言い訳だけが人生だ

言い訳をするというのは大切なことだと思っている。
自分の中で行動しないことに対して言い訳ができることが大切で、言い訳すら出来なくなってしまったら精神的にどうかしてしまうのではないかと心配してしまう。

私は昨年、それなりに足を向けた地下アイドルの現場というのがあった。
けれど、昨年末には今後行かない可能性について考え始めるようになった。
そのことに関して、とりあえず言い訳だけでもしっかりと言葉にしておかないと今年も先に進めないような気がしているから、書いておこうと思う。
これから書くことはただの言い訳でしかない。
私の中での言い訳だから、読んだ人が自分のオタ活を考えるなんてことはする必要がないし、行動を変えるなんていうのも何の意味もないと思う。全ては私の中での感覚でしかないことをとりあえず書いておこうと思う。

私は普段AKB48の特定のメンバーを推している。自分の中の感覚と合う表現かどうかは置いておいて、いわゆる「神推し」というものだと思う。
そんな、「神推し」のいる私にとって、それ以外のアイドルは前回のものにも書いたが、つまみ食いのようなものでしかない。
「推し」だと言えるほどではないが、そこそこ好きなアイドルというのがそれなりの人数いる。
そんな状態で、48グループではない地下アイドルの現場に足を向けてみた。

そこで気づかされたことは、行くことの意味だ。行けないにせよ行かないにせよどちらも同じこと。そこにいないと意味はない。
地下アイドルでは48や46のように「当たらなかった」という言い訳ができない。
どんな現場も行こうと思えば行けるものでしかない。

そのアイドルにとって、とても大切な現場というのは確実にある。そのアイドルを推すのであれば行っておいた方がいい現場。行けなかったにせよ行かなかったにせよ、そういう現場にいなかったというのは、今後も見ていく上で罪悪感みたいなものにつながってくる。

そういったものに鈍感であればいいと思う。ただ、そういったものに鈍感でいることが許される程度の軽さで彼女たちはアイドルをやっているわけではない。そう感じてしまった。

そう感じてしまった以上、このまま続けるという結論は出せなかった。
そして、私は次同様の事態になったときに、仕事の調整をして行けるようにするという行動は取らないだろうと感じてしまった。言ってしまえば、"その程度"の好きでしかなかったということに気づいてしまった。
だから、私はそのアイドルの現場に今後積極的に足を運ぶことはしないと思う。

私にとって、アイドルを見るというのは確かに単なる趣味でしかない。だから、軽い気持ちで行っていいのかもしれない。
でも、アイドルたちは趣味ではなく人生としてやっている。その人生としてやっていることに対して向き合うだけの重さは私にはなかった。

これが、オタクの多いアイドルだったらいい。別に私自身が軽くても、同じように軽い人間が大勢いても、その総量で言えば人生としてやっているアイドルの重みに釣り合うようになるからだ。
ただ、オタクの少ないアイドルは違う。アイドルの人生という重みに対して一人一人のオタクが背負わねばならない重みの量が全然違う。

私のように、気持ちは軽いのに重く考えるオタクでは、地下に通い続けることは難しかった…

という長い長い言い訳。
言い訳だから言葉の量も増えてしまい、同じようなことの繰り返しになってしまっているとも思うけれど、仕方がない。
自分の中の軽さと重さに向き合いながら2020年のオタ活の方向性を見つけていきたい。

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