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Please Place Me⑤リバプール・イン・ブロンズ~行政の街角~【前編】

お世話になっております、西澤です。長らく休暇をいただいてたため更新が滞っておりましたが、レポを再開いたします。すみません、再開早々1万6000字を超えてしまいました。というのも今回はこの場を借りてレポとともに私のリバプールへの正直な思いを綴っているものでして。

あたしゃね、リバプールが好きなんです。

より観光にお役立ていただけるレポに仕上げました中・後編の閲覧を先にご希望の方はこちらからどうぞ。

前回記事、Strawberry Fieldへの潜入レポはこちらからどうぞ。

さぁ、今回はねぐらにしていたHard Day's Night Hotelより歩いて約3分のスポットからスタートです。の、前に駄弁を少々。


街と彫刻と私

唐突ですが、皆さま街角なんかにある彫刻作品はお好きですか?私はね、けっこう好きです。素人ながら直感的に良いなと思える作品や、行政の大きな力で設置されたんやろなという作品など、日本にいた時は地元や旅行先でお気に入りの彫刻作品を探すのがささやかすぎる楽しみでした。

イギリスもなかなかの彫刻大国。2022年7月時点で野外設置されている彫刻作品は国内1万3500点以上、最多で彫刻モチーフとなっている人物はビクトリア女王だそうです。彫刻設置最多数を誇るのはもちろんキャピタルシティ・ロンドン。その数には遠く及ばずですが、我がリバプールはここ数年、まれにみる新彫刻像の設置ラッシュに沸いております。

今回のリクエストスポットはそのラッシュから生まれた最新彫刻、ビートルズの凄腕マネージャーで俗に5人目のビートルズとも呼ばれるザ・ジェントルマン、ブライアン・エプスタインの銅像。そして彼が経営していたレコード店NEMSの2か所です。

その男、エプスタインにつき

エピー像に会いに行こう

エプスタイン氏ことエピーが鎮座しているのは、リバプールの中心部、Whitechapelでございます。下のマップでお分かりいただけると思うのですが、周囲は飲食店、ファストファッション店やショッピングセンターなどが立ち並ぶお買い物エリア。道幅の大きな通りですが、車両進入禁止のホコ天になっています。

以下、住所とポストコード(郵便番号)、もしくは近隣の店です。地図アプリにてそれらを入力すればエピー像までのルート検索にお役立ていただけると思います。

住所・ポストコード: 17 Whitechapel, Liverpool L1 6DS 
もしくは12-14 Whitechapel, Liverpool L1 6DZ
近隣店:Holland & Barrett Liverpool(銅像の隣にある健康食品店)
検索ワード:Brian Epstein Statue

勿体ぶるのもナンですので、早速ご覧いただきましょう。2022年8月27日にお披露目となった1.94mのエピーの像です。どぞっ!

ブライアン・エプスタイン像

何という凛々しさ&爽やかさでしょう。ご尊顔もエピーそのものです。このスカーフもまさしくエピーですよね。この銅像の元になった試作品?のようなミニ像があるのですが、こちらはネクタイ着用のようです。完成版でスカーフに変更したの大正解、今時で言うところの大優勝だと思いますね。

The Cavern Club Websiteより

しかもこのスカーフ、よく見ると水玉柄なのですよ。外出時はこの水玉スカーフを優雅に巻いているエピースタイルが写真に多く収められているので、スカーフ変更に加えて水玉チョイスも大優勝!

よく見ると水玉スカーフ
コートの襟が風になびいている颯爽感も素晴らしい
BBC/Daily Express/Liverpool Echoより
エピーの水玉スカーフスナップ集

側面からも拝見させてもらいましょう。足元のローファーの詳細も素晴らしいですね。あふれ出るポッシュ感がすごい。

エピー像を横から堪能

コートの裏地にも秘密が。片側(画像左)にはたくさんのイニシャルがあって、某ハイブランドのロゴにも見えなくはないですが、こちらはエピー像設置に尽力したエピー銅像プロジェクトの方々と、プロジェクトのために寄付をされた支援者の方々のイニシャルだそうです。もう片側(画像右)にはフルネームのお名前が。これは嬉しいですよね~。

芸が細かいコートの裏地
The Brian Epstein Legacy Project Websiteより
支援者の名前リストと制作途中のエピー像

ところで皆様、お気づきでしょうか?エピーが右手に握りしめているこの手紙。これがなかなか粋な設定なのですよ。

この手紙は?

手紙の謎に迫る前にこのエピー像、よく見ると歩いてますよね。

歩くエピー

で、Whitechapelのどこを歩いているかというとここ。お分かりいただけるだろうか…?

