ピーターパンに恋したティンカーベルになりたい女の子

私の初恋について書き残す。タイトルをラッキーストライクにするか悩んだ
当時、高校生だった私は12歳年上の人に恋をした。

わたしは当時18歳で上のカフェ友達の影響で、いろいろなカフェに行っていた。まだコーヒーは飲めない紅茶やホットショコラなんかを飲んでいたと思う。(紅茶を買いに行くデートというのをしたのもこの頃。この時の小さなエピソードもいつか書きたい。)

12歳年上のHさんは当時雑貨屋さんをしていた。部活を引退した夏。私は友達と雑貨屋さんや古着屋さんに行き暇な時間を持て余していた。そんな時に出会ったのがHさん。当時29歳。彼はビートルズが好きでよくBGMにかけていた。居心地がいいと感じた私は学校帰りに寄るようになった。

高校生の私は自意識も何もなく、興味の赴くままに行動するタイプだった。店に通い出して学校のこと、友達との諍い、好きな音楽、読んだ本の話、など話していてHさんは下を向いて、笑いながら興味がある話題は時折顔を上げて意見を言いつつ、話をきいてくれた。そのうち、Hさん自身の過去の話、家族、遠距離恋愛中の恋人の話など、私が話すより、聞くことが増えた。そして「うきまには話せるんだけどなあ」とぽつり。その言葉ですっかり嬉しくなる18歳の私。
こういう言葉に対して疑いもなく嬉しくなる幼かった私。そして夏も終わり、コートを着る季節が来ても雑貨屋の奥に座ってお喋りをするのが日課となった。

 ある時学校の図書館で、ピーターパン・シンドロームという本を読んだ。とても興味深い内容だったので、その話をHさんにした。すると「俺も読んだことある本だけど、このピーターパンは俺だと思った」と言い始めた。
そして私は、彼にとってのウエンディになることは叶わないことを知りながら、この人に1年間片想いしていることを自覚する。

Hさんの言った「うきまには話せる」というのは、私が彼の世界にいないか言える言葉だった。大人になれない自分を曝け出し、過去の悩みを昇華する話し相手。30歳の彼は18歳の心で止まっていたように思う。
「明日彼女が自分の誕生日を祝いに来る。めんどくさいし、逃げたいなあ」ということを話すので「なんで?好きな相手がきてくれるのに?」ときいた私。「好きな相手というよりなんでもやってくれる人だから好きなのかも。きてほしい訳ではない。あっちが来たいだけ。うきま明日来たら祝って」と言い出す。そして間にうけて、本当にケーキを焼いて持っていくと店はお休み。ああ、そうか、私じゃない、そりゃそうだよな恋人がいるんだもんなと呆然とする秋。(「ケーキ作ったのにな」と思いながら学校に持っていき、その残念なケーキが素敵な思い出に変わるのは別の話)

私じゃないんだな、と気づいて冬になって。じゃあ私はHさんにとってのどんな存在なんだろう?と考える。彼の年齢にイメージがもてない18歳。雑貨屋じゃなくなってカフェをすることになってからもゆるく通い続けていた。春になって大学生になって、友達がその店で働き始めたこともあり、定期的に通っていた。
するとHさんは夏に結婚をすると伝えてきた。「結婚したいの?」と聞くと「結婚する流れになっちゃったけど、本当はしたくない」と言い出す。大学生になって広い交友関係ができて、いろいろな人と出会う中で「この人、ピーターパンだって言ってたな」と思い返す。私は彼の友達にはなり得るけど、恋人にはなれないのだろうな。そう思ったから告白した。春の新歓コンパ前に。
(私は告白がうまくいかないことを悟り、その後に友達と会う約束を入れることが多い。)

今でもBGMがcome againだったのを覚えている。

「好きだよ」というと「うきまに好きになってもらって、俺は俺でいていいんだと思えたよ」と最後まで自己中な返事だった。その言葉でも、私は泣いた。私は恋人にはなれない事実を知っていながらも、お店の奥でおしゃべりした、好きだった尊い時間を想って泣いた。

その涙を流して新歓コンパで友達に慰められた夜から、私はティンカーベルのように生きようと決めた。そして自分がウエンディになることはできない。ということが意志としてある。ピーターパンの望む役を引き受ける人に私はなれない。
本の中では、ティンカーベルは自立した女性として描かれている。対等な関係を望まないピーターパンにとっては、ティンクのいう「一緒に成長」はしたくない、子供でいたい。だから、そんな彼に付き合っている時間はティンカーベルにはない。
彼の年齢を越した私は、ティンカーベルになれているかはわからないままだが、誰かの心の灯火のような存在になれればと思いながらゆるく、楽しく生きている。


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