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言の葉便り 花便り 北アルプス山麓から(十四)丸山健二

 今は亡き、かの高倉健さんが訪ねてくれたことがあります。
 みずから運転してきた愛車は見るからに高価そうで、私の家が数軒購入できるのではと想像され、その深々と心地よいエンジン音にも圧倒されたものです。
 なお且つ、高名に過ぎる映画俳優が放って止まないオーラには、なるほど、聞きしに勝るものがありました。
 彼自身さほど興味があるとは思えない手造りの庭に健さんが佇んだ際には、それはもう自慢の花々が一斉に存在感を弱めてしまったくらいなのですから。
 驚きはそればかりでなく、寡黙の権化という世間に罷り通っているイメージにしても大きな誤りだと即座にわかりました。というのも、話好きな私を完全に聞き手の側に追いやってしまうほど冗舌だったのです。しかも、とても気さくな人柄でした。自身の失敗談やら何やらと事もなげにさらけ出し、虚像を現実の世界に持ちこむことに拘る役者とは一線を画している印象を強く受けました。
 別にそこに付け入ったわけではないのですが、「高倉健主演」と銘打った、〈鉛のバラ〉というタイトルの長編小説の許可を恐る恐る願い出てみました。すると、「どうぞ」という簡潔にして明快な即答をもらい、二度目の訪問の際には表紙を飾る顔写真まで撮らせてもらいました。
 こっちが撮影する側なのに、それが済むと今度は健さんが自分のカメラを取り出して私と妻に向けたのです。
 後日送っていただいたその写真は、芥川賞受賞の際にもらった腕時計でさえ誰かにあげてしまうくらい記念品のたぐいを雑に扱う私が、当時の感激と併せて大切に保管しています。妻に至っては、生涯における唯一無二の宝としているようですが、無理からぬことだと思います。
 もしかすると、この庭が方向性を大きく変えるきっかけになったのは、健さんとの出会いのせいであったのかもしれません。つまり、渋さのなかにも華やかさが感じられる空間をめざすという無意識の転向です。そして、現在の庭に発展したのではないでしょうか。
 健さんがあっさりと打ち明けた人生劇場から思うのは、徹底した生き方の難しさです。
 これまで潜り抜けてきた八十年のあいだに、果たしてこの私なんぞは幾度ぶれたことでしょう。
 
 
「華があるのに渋いという、そんな花があるなら植えてみろ」と庭に挑発されました。
 
 困った私は、「文学でなら可能かもしれない」などと答えて、論点をすり替えました。

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