Google Mapより
エピー像の向きに注目

そう!このエピー像、キャバーンクラブに向かって歩いているんですよ。

後ろから見ると、エピーが横道に入るような向きに像が設置されているのが分かる

そして気になる便箋の中身は「ビートルズとの契約書」という設定で、この作品はこれから4人とマネジメント契約を交わすため、キャバーンクラブでギグをしている4人に会いに向かっているエピーの様子を描いている像、なのだそうです。そういう設定を知った後だと、この表情がなんとも良いではありませんか。これから4人の若造と世界を席巻していく未来を既に予知しているかのような、この期待と希望と活力に満ち溢れた清楚で優雅な笑顔。絶妙なり。

素敵な笑顔のエピー

ちなみに便箋にもプロジェクトメンバーの方のお名前が。「Marieより愛をこめて」とあり、奇しくもマリーさんという方でした。

From Marie With Love

エピーよ、なぜそこに?

広大なリバプール市内でエピー像がなぜWhitechapelに設置されたのか、その理由は既にお分かりの方も多いことでしょう。そうです、Whitechapelはエピーが経営を任されていたレコード店North End Music Stores、略してNEMSがあった通りなのです。

このNEMS、もう1か所違う通りに店を構えていました。それがこちら、マギー・メイがもう2度と歩けないLime St近くのGreat Charlotte Stです。エピーの父ハリーはリバプール郊外で家具屋を営んでいたのですが、事業拡大に伴い1957年、中心部に新店舗を設けました。ちなみにこの郊外の家具屋はPlease Place Me➀後編の記事でも少し触れた、マッカ家がピアノを購入した店舗です。

©The Northcliffe Collection
1967年に撮影されたGreat Charlotte StのNEMS
NEMSがあった現在のGreat Charlotte Stの様子
間口は異なるものの、恐らく建物全体は当時のまま

店名はMusic Storesであるものの、もともと家具屋だったこともありGreat Charlotte St店の2階では家具と家電製品を販売していました。当時の画像を見ると、ショーウィンドウにテレビや洗濯機が確認できますね。この家電売り場は弟のクライブが販売を担当、そしてエピーが販売担当を任されていたのが1階のレコード売り場でした。エピー自身はクラシックやイージーリスニングをたしなむ程度で、音楽に特別造詣が深いわけではなかったようですが。


いきなり余談です。NEMS Great Charlotte St店の向かいには当時Blacklersという大きな百貨店があったのですが、ここ実はジョージが16歳の頃に電気技師見習いとしてちょびっとだけ就職していた店舗なのですよ!もちろんエピーもジョージもお互いを知らない時期ですが、みんなこうして近くにいたんですよね。ビートルズ前夜の各々のそうしたすれ違いを感じられるのがリバプール散策の醍醐味の一つでもあります。

Liverpool Echoより ©Mirrorpix
1982年に撮影されたBlacklers、右手の道路がGreat Charlotte St
店舗は1988年に閉業、2023年現在はファミレスパブになっている

NEMSにおけるレコードの売り上げは目覚ましいものがあり、1959年頃には家電売り場である2階の一部までレコード売り場を拡大するほどだったそうです。止まらない売り上げをさらに伸ばすべく1960年、父ハリーはレコード販売専門の別店舗となるNEMSフラッグシップ店を Whitechapelにオープンさせます。もちろんこの店舗のマネージャーはエピーに他なりません。その縁があり、銅像の設置場所にWhitechapelが選ばれた、というわけなのです。恐らく満場一致だったのでしょう。

Google Mapより
Great Charlotte St店とWhitechapel店は徒歩5分ほどの距離
Liverpool Echoより
1964年に撮影されたNEMS Whitechapel店、1・2階がレコード売り場で3階が事務所
Liverpool Echoより
同じく1964年に撮影されたNEMS Whitechapel店の前にたむろする若者たち
彼らの服装を見ても当時のビートルズブームが伺える
Liverpool Echoより
2015年オークションにかけられたNEMS Whitechapel店の看板

NEMS Whitechapel店がテナントとして入っていた建物は2011年に取り壊しが決定、跡地にFOREVER 21の建設が発表されました。00年代後半~10年代前半頃、FOREVER 21はアメリカのイケてるファストファッションとして世界的な店舗展開を見せていたので、リバプールの中心部かつショッピングエリアのメインストリートに位置するNEMSにとって代わることは時代的に必然だったのかもしれません。

