスは悪役を効果的に取り入れているようで、人間の感情をよく理解した世界設定だなと思います。自分なりの悪役をうまく設定して世界観を持つと、人生に彩りが出来るのだと思います。

そこで気づいたことが、サッカー観戦には「肩入れ」というスパイスがないと、文字通り味気ないということでした。

僕の生き方においては、サッカー観戦はご飯のようなものになりました。人はご飯を食べないと生きていけません。でも、食事には味付けが必要です。食べ物はカロリーとして摂取できればよいかというとそうでもなく、香辛料が効いていないと飽きが来て、そのうち食べられなくなります。そして試合の観戦においては、どちらかのチームに肩入れして観戦することが、絶妙なスパイスになるのだなと気づきました。それが片方のチームを応援することか、逆に悪役の負けを願うのか、どちらであっても香辛料になります。

スパイスが効きすぎると、普通の人には食べられない味付けになります。料理でも飽きが来ると激辛など過剰な味付けに走りがちですが、応援も行き過ぎると香辛料や塩分が濃すぎる感じになり、健康にも悪そうです。素材として美味しいものや、時々違った系統の料理をバランスよく食べるなどの工夫が、健康なサッカー観戦ライフにも必要とされているのかもしれません。


・2018年、柏に戻った理由

どうやらサッカー観戦には「応援」というスパイスが必要らしいと学びました。そしてACLに出場するということが応援のフックになるのではないかと考えて、2018年は柏が首都圏クラブで唯一ACLに出場したこともあり、再び柏を選択してみることにしました(天皇杯決勝で横浜Mが勝ってACL出場したらそちらを選択したと思います)。

2018年は年間順位17位で、柏はJ2に降格することになりました。応援の決め手になったはずのACLでも、香港のクラブに負けてグループリーグ敗退など、全くいいところのなかったシーズンだと思います。正直、2019年に応援するクラブを考えて「柏だけはないな」と思ったこともありました。でも急転直下、ネルシーニョが再び監督をやってくれることになりました。

過去のしがらみにとらわれず、ゼロベースで物事を選択することが知識社会の生き方です。ネルシーニョが柏を指揮してくれるなら、「ダメな元カレがようやく昔輝いていた勤務先に復職してくれるなら」、自分の人生の貴重な時間を捧げてもいいなと思いました。

・「クラブ」は微妙だが、ネルシーニョの「チーム」は応援したい

長々と書いてきましたがようやく最後の章になりました。僕は自分の人生を効率的にデザインしたいので、「方向性を間違ったサッカークラブと運命を共にするつもりはない」と思っています。俺の時間はそんなに安くない。

とはいえ、サッカー観戦をベースにしていく人生にとって、応援というスパイスは適度にあった方がよさそうということも学びました。そしてネルシーニョ監督です。

ここ数年色々やってみて、サッカーチームを心から応援出来るというのは、限られたタイミングでしか味わえない幸運なのだなと思いました。まず自分が思い入れを持たなければなりませんし、チームの方にも応援するだけの価値を提示してもらわなければなりません。チームにもピークや事情があり、サポーターも転職したり子供が出来たりします。思い入れと価値とが釣り合わなくなった時に、愛が終わるのでしょう。

クラブとしての柏レイソルには疑問がいっぱいです。経験の乏しい指導者を監督に置きがちであったり、本来はJ1ライセンスが下りないスタジアムについて今後の方針がなにもなかったりで、「彼ら」を「私」とは思えなくなっています。

とはいえ、人生は長いようで短いです。自分の時間は安くないのですが、自分一人で楽しめることも限られています。「クラブ」としての柏レイソルと運命を共にするつもりはなくなっているのですが、ネルシーニョが作る「チーム」には価値があるはずだと思います。それを思い入れを持って応援出来ることは、タイミングの限られた幸運であり、今後の人生でもまた訪れるとは限りません。

短い人生のうちのこの1年、自分が楽しむために、ネルシーニョに心臓を捧げます。美味しく料理して下さい。1年間よろしくお願いします。

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本編はここまでになります。
この先はおまけ部分で有料記事となります。本文の趣旨とは直接関係ありませんが、僕が2017年に応援するクラブとして浦和レッズを選んだ過程についての話です。本文が冗長になったのでいくつか削除した段落の一つです。

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