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言の葉便り 花便り 北アルプス山麓から(七)丸山健二

 春の嵐というやつが、朝っぱらから乱暴狼藉に及んでいます。
 地元民が言うところの〈アルプス颪〉なる強風が吹き荒れているのです。
 ここ半世紀以上の間に経験した一番の台風であっても、例年のこれに優るほどの凄さはありません。細長い三階建ての家がぐらぐら揺れるたびに、鳥類とはいえあまりに学習能力が低いタイハクオウムのバロン君がびくつき、この世の終わりが訪れたとでも訴えるかのように、大袈裟な叫び声を連発します。その悲鳴を聞きつけた他人は、きっとここを恐怖の館とでも疑うに違いありません。
 バロン君とはあべこべにとことん能天気な妻は、気象の変化なんぞにまったく反応を示さず、我関せずといった堂々たる態度を保ち、外の世界に対して完全無視という非情なる距離を置いています。いつもながらの無神経ぶりにはほとほと感心させられてしまう、長い結婚生活における収穫の一端とでも言ったらいいのでしょうか。
 そして愛すべき庭の唯一無二の責任者たる私は、ひょろ長く伸びた若木が弓なりにしなっている様子にひやひやし、次の瞬間に幹がぼっきり折れるのではないかと深刻な想像をくり返し、猛烈な風の波状攻撃にただもう手を拱いて成り行きを見守るばかりです。
 思えば、七、八年前までの我が体力と気力は、これしきの自然の暴威に真正面から立ち向かえるやせ我慢の情熱くらいは具えていました。こうした嵐の最中であっても、二メートルの脚立のてっぺんに立ち、五キログラム以上もあるヘッジトリマーを自在にぶん回し、生垣の剪定を数時間連続してやってのけていたものです。あれは夢だったのでしょうか。
 しかし、いくら若ぶったところで寄る年波に勝てるはずもなく、危険極まりないその作業に限ってプロに頼むことに決めました。もし隣接しているコンクリート製の側溝へでも落下したら、それこそただでは済まず、大腿骨はおろか背骨だって破壊されかねません。
 そうはいっても、強風が悪さだけやってのけるというわけではなく、日が当たらなかったり混み合っていたりが原因で枯れた枝を綺麗に払ってくれ、大いに助かっています。
 悪条件とはいえ、吹き荒れる突風のなかで庭仕事が、見た目ほど悲壮感に苛まれることはありません。むしろ、何とも摩訶不思議な高揚感に五体と霊魂が包みこまれて、それまであやふやであった存在感と、軟になりがちな心組みビシッと引き締まるのです。
 
 
「未来の敗北を想像させるのは、そう、おまえ自身なんだよ」と突風がまくし立てます。
 
「たかがこれしきで戦々恐々とするな。見苦しいぞ」とバロン君をダシにして自分に言ってやります。

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