BBCより
2011年に撮影されたNEMS Whitechapelビル

色々と記事を漁っていると、何とNEMS Whitechapelビル取り壊しの瞬間を収めた動画を発見しました。熱心なビートルズファンの方が撮影されていたようです。あっけないものですね、近代音楽史における貴重な建物なのに、簡単にポロポロと崩されて…見ていると何とも言えないものがこみ上げるので閲覧注意。

(c) Beatleguides.com.3GP -Jackie Spencer

FOREVER 21はその後2019年に倒産、2020年には全店舗を閉鎖しイギリスから事業を撤退しました。現在NEMS Whitechapel跡地にはNextというイギリスの大手ファッションチェーンがテナントとして入っています。

エピー像の背後にある建物がNEMS Whitechapel跡地、現Next
当時の面影は全く見られない

エピーの手腕

NEMSにおけるレコードの記録的な売り上げは言わずもがなエピーのビジネスセンスによるもの。彼は当時、入手困難なレコードを取り揃えていたほか、映画のサントラ、ミュージカルのキャストアルバムも他店よりいち早く店頭に並べていたそうです。ミュージカルのレコードを仕入れるというところがさすがエピーだなと思いますね。NEMSが中心部に出店を進めた1957年~1960年は、ロンドンのウェストエンドで「ウェストサイド物語」「マイ・フェア・レディ―」「オリバー!」などの超名作を含めたミュージカルが数多く初演されています。

当時のリバプールの人々は大都会ロンドンで夜な夜な繰り広げられている素晴らしいショーのリビューを新聞で読み、今日明日の観劇は難しくても音楽だけは聴いてみたい、とレコード店を回ったことでしょう。NEMSに行けばあのミュージカルのレコードが絶対ある!そんな店づくりを徹底したあたり、エピーは地方住民の娯楽欲求をよく理解して、それをマーケティングとしてビジネスに反映していたのだなと思います。最近「マネー虎の穴」のYouTube版「令和の虎」にハマっているのですが、マーケティングって想像以上に大事なんだなと、志願者と一緒になって身を縮めながら虎たちの猛詰めを浴びているこの頃です。

アミューズメント施設The Beatles Story内にて
再現されたNEMS Whitechapel店の店内の様子

売り上げ・品揃えともにリバプールで一番のレコード店となったNEMS。しかしその成功はエピーのビジネスセンスだけが成しえたものではなかったことが伺える記事を見つけました。当時ロックやスキッフルを好んで聴いていたというミック・オトゥールという男性がとある土曜日の夜にエピーからレコードを購入した際のエピソードです。

Mick recalls working at St Johns Market until well after six o'clock and spotting Brian behind the counter of the (by that time closed) NEMS store. Mick would knock on the shop door and Epstein would let him into the shop informing him to "always give a knock on the door - if I am there doing the books, I will open up".

ミックは仕事を終えた18時過ぎにNEMSに向かい、既に閉店していた店内のカウンターの向こうにブライアンの姿を見つけた。ミックが店のドアをノックすると、ブライアンは彼を店内に入れ「私がここで帳簿をつけていたりしたら閉店後でもノックしてくださいね。ご案内しますから」と伝えたという。

National Museums Liverpool Website内記事「Specialists Shops」より

これ、すごいことです。なぜって、イギリス人って就業・閉店時間1分でも過ぎたら仕事しないんですよ。もっかい言いますよ?イギリス人って就業・閉店時間1分でも過ぎたら仕事しないんですよ!!というのは少々大げさですが、でもイギリス人って就業・閉店時間1分でも過ぎたら仕事しないんですよ。なので閉店後、しかも閉め作業をしている時に客を入れて商品を買わせるなんてもってのほか。なじみであれば「今日ぐらいは良いよ」なんてことはあるでしょうけれど、いくら常連だからって「自分がまだ店に残っていればノックして」なんて、自ら進んで営業時間外労働を確約する店主はかなり稀です。品揃えが良い上にこの手厚すぎる顧客サービス、そらぁレコード買うならNEMS一択になりますわね。

また、オトゥール氏はこうも回想しています。

"Mr. Epstein, as everyone knew him, would always be helpful - it wasn't like other shops where the record racks might be just an add-on to a TV shop and you were considered to be a bit of a nuisance. He genuinely cared about music and would not hesitate to order something for you."

