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霊能者が語る 妻とのあの世日記 第169回 「誕生日とか記念日のイベントには介入してるのか?」

「2月28日の命日に、墓に行ったらたまたまお姉さん夫婦と会うことができたがね。そこで色々久しぶりに話すこともできて良かったけど。こういうのはあの世からの導きなんかね?」
「そんな力あると思う?」
「そんなロマンのないこと言ったらダメだが。嘘でも「そうだ」くらい言ってた方がいいのに」
「そこで会うタイミングだったからそこで会うので、私たちが介入してるんじゃないと思うわよ。ただ、話してるところに私が意識を向けられるから「あ、二人あってるな」くらいは思うけど」
「あの世から巡り合わせを計画するとかではないと」
「あの世から、ではなくてもっと違うとこからよ。今の私ではない意識とかそんな話あるでしょ」
「あの世の上の段階に移行した未来の妻からの導きってことかいな」
「そう、だから今の私からすると「そんなことしたっけな」と思うだけよ」
「でも、高次元の妻が導いてる可能性もある?」
「そもそも、人の出会いと別れって何かが後で作用してるというより最初から決まったイベントみたいなものじゃない。そこに生きてる人同士だけで完結させてしまうから「あの世からの介入か」とか思うんでしょ。
あの世の人間もこの世の人間も、同じイベントの中で動いてるだけだから、お墓で二人があって、そこで私が気づいて、そんな出来事がその日に起こったでいいじゃない」
「あの世の妻の導きではなく、あの世の妻も含めた出会いの奇跡が起こった、って感覚になるんかね」
「そうね。前も言ってるけど私たちはあなたたちが意識向けないと認識できないって話」
「いや、その話を最近聞いてるから、先にこうやって人が出会うように導くほどの動きをあの世1からできたっけな?と思っただけだよ。
どのあの世からの影響になるんかね。あの世3あたりなのかな」
「私に聞かれてもわからないわよ」
「一応、ここの対話はあの世1の妻との知識と経験についてのみなので、その上の妻については別物として扱うように考えてるけどね」
「上から見た視点だと全ての導き、下から見ると偶然の出会い、それでいいじゃない」
「まあでも亡くなった人から導かれて出会った、という方がロマンがあって多くの人が受け入れやすいと思うよ」
「あの世の人もその出会いに参加してると思ってもらった方が、死んでる身としては生きてる時と同じ扱いで嬉しいけど」
「そういうもんかね」
「そんなものよ」
「でも、たとえばそろそろ妻の命日だな、と考えると意識がそっちにつながって、あの世の妻から認識されるやん。それで「じゃあこの二人が出会うようにタイミングを合わせよう」とかやったりしないんかね?」
「多少はこっちも考えるから、それであなたたちの動きが変わることはあるかも」
「それが、あの世からの導きってことじゃないん?」
「そうかしら」
「こっちから見るとそういう見方になるよ」
「そんなものかしらね」
「じゃあ、とりあえず今回は妻の導きだったでいいじゃん」
「導いてるほどの気持ちはないんだけどね」
「つまりあの世からすると普通の出来事だから気にならないのでは?」
「そうかもね」
「で、ついに50歳になったんやけど」
「おめでとう」
「なんて気のないお祝いの言葉か」
「年取って嬉しいとか思ってないでしょ」
「霊的な感覚は鋭くなってきたなと思ってるけどね」
「霊的に強くなっても体力とか健康が悪いなら意味ないわよ」
「そこもバイク変えてから、なんか調子いいがね」
「気分の問題よね」
「で、誕生日とかに何か残された人に対してあの世から祝いを送ったりとかするん?」
「あなたが思ったらするかも」
「宝くじとか当ててくれんかな。って思ったけど」
「それは無理ね」
「でも、その日は嬉しいことはあったね」
「そういうのが私たちからの贈り物と思ってるといいじゃない」
「それでいいのかね」
「心が満たされる経験が、あの世からの贈り物よ」



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