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【ピン芸人・九月】お笑いファンよりも読書好きの人に知られてほしい狂気の自作自演屋

九月さんというピン芸人をご存じだろうか。

Twitterをやっている人は、度々バズっている彼のツイートを見かけたことがあるかもしれない。
『京大卒のお笑い芸人』としてメディア記事に取り上げられているのを見たことがあるかもしれない。
もっと言うと、先日バズった彼の『九月の読むラジオ』での深刻な悩みに対する的確で親身で誠実なコメントに驚いて、彼のことを認識した人もいると思う。

九月さんは、先述の通り、事務所に属せず単独で活動するピン芸人である。
青森の八戸高校を卒業し、京都大学大学院を卒業しているプロフィールが注目を集めがちながら、四十八時間軟禁ライブなど、数日間会場に籠城し、不眠不休でコントをやり続けるような公演を月一程度の頻度で続けている狂気のパフォーマーでもある。
ネタは一年間で千本作るらしい。
会場で話をする機会に恵まれた際、「三年間で三千本ですか?」と聞くと「そうです」と平然と即答を受け驚いた。

正直な話をすると、そもそも私は「お笑い」に素養がない。

テレビのコント番組もほとんど見たことがないし、著名な芸人の名前も知らない。
そして一般的な「お笑い」のどこで笑っていいのかわからなく、例外的に面白がれるラーメンズについては「どこで笑えばいいのか理解できるという理由で好き」だというくらいである。
なので、九月さんの存在を「京大卒の芸人が、進学について語るインタビュー」みたいなものをネット記事で見かけた時に、「学歴売りにする芸人っていけ好かないな」と思ったことを憶えている。
たまたま読んだその記事はとても充実した良い記事で、受験にともなう環境の変化についての誠実な話がされていた。
普段なら流し読みをして、そのまま忘れてしまうだろう記事を何度か読み返してみて、「本人のことは知らないけれど、この人の文章は信頼できるな」と認識が覆されたことも憶えている。

「文章の、もっと言えば言葉遣いのファンである」と自認をしてからも半年くらいは、正直、YouTubeのURLが紹介されている彼のコントは見る気にならなかった。
お笑い芸人としての九月さんではなく、文章家としての九月さんを信頼しただけに過ぎないので、それは当然なのかもしれない。

たまたま行けるタイミングで、たまたま行ける場所で、九月さんがバーの一日店長をするという機会があった。興味本位で足を運んでみて、ご本人の話の仕方の柔らかさ、親しみやすさに驚いたのがコントを見る直接のきっかけではある。

そしてその数週間後、早稲田のスタジオを借りて催された単独公演に足を運んでみて、九月さんがコントをする姿を見て、大いに驚いたのを覚えている。

それは、私の認識していた「お笑い」ではなかったこと。

九月さんの演じる役割は、老若男女に及び、それぞれを説得力を持って演じていること。
笑わせることを目的にするものではなく、どちらかというと、星新一の短編集でさまざまなアイデアを掌編として次々に叩き込まれて呆気にとられた時に近い。
「これは、お笑いの皮を被ったストーリーライターだ」
「さらにそれを、全部自分の身一つで演じているのだ」
そして年間千本のネタを作り、ストックは三千本に及ぶという。
私は短編の小説の話を一つまとめるのにも、早くても数週間考え続ける必要があるというのに。

公演が始まる前に出迎えてくれた九月さんは、イメージよりも体の大きい成人男性だった。
その姿は変わらないまま、それぞれのコントの中で、幼女を演じ、老婆を演じ、青年を演じ、職業人を演じているのを見ていると、「九月さんの姿」は成人男性ではなく、年齢・性別を超えてくるくると表情を変えていった。
それはまるで、霊をおろして言葉を話すイタコにも重なって見えて、一つの体であれほどの人格の媒体になると、本体が保てないんじゃないか?と心配になった。

しかしそれは、その後しばらく観察しているうちにその心配には及ばないということが分かる。
彼の演じる役割は、「他者を演じる」のではなく、「彼の中にすべての人格・物語が内在しており、それをアドリブ的に表出させているだけなのだ」と理解したからだ。

ここまで読んで、何が何だかわからない人もいると思う。
私も未見の状況で、説明としてこれを読んだ場合、混乱すると思うし俄かに信じないとは思う。

実際に見てもらうほうが早いので、私の中で印象が強いコントを感想を添えて、いくつか紹介しようと思う。
「笑いを求める人」よりも、「物語性を求め、言葉を信頼する人」に九月さんを知ってほしいという私の希望の意味も、伝わるのではないかと思う。

私と理性

「ねえねえ、あきらくん。私と仕事、どっちが大事?」
「やったあ! 私なんだ!」
「じゃあ、仕事辞めて???」
「ありがとう! これでずーーっと一緒だね!」

けだるく可愛い女の子が、上記のあるあるなセリフで彼氏に迫ります。
途中から声が低くなって怖いくらいの圧と間。
仕事、睡眠、理性、自分を二者択一で取り上げられていく経緯を見守る話。
「自分勝手だな~~~~?!」と彼女に思いつつ、まあでも十代の恋愛初期ってこんな不条理あるよな、ってちょっと身に覚えがありました。
デッドエンドの終幕が、鮮やかすぎて、スーパークール。イチオシです。

工場の太陽

「ほんと? さくらさん、俺なんかのこと好きなの?」
「さくらさんはきれいな人で、アイドルのような見た目をしていて、成績も優秀、廊下をすれ違うたびに微笑んでくれて、まさにこの学校のマドンナ、そのもののような存在」
「でも、付き合うことはできないや、ごめんね」
「この学校のマドンナだと思う。だけどそんな君に、僕は、工場の匂いを感じる。作られたものだなあって、偽物だなあって感じる」