エプスタインさんはいつも親切に対応してくれる人で知られていました。NEMSは他店のように家電販売のついでにレコードを販売して、レコード購入者を疎ましがる店舗ではなかったのです。彼は純粋に音楽が好きで、どんなレコードでも注文を受け付けてくれました。

National Museums Liverpool Website内記事「Specialists Shops」より

この証言で興味深いのは、50年代後半のロックンロール全盛期にもかかわらず当時のリバプールではレコード販売に熱を入れている店舗が少なかったということです。オトゥール氏が言う「家電販売のついで」という営業スタイルはかなり驚きですよね。言うなればコンビニレジ横のイチゴ大福みたいな?まぁしかし、店主からすれば数シリング(1971年に廃止されたペンスよりも小さい通貨単位)のレコードが1日10枚売れるよりも、単価の高い家電製品がひとつふたつ売れた方がありがたいですからね。

クレジット不明
NEMS Whitechapel店にて

そう考えると、NEMSも家電販売が主軸だったものの、レコードのみで1フロアを確保している時点で「ついで販売」の域ではなく、他店との差別化に大成功している上にマーケティングセンスに優れた親切で紳士な店主の神対応。売り上げが上がらんわけがない。この仕事ぶり、恐らくエピーの覚悟だったのではないかと個人的に思います。

エピーは家業を手伝いこそすれ継ぐということに関しては拒み続けており、1956年22歳の頃にはロンドンの王立演劇学校へ入学して俳優を目指していました。同級生にピーター・オトゥールがいたというのですから、え何それすごい。しかし演劇学校への入学はやはりリバプール脱出の口実でしかなかったのか、学生生活は非常に退屈なものだったとエピーは語っています。そんな無為な日々を過ごしていたエピー。ある日、男性をナンパしたところ、それが運悪く私服警官だったため即逮捕されてしまいます。イギリスでは同性愛を違法と定める時代、そう、あのビートルズのマネージャーは実はゲイだった、というのは有名な話ですね。

結局不起訴になったようですが、1957年、エピーは演劇学校を中退して家業に専念することを決断。ちょうどその年にオープンを控えていたリバプール中心部Great Charlotte St のNEMS新店舗のレコード販売マネージャーにエピーが任命されました。それからのエピーの快進撃は前述の通りです。

Liverpool Echoより© The Epstein family Appears in Mark Lewisohn's book The Beatles: Tune In
演劇学校に入る前の1955年、NEMSとは別となるエプスタイン家経営の家具店マネージャーに任命されたエピー。その左に母クイニ―、右に父ハリーがいる。

これはあくまでエピーのざっくりとした半生を読む限りの、私の個人的な印象と推測の話です。

NEMS Charlotte St店オープン時のエピーは23歳、当時のイギリスだとそろそろ結婚を…という年齢です。ロンドンで逮捕されて裁判にかけられた際、エピーの性的指向はオフィシャルに家族に知られることになりますが、エプスタイン家はリベラルなユダヤ教派だったのではないかと思われるので、家族、特に父ハリーは家業を継いでさえくれればそれで良いという方針のもと、エピーがゲイであることを激しく咎めるようなことはしなかったのかも知れません。

それに応えるようにエピーは誠心誠意働きました。需要のあるレコードをいち早く仕入れ、注文は全て受け付け、営業時間外でもレコードを販売、その努力の結果がNEMS Whitechapel店だったのでしょう。そうと決めたら全振りしていくけじめのつけ方もビジネス能力・才能のひとつなのかなと思います。


そして1961年10月、NEMS Whitechapel店にレイモンド・ジョーンズという青年がやって来ます。彼はその後のエピーの人生を大きく変える問い合わせを投げかけるんですね。「ビートルズのマイ・ボニーっていうレコードありますか?」エピーが彼らに会いにキャバーンへ足を運ぶのはそれから程なくしてのことです。

The Beatles’ Liverpool より
1963年NEMS Whitechapel店にて、慣れないポートレート撮影に苦闘する3人とアイドル写りばっちりなあざといポール

ではここでNEMS Whitechapelの店内の様子(33秒から)をどうぞ。1964年のリバプールの活気を伝えるフッテージで、2分20秒からは当時のキャバーンクラブの盛況の様子が記録されています。ところで1分7秒あたりでレコードを試聴しているカップルが出てきますが、右の女の子はフリーダ・ケリーですよね?

The Mersey Sound Aka Liverpool - Home Of The Mersey Sound (1964)

余談ですが、当時NEMSと同じくレコードの品揃えと音楽への情熱が評判だったThe Musical Boxというレコード店がEverton地区にありました。創業1947年のこの店、なんと2023年2月現在も営業しており、文字通りリバプールで一番古いレコード店としてその名が知られています。ちなみにThe Musical Boxはピート・ベストの自宅兼Casbah Coffee Clubから1.5キロほどの場所に位置しているので、ピートはもちろんロックなピートの母モナがレコードを買いに訪れたことがあるかもしれませんね。

Liverpool Echoより
2018年The Musical Box店内にてに撮影された名物店主のダイアン(右)とその息子トニー(左)

行政よ、そこに愛はあるんか?

