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紫式部に心惹かれて…

大河ドラマ『光る君へ』をご覧になっている方も
そうでない方も
こんにちは。まるるるフラワーです。

ワタシは淡々と楽しみにしています。
だんだん面白くなってきたかな☆

合戦のシーンとかがあるわけじゃないから
盛り上がりに欠けるけど
なんだかその分
華やかさの裏に拭いようのない不安の濃い影があるというか
ココロの闇みたいなものに焦点が当たっている感じ☆

これまで源氏物語は
漫画で『途中』まで読んだり(借りて読んでた)
映画で『途中』まで見たり(物語の最後まで描かれていない)
『断片』がずっと自分の中に残っていたんですよね~

八犬伝と同じで
長すぎて映画とかドラマにするの難しいんだろうな~と
(八犬伝は碧也ぴんく先生のコミカライズが神なので
なかなか原作に手が出ないんだけども)

最後どうなるんだろう?

と、ふと思いまして
知りたければ自分で読むしかないよねと
思い立って去年1年くらいかけて
瀬戸内寂聴さんの現代語訳版を読むことにしたのです。

その時
図書館のホームページで検索してたら

前回の記事で少し書かせて頂いた
河合隼雄先生が
『紫マンダラ―源氏物語の構図―』という
源氏物語の河合先生の解釈本とでもいうのか☆
これがヒットしまして

河合先生のご本大好きなワタシとしては
(全部は読んでない)

直感で『この本絶対面白いよね!!』と☆
読みたい!!!と強く思いました

でも
読むなら源氏物語を最低一読しといた方が
いいんだろうなって

『この本を読むために源氏物語を読み通すのじゃ!!!』

それが励みになりました

しかし
いざ図書館でその本を借りようと検索したら
なんと!
なくなっていたのですよね~…
なんだろう?
リユースされてしまったのだろうか…

なので
自分で買いました。
そして
先日こちらも読み終わったのです

ワタシの勘は正しかった✨

源氏物語に登場する女性たちは
紫式部の内界に住む女性たちではないか?

という視点から

『平安時代の恋愛もの』っていう薄っぺらい認識を
覆してくださった!

そうそう!
ワタシそう言うのが読みたかったんじゃ!!(≧▽≦)

紫式部は男性優位あの時代にあって
男性に対する女性
娼・母・娘・妻という関係を一通り超えて
「わたしとはなにか?」みたいな
己の生き方をいち早く模索した女性であったのかも☆

出てくる女性たちは
紫式部の分身なのではないか―――なるほど☆

源氏は最初『神的存在』で何をしても
許されるみたいなところがあったけど
『恐怖』を感じたあたりから人間臭さが出てきて
紫式部の意図通りに物語が進まなくなってきたみたいなお話も(*´ω`)

宇治十帖は別人が書いたのではないかとかいう説もあるようですが
河合先生のお話を読むとなるほど納得です。

『紫マンダラ』を読むと
紫式部こそ5次元意識に辿り着いた最初の女性なんじゃないの???
とか思ってしまう。

だから源氏物語は千年の時を超えて
いまだに読み継がれているのでは?と―――

以下、本文からの抜粋です☆

おそらく、宇治十帖に至った時、現実は不明としても、
心理的には出家を経験した後の彼女(紫式部)は、
物語の前半部分とはまったく異なり、
自分の意図を放棄して浮舟の動くままにした―――
つまり式部自身が限りない受動に身を任せたのではなかろうか。
(中略)
浮舟は、ただ来るものをすべて受け入れたまで
薫や匂宮との関係において何かになろう、
などという意志もなかった
のではなかろうか。
男との関係において自己を規定することなど考えるまでに、
ひたすらすべてを受けいれ、死さえ受け入れるほどであった。
 再生後の浮舟の厳しさは、見事なものである。薫とか小君とかの
関係によってではなく、自分の中から生じてくるものを基盤にもって
個として生きる

河合隼雄先生『紫マンダラ―源氏物語の構図―』 第五章 個としての女性より


ここを読むだけでなんかこう胸が熱くなります~…(*´Д`*)

『灯を消す方がよく見える事がある』
(前回の記事であらすじに触れております)

と相通じる部分があるように思います

出家って
『この世に生きながらこの世のものではない者』
になるのですよね

『闇堕ち』に通じる部分があるとワタシは感じるし
5次元意識をもって生きる事のように思えます

寂聴さんは浮舟の出家のシーンが事細かに描かれていることから
紫式部は出家を果たしたのではないかと書かれていたような(うろ覚え…)

浮舟のこのような態度は『横川の僧都(宗教者)でさえ』
理解する事ができなかったとありますから

いくら道心をもって生きようとする薫(元カレ)だとしても
到底理解が及ばないって事でしょうね~…

だって『人類みな童貞』
(BYのりさん(5次元夫婦☆あゆのり) 天才( *´艸`)

『生きてたんなら水に流すから戻って来い』
そういう次元の話ではないと🌟
(僧都でさえ浮舟にそれを勧めるのですから
 僧都と言えども達観した女性には到底及ばず
 意識が童貞や~っちゅうことでしょう🌟)

ワタシも最初に読み終えた時は
再会してハッピーエンドにならないんだ、と思いましたがww

ホントこれ思い込み☆

それが『幸せ』と思い込んでるに過ぎないよね~…根深い!

周りがなにを言おうと
自分が何を求めているかの答えにちゃんと浮舟は辿り着いたんだな✨
(また名前がいいよな~…
 そして川は時間の流れとか
 境界線のメタファーに使われる事多いよね)

そして

この本の結びに書いてあることがまたすごいのです

ここに紫式部が大きい努力を払って描いた
「個としての女性」が、
もし同様に「個としての男性」として生きる人物に出会ったとき、
どのような関係が生じるのだろうか。
おそらくこの課題は、紫式部以後、約千年が経過した今日、
次の世紀へと持ち越されるのではなかろうか。

河合隼雄先生『紫マンダラ―源氏物語の構図―』 第五章 個としての女性より

この『出会い』が新しい時代を解くカギになりそう( *´艸`)
なんて
千年かけて本当の意味での意識の童貞を脱ぎ捨て
個としての男性に目覚めた人がいるのだろうか―――

あ!
ワタシあの人(笑)以外に
ひとり思い当たる人いるんですけどww

『江戸川コナン君』!!
(新一くんじゃなくて)

黒鉄の魚影見て特にそう思ったんですけど
あんな二極なハイスペック他におらんっっ

冗談(いや本気なんだけど)はさておき

紫式部が千年も前にこの領域に辿り着いていたことが
本当に凄すぎる✨✨✨

『紫マンダラ』が21年前に書かれた本だなんて!

直接の知り合いじゃ全然ないし
お二方とも現世にはもういらっしゃらないのに
なんだか繋がっている感じがある…

あ~こういう事に思い当たるとなんか泣けてくるんだよな~
これも『縁』だな~…

こういう出会いがあるから読書はやめられない…

さて
長々と取り留めのない文章に
ここまでお付き合いいただきありがとうございました

また次の記事でお会いしましょう
それではまた( ´∀`)ノ

よろしければ 活動を支援して頂けると大変ありがたいです(*´ω`)