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言の葉便り 花便り 北アルプス山麓から(六)丸山健二

 いつになくうららかな昼下がりです。
 春一番とおぼしき風を感知しました。
 夢見るような心地の刹那、季節の境界線とやらが眼前を過ったのです。
 すると、慎ましやかに過ぎる暮らしに埋没したまま、それでも自分たちは幸福だと言い張りたがる老夫妻と、もしかするとかれら両人をペットとして眺めているのかもしれないタイハクオウムのバロン君の表情が、なんとも気持ちよく和らぐ方向で一変しました。
 そうはいっても、こうしただぐいの気象現象は、もちろん私たち一家に限った好転の兆しなどではなく、万物をふんわりと包みこむ例年の出来事なので、何も狂喜乱舞するほどのことではありません。
 しかしながら、遥か太平洋上からの情の籠もった届け物は、手造りの庭の隅々にまで及んで、その数五百は下らない草と木に期待の身震いを授けたに違いなく、それが証拠に、この世を仮象的現実と見る量子力学的観点をなんの苦もなく排除してのけました。
 つまり、暖かい風のひと吹きによって死んだ振りから解き放たれたかれらは、厳冬に耐えつつ蓄えてきた情熱の捌け口を、トレジャーハンターのごとき鋭い嗅覚によって探り当てたのです。
 そして、目に見えそうなほどの濃厚な浮き浮き感たるや、「文学なんてどうだっていいんじゃない」だの、ひいては「人生なんてどうだっていいんじゃない」だのという、どこか自棄気味にして楽天的な方向へと導いてくれそうな、底なしの堕落をよしとするような、そんな〈前向きな退廃〉にどっぶりと浸らせてしまうのです。
 そう、これぞ春が持参する最大の手土産にほかなりません。
 もうひとりの私が「ヨッ、待ってました!」と叫んで大はしゃぎしています。
 妻はというと、なんとその顔に、二十代前半にのべつ浮かべていたあの溌剌たる笑みを、しっかりと取り戻しているではありませんか。
 偉大な爛漫を予告する大気の大移動に敵う相手など存在しないのでは……。
 美の希求の足を引っ張りつづけてきた寒い季節の名残は、もう影も形もありません。
 
「いよいよ俺さまの出番だな」と言って、南国育ちのバロン君が胸を張りました。
 
「いいよねえ、この感じって」と楽観主義者の最たる妻が三度もくり返しました。

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