オタ活振り返り

2020年のオタ活を数日前に振り返ったにも関わらず、何故だか急に今までのオタ活を振り返りたくなってしまった。
2014年から数年分のオタ活を。

思い出に残っていることは色々ある。
普段、そういう風に1年以上前のことを思い起こすことは少ない。
基本的に昔のことは忘れてしまうし、そもそも思い出というのは美化されるから、思い出し始めるとその中に浸かってしまって今後はそれよりも悪くなるんじゃないかと不安になるからだ。

ただ、この年末だけは、少し昔のことを思い返しておこうと思う。
整理しないと、訳がわからなくなりそうだから。

2014年5月。
この日、俺のオタ活は色々と変化せざるを得なくなった。
詳細は割愛しよう。
これに関してはいい思い出というわけではないし、このタイミングで思い出す必要のある出来事というわけではないと思うから。

そういうわけで、とりあえず2014年7月から。
2014年7月。
映画「青鬼」の舞台挨拶。
数ヶ月ぶりに生で見た機会だった。
それよりも前に劇場には姿を現していたけれど、俺はその公演はオンデマンドで見たに過ぎない。
そんな中、初主演映画である「青鬼」の舞台挨拶に登壇するということでその舞台挨拶のチケット発売の瞬間にコンビニの端末で購入。
なんとか入手したその席は最後列。
でも、その空間にいられることが嬉しかった。
映画自体はさほど面白くなかったし、演技もお世辞にもうまいと言えるようなものではなかったから、それ自体はまぁどうでもいい。
とにかく、舞台挨拶で楽しそうに話すその姿を見て、戻ってきてくれたんだということを実感した。

2015年2月。
劇場公演、生誕祭にて復帰。
その場にいることができてこれも幸せだった。
その日の生誕祭でのコメント、「大きな音がすると今でもこわい」というその言葉。「弱い私」というその言葉。
それから、その言葉をすぐに否定してくれた当時の総監督の言葉。
公演終わりに流れる、最新アルバム表題曲「ここがロドスだ、ここで跳べ!」のメロディ。
無理やり仕事を休んで入った公演だったけれど、本当に入ってよかった。

2016年3月
その日の生誕祭には入れなかったけれど、結果的にそれでもよかったように思う。
感動というのは、たとえ現場にいなくても、後から見ても味わえるものだということを感じられたその劇場公演。
20歳で卒業するつもりだったけれど、それをやめたと語ってくれたその公演。
「私は全然強くないけれどみんなが強くしてくれた」と語ってくれたその言葉。
一年前の言葉からの変化に公演画面が終わってからも何度も思い出して涙が出た。

2016年8月
AKB第一党感謝祭。
全てが変わったように思った日。
その日まで、2年間、あなたの推しだということを間近で見せることができなかったけれど、その日は確実に伝えることができた。
直接言葉を交わしたわけではないし、近くに来たわけでもない。それでも、周りの大勢の「入山杏奈推し」としてそのイベントに参加した人たちとでその光景を見せられたそれだけで、十分幸せだった。
その日、全く眠れずに、勢いでブログを書いてしまうほどには。

https://ameblo.jp/maruryuu87/entry-12188320598.html

2016年9月から10月
舞台「歌姫」
ヒロインとして出演した舞台。
大阪で1度、名古屋で1度、東京で2度観劇。
「青鬼」では然程演技が上手いわけではないと思ったけれど、その後、朗読劇「アドレナリンの夜」や映画「9つの窓」のようなAKB内のメンバーと共演するものを見る度に演技も好きになってきていた。
そんな時期に決まった舞台。
ただ、その他の出演者たちの中で埋もれないか、なんでこんな子がヒロインをやっているんだと思われないか不安ではあった。
だけど、そんな不安も最初に舞台上の姿を見た瞬間、吹き飛んだ。
第一声を聞いた瞬間、何故だか涙が出そうになったことを今でも覚えている。
4度見ても飽きることのない、素晴らしい作品に出会えたこと、本当にいい経験だった。
そんな舞台出演者と一緒に入山杏奈センターのフライングゲットを見られたのはちょっとレアないい思い出。