ここから主に私のリバプールへのお気持ち表明になりますので、中・後編へお進みの方はこちらからどうぞ。

The Brian Epstein Legacy Project

さて、エピー像に話を戻しましょう。銅像は前述のとおり、エピーの55回目の命日となる2022年8月27日にお披露目となりました。リバプール中の様々な会場でビートルズトリビュートギグが行われる夏の一大イベント、International Beatle weekがちょうど開催中だったこともあり、除幕式はかなり盛大に執り行われたようです。その時の様子をどうぞ。お披露目の幕を引いたのはもちろんプロジェクトメンバーの方々。(除幕カウントダウンは21:40頃から)

Brian Epstein Statue Unveiled in Liverpool to mark International Beatle Week. | Paul Frost

このエピー銅像プロジェクトですが、The Brian Epstein Legacy Projectという完全有志の団体で、「ビートルズの銅像は世界に70体以上あるのに、彼らを支えたエピーの銅像がひとつも存在しないのはおかしい。今こそエピー像をリバプールに!」との目標を掲げ、地元アクティビスト、トミー・コールダーバンク氏を中心に2016年頃に立ち上げられました。動画内で除幕前にスピーチをしているポニーテールの男性がコールダーバンク氏です。彼はリバプールの歴史的建造物の数々を取り壊しの危機から救い、昨今のリバプール行政による野蛮な再開発を問題視している市民の1人で、いわばリバプールを愛しリバプールに愛された男。エピーの帰郷を実現するためのプロジェクトマネージャーにふさわしい人物です。

The Beatles Story Websiteより
The Brian Epstein Legacy Projectのメンバー

2019年、団体はエピー像制作・設立のプロジェクトとそのための寄付を募る旨を正式に表明。途中パンデミックの影響でプロジェクトが暗礁に乗り上げる危機もあったようですが、寄付金はクラウドファンディングとキャバーンクラブや地元企業からの資金提供も併せて当初の目標金額だった£60,000に到達、またメディア訴求力に強い有識者や文化人など新たなプロジェクトメンバーを増やしてキャンペーンを盛り上げつつエピー像を完成させ、足掛け約6年でエピーのWhitechapel帰還を実現のものにしました。

いやはやThe Brian Epstein Legacy Projectの皆様、ご苦労様でした。あなた方の熱情は全てのビートルズファンに伝わっておりますよ。

で、リバプールは?行政は?何したの?

そうなんです、エピーの銅像の発案・制作・キャンペーン運用・設置まで全て有志の方々によるもので、地方行政機関であるリバプール・シティ・カウンシル側(以降、行政と呼びます)からの働きかけは皆無に等しくほぼノータッチ。銅像設置を許可するサインをしたくらいでしょうか。こうしたケースはエピー像だけではないのですよ。そのことに関しては中・後編で言及したいと思います。

別記事でも回想しましたが、10年前初めてリバプールを訪れた3日間は夢のように楽しかったです。そして同時にリバプール行政のビートルズへの愛のなさに愕然とした初訪問でもありました。というのも、その当時「ビートルズの生誕の地」を示す銅像や記念碑はリバプール中にたったふたつ、しかもめちゃくちゃひっそりとしか存在していなかったんですね。もちろん有名なジョンの銅像はMathew St にありましたが、それはあくまでジョン単体。私は「4人が生まれた街」を誇るシンボリックなモノが堂々と街中にあるものと期待していたのです。でも無かったのよ。

リバプールの陸の玄関口、ライムストリート駅で迎えてくれるのはビートルズではなく、リバプール出身のコメディアン、ケン・ドッド(左)と、リバプール市議会議員ベッシ―・ブラドック(右)
撮影時は2022年6月のジュビリーホリデーだったので2人ともお祝いムード

冒頭でも述べた通り、私は遠出の先々でその街にある銅像やオブジェを見るのが好きなので、そうしたバイアスで行政をジャッジしているのかと冷静になって客観的に考えたものですが、その後リバプール訪問を重ねてみて、どう考えてもやっぱリバプール行政には愛がねえ。その一例がキャバーンクラブです。

さらばキャバーンクラブ

現在営業しているキャバーンクラブは実はレプリカ!って、ご存じですか?若きビートルズがギグに明け暮れ、エピーがその姿を見に訪れたオリジナルのキャバーンクラブは1973年に閉業、通りの向かいに引っ越しを余儀なくされます。というのも、当時のキャバーンクラブがあった土地を含むMathew Stの一帯(通りの片側)をブリティッシュレールが買い取り、鉄道設備のための換気口を地下に整備すること、そして一帯の建物を取り壊すことを決定したのです。そのためキャバーンクラブは元あった場所での営業を停止せざるを得なかったんですね。

