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ボディポジティブ×ワンサイズ痩せた喜び

ワンサイズ痩せて3Lになりました。

入らなかったズボンがするっと入った時まず思ったのは「うれしい」。
その次に思ったのは「痩せるのを喜ぶのはボディポジティブではないんじゃ?」だった。

口元が一瞬緩んだのに、すぐへの字になってしまう。

ボディポジティブっていうのを意識するようになったのが、自分が20キロ以上太り、SNSでプラスサイズモデルを見た時から。

そのこともあり、
私の中では「ボディポジティブ」とは
身体に対してあかるいきもちをもとう、という意味で捉えていて、

それがいつからか

太った自分に対してネガティブに思ってはいけない、ありのまま愛さなくてはならない、という歪んだ縛りになっていた。

あいしたいのにあいせない感覚で苦しくなっていたのである。

「やせるべき」と他人に言われ、それが自分に内在化していたのが苦しくて、プラスサイズモデルを見た時は本当に輝いていて自分には救いになっていたのに、

今度は誰に言われたでもない
「太っていてもプラス感情であるべき」
という呪いを自分自身に勝手にかけていた。 

でも
”本当の”自分の内なる声はどこにあるんだろう? 


入らなかったズボンが入った瞬間、たしかに私は「うれしい」と感じた。

ゴワゴワでコンプレックスだった髪をケアしてみたら、
黒々と輝いてみえた

アクセサリーをしたら指はきゅうくつそうだけど、ちょっとみせびらかしたい気持ちになった

そんな瞬間もあった

でもいやなところもそりゃあたくさんある

ひび割れた唇、アイシャドウをのみこんでしまう一重まぶた、おおきいりんかく、短くて太い足………

それらも、愛さなくちゃいけない?変わっちゃいけない?


同じようにみえる状態でも、
自分の肌やたるみ、重さ、ボリューム、目や鼻や口のつくりがひどく醜く思えて目をそらしたくなるときもあれば

服やメイク、アクセサリーと自分がカチッと噛み合ったように、気に入るときもある

それの違いはなんだろう?

それはたぶん
やせて嬉しく感じたのも、自分の姿を醜く感じるのもどっちも「自分がいいと思えるかどうか」ってことなんだと思う。   

いやなところもある、すきなところもある

それが「ありのまま」であり、どちらかを愛すべきというわけではないんだよなあ  

「いやだなあ」と思うのも「いいかも」と思うのも自分
それなら「いやだなあ」を「いいかも」に近づけてもいいし、
自分がそれほど気にしないなら「一旦保留」しても別にいい

それは変わっても、加速しても減速してもいいんだ

自分への「べき」「ねば」はあらゆるところで顔を出す。
「まとめて削除」はできないから、
1個ずつクリックして開いて整理して考えて、そうやって1つずつクリアしていくしかないんだと思う、きっと。








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