2017年3月、4月
写真集「美しい罪」発売記念トークイベント
2回行ったけれど、特によかったのは2回目。
抽選で当たった人だけが参加できたイベント。
今は亡きトップリードのお2人が司会をしてくれて、全編楽しませてくれた。
SHOWROOMでも配信されてたけど、それでどう見えていたかは分からない。
海外に行くのにパスポートを忘れたという話、あの時期に何回聞いただろうか。

2017年9月
じゃんけん大会
AKBで、練り歩きタイムが定番化してきた最中でのイベントだったし、推し席ということもあってどう対応するのか不安に思った記憶。
それは、感謝祭の時は2階席だったけれど、この時はアリーナだったから。動線上他推しのオタクの前も通るから。
それでも、スタッフがつきながらできる限り近くに来てくれて。嬉しかった。

2017年11月
入山∞(インフィニティ)
イベントではないけれど、この数年間での一番強い思い出。たぶん、オタ活のピーク。
Twitterでの投稿をきっかけに、2日間、4食連続で入山杏奈さんがプロデュースした激辛ラーメンを食した。
そのことをTwitterに投稿。本人よりリプライをもらう。
当時のアカウントは凍結されてしまったけれど、あの日のことは今でも忘れない。

実際に4日も連続で同じものを食べてみると分かるけれど、やっている当日よりも次の日の方がきつい。本当になんでこんなことしたんだろうと終わった今になっては思う。

2018年1月
AKB劇場元日公演
2014年以来、4年ぶりの元日公演。
劇場で見る久しぶりのパフォーマンスに目が離せなかった。正直、他に誰がいたかよく覚えていない。記憶にあるのは、柏木さんの書き初めに当選したこととお見送りの際に声をかけたけれど流れが速くて伝わったか確認できなかったことぐらい。

2018年3月
AKBセンター試験
なぜか当日受験票を自宅に忘れたことに行きの電車の中で気が付き参加できず。
そのせいでメキシコ行き発表の現場に立ち会えず。twitterでそのことを知り、その場で手紙を書いた記憶がある。
あの受験票を忘れたのはなんだったのか今でも分からない。

2018年4月
AKB48 SSAコンサート
メキシコ行きの壮行会も兼ねたイベント。昼の部はアリーナの二列目からステージを見ることができた。
結局劇場で見ることがなかった「She's gone」を近くで見ることができたことに感動。目に焼き付けようと必死になってステージを見た。
いい壮行会イベントだった。


それから2018年は、メキシコのドラマをできる限りネットで視聴して知らない言葉で演技をする姿に違和感を抱いたり、ストーリーがつかめずに視聴を断念したり。
youtubeを初めてくれたこと自体は嬉しかったけれど、メキシコから帰ってこない寂しさを抱えながら2019年を過ごしたり。

そして、2020年、一時帰国中に緊急事態宣言が発令。
メキシコに戻れなくなったことで日本での活動をしている姿を見ることができたのは嬉しかった。
youtubeで作っていたメキシコ料理とハンバーグを作ってみたこともあった。

とりあえず、こんなところ。
2014年5月以降、確かに接触イベントはなくなってしまった。しかし、それでも簡単に思い出しただけでもこのぐらいは思い出がある。
一対一のやり取りがなくても、ここに書いたことは俺と入山さんとの思い出なわけだ。
それで十分満足だった。それでいいと思っていた。
だけど、

2021年1月16日と1月17日
入山杏奈さんとのオンラインでのお話し会が行われる。
俺が最後に握手会で話したのは2014年5月6日。
実に2447日前ということになる。
当日、どのような気持ちでその時を迎えるか、全く想像がつかない。
こうして思い出をまとめてみても、よく分からない。
何を話せばいいんだろうか。そもそも俺は6年前、どんな感じで話していたんだろうか。
不安も大きいけれど、楽しみも大きい。

2014年。状況は変わった。
それでも、俺はその中で喜びを見つけてここまで過ごしてきた。たとえ、入山さんと直接会話を交わせなくても、このままの日常がずっと続いてくれればいいと思ってきた。

2020年。それから、また状況は変わった。
そんな状況が変化したおかげで始まるものもある。
新たな状況になっても、その中で自分の中で喜びを見つけて、このままの日常が続いてくれると思っている。
「永遠より続くように」と。

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