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ゲイだから不幸だとか、決めつけないでくれ。

生産性。

今年の流行語大賞にでもなってしまいそうな、今が旬のこのワード。自民党・杉田水脈衆議院議員が「新潮45」に寄稿した記事の中の言葉です。

全文はこちら↓

記事の全体的な考察は後ほど述べたいと思うのですが、まずは「生産性」に関する部分を抜粋。

例えば、子育て支援や子供ができなカップルへの不妊治療に税金を使うというのであれば、少子化対策のためにお金を使うという大義名分があります。しかし、LGBTのカップルのために税金を使うことに賛同が得られるものでしょうか。彼ら彼女らは子供を作らない、つまり「生産性」がないのです。そこに税金を投入することが果たしていいのかどうか。にもかかわらず、行政がLGBTに関する条例や要項を発表するたびにもてはやすマスコミがいるから、政治家が人気とり政策になると勘違いしてしまうのです。

ということなのですが、僕がこのニュースを知ったとき、怒りの感情は特に湧かなかったんですよ。最初に浮かんだのは「また(こんなこと言うヤツが出てきた)かー」「頭悪っ!!(←こんなこと書いたら、ある程度のバッシングは予想がつくはず。もしかしたらそれすら計算済だった可能性もありますが)」でした。自分でも驚くほどに、感情が動かなかったんです。

そしていま、この方に思うのは、


「残念なひとだ」


これに尽きます。

昨日、彼女が寄稿した記事全文を読んで、その思いはさらに強くなりました。

「生産性」という言葉が独り歩きしている印象を持っていたこと、また、Twitterで「杉田議員の記事全文を読めば、杉田議員を賛同したり擁護する人の気持ちもわかるはず」というツイートを読んだこともあり、昨夜、記事全文を探して読んでみたんです(↑のリンクから読んでみてくださいね)。

そしたらなんとまあ!賛同や擁護するどころか、


残念!!!!!


開いた口が塞がりませんでした(笑)。こんなひとに国家の運営はしてほしくないな、というのが正直な感想でした。

ホント、ツッコミどころ満載で(トホホ…)。だけど、全部書いたらキリがないので、いちばん書きたいことだけ書きます。最も僕が気になったのは以下の部分。

一方、LGBは性的嗜好の話です。以前にも書いたことがありますが、私は中高一貫の女子校で、まわりに男性はいませんでした。女子校では、同級生や先輩といった女性が疑似恋愛の対象になります。ただ、それは一過性のもので、成長するにつれ、みんな男性と恋愛して、普通に結婚していきました。マスメディアが「多様性の時代だから、女性(男性)が女性(男性)を好きになっても当然」と報道することがいいことなのかどうか。普通に恋愛して結婚できる人まで、「これ(同性愛)でいいんだ」と、不幸な人を増やすことにつながりかねません。

まず最初の「性的嗜好」というのが間違っているんですが、それは置いといて(正しくは「性的指向」です。寄稿前に勉強してほしいですね。もしくは校正の方、気付いて直してくださいな)。

普通に恋愛して結婚できる人まで、「これ(同性愛)でいいんだ」と、不幸な人を増やすことにつながりかねません。

何をもって「普通」と定義するんだ!という思いを、僕はゲイだと自覚した大学生のころから常々思ってきたので、まずそこに引っかかりを感じるのだけれど、そこもすっ飛ばします。その後です。


「これ(同性愛)でいいんだ」と、不幸な人を増やすことにつながりかねません。

何それ。同性愛者は不幸だと?


同性愛者を勝手に不幸扱いしてんじゃねぇよ!
俺はゲイだけど、いま幸せに生きてんだよ!!


幸せか不幸かなんて、他人が決めるものじゃない。ましてや、国に決められるものでもない。自分が自分で決めるものじゃないの?

「これ(同性愛)でいいんだ」

そう思えたなら、それだけで幸せじゃない?異性愛のひとたちは

「これ(異性愛)でいいんだ」

なんて思ったことないと思うんです。「異性愛はおかしい!」なんて言うひと、周りにい(たことあり)ますか?もしいなければ、そんなこと考えたこともないはず。だけど、同性愛者の多くは自らのセクシャリティに関して、人生のどこかで葛藤が芽生え、抱え、死ぬまで抱え続けるひともいる。もちろん、途中で手放すひともいるけれど(一部全然葛藤のないひともいるにはいますが)。

「これでいいんだ」

そんな風に自分で自分のことを思えるようなひとが増えていったら、ステキだと思いませんか(極論が出そうなので先に書いておきたいと思いますが、「これでいいんだ」というのはあくまで自己肯定を示す言葉であり、自己肯定+他者否定を示す言葉ではありません)?それは同性愛者、異性愛者に限らず。セクシャリティに限らず。「多様性」が認められた社会って、そういう社会なんだと思うんです。

最近はLGBTに加えて、Qとか、I(インターセクシャル=性の未分化の人や両性具有の人)とか、P(パンセクシャル=全性愛者、性別の認識なしに人を愛する人)とか、もうわけが分かりません。なぜ男と女、二つの性だけではいけないのでしょう。

杉田議員はこんなことも書いているのですが、わけが分からなくていいじゃない(笑)。そういうひとが存在するのが「事実」なんだからさ。異性愛者に「今日からあなたは同性愛者になりなさい」って言われてもなれないように、同性愛者も「今日から異性愛者になりなさい」と言われてもなれません。どっちの性かわからないって言ってるひとに「今日からどっちの性かはっきり決めなさい!!」って言っても決められっこないでしょ。決められないからわからないって言ってるんでしょ(笑)。

そもそもなぜそこまで執拗に「男」と「女」にこだわるのかが僕には全く理解できないのですが、それ以外のカテゴリーのひとたちが増えている(もしくは声を上げ始めている)以上、その二つに押し込めることは事実上不可能だと思うんです。

 「常識」や「普通であること」を見失っていく社会は「秩序」がなくなり、いずれ崩壊していくことにもなりかねません。私は日本をそうした社会にしたくありません。

「常識」や「秩序」に固執してたら、それこそ「生産性」なんて上がったり、だと思うんだけどなぁ。そんなところに創造なんて生まれないよ。先細りしていくだけだよ。僕は日本をそうした社会にしたくありません。

と、一通り書きたいことを書いてきたけど、多くの友人がデモに行く中、僕は静観していました。デモに行ったら、杉田議員と同じ土俵に登ってしまうような気がしたんです。そして、その土俵には登りたくなかったんです(決してデモを否定しているわけではないです。むしろデモに参加した方には敬意を表します)。「これは怒るべきだ」とツイートしている知人もいたけど、怒りも湧いてこなかったし。「べき」と言われても、無理なものは無理でした。

僕は僕のやり方で意見を表明したかった。穏やかに、ただ穏やかに、「ここはこう思う」と淡々と述べたかったので、ここに淡々と書き綴ったつもりです(不幸のくだりはわざと語気を強めて書きましたが~)。

僕は現在、ろくに仕事もしていない、パートナーもいないゲイだけど、いまとっても幸せですよ。他人にも、国家にも自分の幸せを決められたくない。

しあわせはじぶんのこころがきめる。

以上。

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