余談ですが、オリジナルのキャバーンクラブは1966年2月に一度経営破綻で閉業しています。しかし市議会議員のベッシ―・ブラドックの支援もあったようですぐに新オーナーが決まり、同年7月23日にギフトショップなどを増設して爆速の再オープンを果たしました。ちなみに再オープン初日のお披露目会で音頭を取ったのは当時の英国総理大臣、ウィルソン首相だったんですね。この日の約2週間後にRevolverが発売され、Ha ha~Mr.Wilson♪とジョージからなじられることを考えると、なんかおもろい。

Liverpool Echoより
1966年、シン・キャバーンクラブお披露目会のステージに上がるHa ha~ウィルソン首相(左端)とベッシ―・ブラドック(真ん中マイクの後ろ)、ケン・ドッド(右端)の駅銅像コンビ

経営破綻を乗り越えたにもかかわらず、取り壊しは免れなかった…何と無念なことでしょうか。ここからは記事や資料を読んだ上での恐らく概ねそうだろうという推測になりますが、鉄道整備というのは即ちインフラ整備ですから、行政の力が関わってないなんてことは無いと思うのです。何より一連の工事を行う許可を出してるわけですからね。しかも、土地買収・取り壊しがトントンで決まったのはキャバーンクラブの再オープンに携わった議員ベッシ―・ブラドックの死後というのが、なんかまたタイミング良すぎるなぁと。彼女は地域の福祉事業やローワークラスの人々の生活改善に注力したリバプール初の女性市議会議員で、地域の(特に若者の)拠り所だったキャバーンクラブの再建も彼女の政治理念の内だったのでしょう。ブラドック女史が亡くなったのは1970年、Mathew Stが買収されたのが1972年なので、行政の中でストッパーになる存在がいなくなってしまったことも一連の要因だったのではないかと。

行政的にはそのままトントン進んで欲しかったところだと思いますが、工事に取り掛かる際、Mathew Stの地下に換気口を設置するのは地質的に非常に不向きという衝撃の事実が判明します。そのため、ブリティッシュレールは当時のキャバーンクラブのオーナー(66年の再オープン時のオーナーとは別の人物)に£500払えば取り壊しを中止する旨を申し出たそうなのですが、オーナーはなぜか支払いを拒否。換気口は結局建設されなかったものの、一帯の建物は取り壊され、キャバーンクラブは瓦礫で埋め立てられ、更地には駐車場が爆誕しました。

Cavern Club Liverpool Facebookより
1970年代後半~1980年代前半に撮影されたオリジナルのキャバーンクラブ跡地に広がる虚無な駐車場

そもそも地質調査的なことを土地買収の前に行っていれば起こらなかったこの悲劇。オリジナルのキャバーンクラブがあったMathew Stの片側はレンガ作りの倉庫が立ち並んでいましたが、行政はこれをどうしても排除したかったのではないかと考えられます。倉庫はテナント用途がかなり限られるため、今後の土地利用を考えると行政としては邪魔もの。なのでキャバーンクラブだろうが何だろうが最初から取り壊しありきで鉄道整備という名目を着せた土地買収だった説、もあり得ると思うのです。だって当初の大義名分だった換気口の設置が不可能と判明してもなお、取り壊し完遂するってわざわざ金かけて不必要なことしてるわけですからねー。筋が通らんでしょ。とすると、何の理由があったのか当時のオーナーがたった£500の支払いを渋ったという話も少々きな臭くなってきますが…。

YouTube The Mersey Sound Aka Liverpool - Home Of The Mersey Sound (1964)より
1964年のMathew Street、キャバーンクラブのオープンを待つ列に沿った建物(倉庫)が取り壊された

オリジナルのキャバーンクラブを取り壊す様子を写したニュース映像が残っていました。時代的にも浅間山荘を彷彿とさせる鉄球が歴史的な場所を破壊していますね。「リンゴが古巣であるキャバーンクラブの救済を試みるも、解体工事の開始を5日間延ばすだけの効力しかなかった」というナレーションがついていますが、リンゴが実際何かアクションを起こしたのでしょうか?
CAVERN CLUB DEMOLITION  | British Movietone

