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東京に来て早半年・・・

東京に来て、もう半年以上経ってしまいました。

みんなお互いに無関心で冷たい...

これが、私が東京に来る以前に抱いていた東京に対するイメージです。
このイメージがついたきっかけは、高校3年生の時、卒業式を終え友人と卒業旅行で東京を訪れた時です。ワクワクの東京観光で、ましてや一緒にいるのは友人だけという状況に、私たちはとても興奮していたのを覚えています。
東京に着いてすぐ、私たちは目的地に向かうため地下鉄に乗りました。丁度並んで空いている席があったので向かうと、周りの乗客がやたらこっちをチラチラ見ていて奇妙でした。不思議に思いながらも座った瞬間、友達の1人が声をあげて座席から飛び上がりました。
確認するとその座席は濡れていて、服が汚れてしまうほどでした。それを知った私たちは、初めてほかの乗客がチラチラ見ていた理由が分かったのです。よく見れば気づけたのかもしれませんが、なぜ誰一人として座席の汚れを教えてくれなかったのでしょうか。
ましてや私たちが困っている様子をみてからも、かわいそうという顔をするわけでもなく、まるで何も起こらなかったような様子でいるのです。そこには私のイメージ通りの「東京」があったのです。

それからしばらくは偏見だろうと考えながらも、東京は冷たい場所で、東京の人は他人に興味が無いというイメージは消えませんでした。さらには、東京に住むと自分も冷たい人間になってしまうと思い、絶対こんな東京で働かないと言い切っていた時期もありました。

そんな私は、高校卒業後、母の勧めもあり、アメリカの大学に留学することになりました。現地はいろいろな国籍の人々がたくさんいることもあって、それぞれの人が多種多様なバックグラウンドを持ち、見た目や少し話しただけでは理解できない個性があるのだと気づかされました。
例えば、タトゥーだらけで、顔面ピアスだらけのめちゃくちゃ怖そうな人も、授業の中で交流を深めるなどをしていくにつれて、とても気を使ってくれる優しい人だったり、逆に、見た目が優しい人でも、実はとても性格の悪い人だったりするわけです。

人々はコミュニケーションを通じて相手の文化を理解することで、共存していたのです。今までイメージで人々を見がちだった私は、世の中には自分の想像を超えた色んな人が居て、話してみなければ本来のその人はわからないと理解することができたのです。

今私は、縁があり悪いイメージのあった東京で働き、たくさんの人々と出会い、交流してきましたが、ここもアメリカ同様、優しい人もいれば、イメージ通りの塩対応の人もいて、やはり結局は直接話したりしてみない限り、その人がどういう人なのかというのはわからないと痛感しています。「東京=冷たい」は偏りすぎた間違った考えだったと反省です。

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