レプリカのキャバーンクラブは紆余曲折を経て、1984年に現在の場所にオープンしました。オリジナル同様に穴ぐら感満載の熱気をそのまま地下に再現していて、60年代当時の雰囲気を味わえる楽しいライブ酒場としてにぎわっています。ステージの位置がオリジナルキャバーンのものと違ったり、大半の内装はレプリカであるものの、オリジナルのレンガが一部使用されていたり、地下敷地の約75%はオリジナルの敷地と重なっているそうですよ。

現在営業しているレプリカキャバーンクラブの様子
週末の夜はオーディエンスがひしめき合っていてすごい熱気と酒臭さ

地下へ通じる入口もオリジナルとは違う場所に作られました。オリジナルの入口はレプリカから約30メートルのところに位置しています。

キャバーンクラブ2つの入口

オリジナルの入口跡地の現在の様子がこちらです。

オリジナルのキャバーンクラブ(地下)へ通じる入口があった場所

一応オリジナルのキャバーンクラブへの入り口はここにあったよ、と示す代物はあるのですが、なんかこれ酷くないすか?リバプールにとって大事な観光資源のはずなのに、なんなんすかね簡易的な展示物は。こここそ記念碑やプラークが必要でしょうよ、それこそブロンズ製の立派なレリーフがついたやつ。キャバーンクラブはビートルズゆかりの地というだけでなく、60年代前半の英国における音楽トレンドだったマージ―ビートの発信基地、戦後の瓦礫の街を活性化した場所なんですよ。それを伝える・遺すモノがこんなものでええんか?おい行政、それは先人スカウサーへの敬意の欠如ではないんか?おい行政、そこに愛はあるんか!?このような地味な見た目なので観光客っぽい方々が気づかずにこの場所を素通りすることが多く、その光景を見たる度に「リバプール行政ってビートルズに胡坐かいとるなぁ~」と思うのです。

頼むよリバプール!

ビートルズとサッカー、リバプールにはこの2大観光資源があるのでそこまでPRに力を入れなくても正直人は寄ってくるんですよね。だからといって、観光資源や文化遺産を保護する努力を怠るのは違うだろっつの。そんなんやからユネスコ遺産から登録抹消されるんよ。

文化保存にはどうしても金銭的な問題が発生しますが、殊ビートルズを始めとしたポップカルチャーの保護は主に有志の財力に頼らざるを得ないのが現実です。サッカーはチームにスポンサーがついているので自力で工面できる術がありますけどね。

なぜ行政主導でポップカルチャーの保存を実現できないの?行政が特定の人物・事象だけに市財を遣うのはフェアではないから?いやいやノンノン、2021年のこのニュースをご覧ください。

当時、財務大臣だったリシ・スナク氏がサプライズで発表したこの予算案。約£7億をリバプールの交通網整備に、そして追加予算として£200万をビートルズの新アトラクション施設建設及びウォーターフロントの再開発のために割り当てるとの内容でした。もちろん国会がリバプール行政に無断で現地建設に関わる発表をすることは無いと思うので、行政も事前に了承した予算案だったことは明らかです。そして「ビートルズの新アトラクション」っておもきし特定の人物(団体)名を出してそこに金つぎ込むって宣言してますから、先述の疑問の答えはやはりノンノンなんすよね。

そう、行政はやろうと思えばビートルズに予算を確保できるのです。もっと言えば今回の記事の主題、エピー像にも金を出せたわけですよ。でも地方都市って、派手なことにしかお金遣いたがらないのなぜなんだぜ?かく言う私の故郷も鉄冷えの地方都市。金遣うのそこじゃないだろ、という行政の仕事をいち市民として見てきたので、リバプールが同じような道を辿っていることに近親憎悪に似た何かを抱かざるを得ないのです。

ただ私の地元とは違って、リバプールにはビートルズがいる。だからね、もっともっと現存のビートルズ遺跡に金をかけて欲しいのです。メンテナンスして欲しいのです。新アトラクションとかそんな派手なものでなくて良いんですよ。世界中のコレクターからメモラビリアを買い取って展示できるようにThe Beatles Story に助成金を出資して、 施設を本物の博物館にしてあげるのはいかが?オリジナルのキャバーンクラブ跡地に後世に残るような花を手向けるだけでも良いじゃない。頼むよリバプール、あんたの街自体が世界に誇るべきポップカルチャーであることを自覚してくれ!そんでその文化を継承・保護・保存・修繕すべき義務があることを自覚してくれ!!

しかし守るべきリバプールの文化はビートルズだけではないですし、そう考えるとキリが無いのも事実。地方は地方の事情、いわゆるオトナの事情ってのもあったりするんでしょうし、そもそも行政からしたらこんな東洋人の意見なんかただただ無責任な観光客の喚き声に過ぎないんでしょうけど。というか実際喚き声ですけどね…。

ちなみにポールも近年のインタビューでこの建設について「え、僕らの新しい施設作るの?リバプールはオリジナルのキャバーンクラブつぶしちゃったのに?」とチクリと否定的なコメントを残しています。オンライン記事やSNS上で確認した限りでもリバプール市民の声は否定的なものが多いように感じました。まぁ市民からすれば給付金にしてくれって話ですしね。

Liverpool  Echoより
再開発により誕生したマージ―川沿いのウォーターフロントエリア
アトラクション施設の建設候補地はもう少し内陸のショッピングエリアに近い場所だった模様

ところが2022年10月から英国は最悪のインフレタイムに突入。2023年2月現在、万物値上がりしてないものがねぇですタスケテ。国民のフラストレーションを抑えながら国家予算をどう回すべきか、今や首相となったスナク氏は日夜糾弾されるのに多忙を極めているためか、なんと現在この新アトラクション建設のための£200万予算案は頓挫しているそうなんですね。予算案の発表があった2021年から今日まで文化庁的な機関から行政に音沙汰が無く、しかも予算提供期限が数か月後に迫っており、それを過ぎるとこの予算案は完全に立ち消えになるそうなのです。行政は相当焦っているようですが、前述のとおり英国はいま最悪な状況なので不急なハコモノに£200万を投じるというのは現実的な話ではないわけで…どうなるんでしょうかね。

もし本当に予算が下りるなら、そして行政が新施設の建設にこだわりたいのなら、スチュアート・サトクリフのアートギャラリーを作ったら良いのにって私なんかは思いますけどね。現在リバプールで拝見できるスチュの絵はたった1枚、しかもこんなに光が反射していて何も見えない最悪の展示って、ほんと頼むよリバプール。

Walker Art Galleryに展示されているスチュの作品「Hamburg Painting No. 2」
肉眼でも全然見えなかった、いくらなんでも反射しすぎぃ

余談:リバプール人への手紙

2017年突如このようなビルボードやポスターがリバプール中のあちこちに出現しました。デザインというものはなく、ただシンプルに「Brian Epstein Died for You」という文字のみですが、これ実はアート作品なのです。

Liverpool  Echoより
かなり目をひくビルボード

文言は新約聖書『ガラテヤ人への手紙 』『ローマ人への手紙』などの一節「Jesus died for you」のもじりですね。と来れば、このビルボードが何を意味するのか、お察しの方も多いのではないでしょうか?以下、制作を手掛けたアーティスト、ジェレミー・デラー氏自身によるコンセプトの説明です。

“I don’t think he’s ever been properly credited for his role within popular culture. And he paid the ultimate price for that. He effectively became a martyr for pop music, dying for its cause so that it could live.”

ブライアン・エプスタインのポップカルチャーへの貢献度は多大なるものなのに、それが正しく評価されたことはなかったと思う。彼は究極の代償を支払ったんだよ。彼が殉教者となって、代わりにポップミュージックが生きながらえたんだ。

Art in Liverpool.com内記事
Review: Jeremy Deller, with Metal Liverpool: With a Little Help from my Friends (Brian Epstein Died for You)より

「Jesus died for you」から始まる聖書の内容は全て「イエス様が天に召されたのは、あなたの代わりに〇〇してくださった代償」というもの。それをもじることで、ビートルズの栄光と後に続く音楽文化の発展、その陰に埋もれたまま32歳で亡くなったエピーを偲ぶとともに、その偉大な功労を讃えて、そして訴えているんですね。そう、皆様ご存じのとおり、エピーがいなければ世界はリバプールの4組に出会うことは決してなかったのです。なので少々痛烈ですがデラー氏が言うように「ブライアン・エプスタインが天に召されたのは、あなたがビートルズに出会うための代償だった」と言い換えてもそう大きく間違ってはないのかも知れません。またこれはリバプール中に掲示されたとのことで、リバプール市民、特に行政への訴えでもあったのではないかと思われます。今もなお4人だけに当たるスポットライト、その隣でにこやかに4人を見守る紳士。そろそろそのライトを紳士を向けてはどうか?すなわち、エピーの功績を遺すことにもそろそろ金をかけてはどうか?とのリバプールへの書簡が「Brian Epstein Died for You」に集約されていた、と考えても良さそうですね。


あたしゃね、リバプールが好きなんです。好きだからこそ思うこと、非常に個人的な(もしくは的外れな)見解にしかすぎないものをここまでお読みいただき、ありがとうございました。中・後編では再びレポに戻りつつ、行政への小言も挟みつつ銅像についてまとめてみましたので、こちらも宜しければぜひ。


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