高校生の女の子が、頭の中で描いた『理想の女の子像』を不自然に演じていることを看破されて、告白したのに振られたところから話が始まる。
これ、強弱あれど『なりたい理想の自分になる/演じる』っていうところは、誰にでもあてはまるんじゃないかなと思います。私は刺さりました。良かれと思って不器用に必死に努力して実現している姿を、仮にも好きな人にこれだけ言語化されて看破されて振られるって、なかなか残酷な話なんじゃないかとおもいます。
『学校のマドンナ』がサンプルになってますけど、新卒の就職活動ではみんな『従順で優秀な大学生』を演じるし、『世間に認められる立派な母親』を演じる人もいるだろうし、役割を演じることで人間は社会の中で役割を担うことを自発的に行っていくという構造を指摘しているような気がしました。
話がそれるんですけど、楠本まきの『致死量ドーリス』という、相手の理想の少女像を演じて自分自身は空っぽだというテーマを思い出しました。
無意識にでも役割を演じている人は、『自然体ではなく演じている』と看破されると、存在価値とアイデンティティを失います。さくらちゃんかわいそうに、、、、

心おせんたく

「連絡の頻度で自分が好かれてるかどうか判断するのやめたほうがいい」
「自分が足りなくなるためだけの指標を持つなよ」
「連絡の頻度が増えて満たされるわけでもないのに、減って削れるって何なのそれ、都合よすぎ」

「受け取り方に癖がついてるのよ」
「自分が都合よく不幸になれる受け取り方を覚えるの良くない」
「不満を溜めに行ってるじゃん、それって反撃するとこちらにダメージが来るの」
「その構図理解してる? してないよね、だからそういう無邪気なことができるの」
「単純に未熟なんだよ、精神年齢が未熟。だから自分が傷つくふりをして他人を傷つけるっていう一番よくない振る舞いをしているわけ」

「負けることで、こちらに対して上に来るっていうコミュニケーションスタイル取ってるじゃん」
「自分が正常って言うポジションに立つっていうさ、弁護士だったら向いてるかもしれないけどさ」

これだけ、恋愛の不条理を理屈で言語化されて、殴り倒されるの、こっわ~と思ってみてました。
そして『心おせんたく』が免罪符として、強力・便利すぎる。
心おせんたくって暗喩だと思うんですけど、そう思うと他人事として笑える人はだいぶ減るんじゃないかなーと思います。
個人的に、「九月さんすごいな」と最初に思ったのは、Twitterに貼られていたこれ。

ガルシアさんと龍平

「龍平、アメリカでの暮らしはどうでしたか? 楽しかったなら何よりです」
「言語や文化を、よりよく学んでほしいと思い、ホームステイの留学生を受け入れてきました」

序盤の上のセリフが、見終わった後に回収される伏線になります。
アメリカを侵略しに来た日本人留学生の無双っぷりを見るコントです。
2022年に九月さんが一番やったコントとのことで、代表作の一つなんだと思います。

赤とんぼ爆食いお兄さん

「仕事は簡単。完全出来高払いで、一匹捕まえると三千円です。かなり稼げる仕事です」

この話一番好きかもしれないです。
バイト初日の先輩の具体的なあるある感に始まり
怪物の登場により割のいいバイトが急転直下ホラー展開するところからの軽快な着地。
もはや爽やか。
二人称の語りにより、自分事化が促されやすく、体験型の没入度が高いと思います。

世界観が2個ある

「今あたしは、サバンナに解き放たれた愛に飢えた獣。がお~」
「森を壊すお前たちは文明の奴隷に過ぎない。私たち森の巨人に破壊されるだけの存在」

上記のセリフだけでじわじわ笑ってしまうんですけど、温度差の違う『気怠いセクシーお姉さん』『野蛮な森の巨人』を演じる九月さんの説得力がすごい。気怠いセクシーお姉さん、痛くなりそうなキャラなのにかわいくセクシーに見えてくるのが凄い。生で演じているところを正直一番見たい話。
この人たち、意思疎通できるんやっていう驚きと、途中からお姉さんが爆走させる知性が面白すぎる。どうやって着地させるんだこれ、って毎回忘れて呆気にとられるんですけど、着地が力業で毎回笑う。

血塗られた島

「日本の国には帰れん。流れ付きし日本の国のものは、我ら森人に名を付けられ、奴隷にされ、ここで一生を終えり。おめの日本の国からの荷物全て海に捨てれり」
「背中の傷が痛かろう。さきほど、我、こやの背中を切り裂けり。刃物で切り裂けり。血が欲しかってん」

ホラーの文脈で始まり、実態ホラーじゃない話。
全体構成が説明された瞬間、ミステリにも似たアハ体験があります。
古語みたいな現地の人の喋りが、意味が分かるけど共感できない感じが秀逸。
言葉の使い分けだけで、これだけ世界観と文脈を操れるんだなって。秀逸。
意味不明な歌、意味不明な言葉が、怖い世界観の説得力を増す手法も秀逸。

夜泣き

堂々とした二枚舌の論理の矛盾からの鮮やかな着地。

タクシードライバードライバー

「どちらまで? 新宿駅ですね」
「僕は、運転手自体は15年くらいですけど、この形でやるようになってからは1年くらいなのかなあ」
「今の運転手、カーナビに頼りっきりだから。食べ物屋さんなんてわかんないですよ」
「ちゃんと喋りたいんで、いったん止めますね」

鮮やかな伏線回収。推理小説好きの方におすすめ。
日常から急展開で怖い話に突入する勢い。

あるあるがある部屋

大学生の弟が不自然に「大学生らしい部屋」に住んでいた話。

「ほんとに彼女居ない? この感じの部屋に住んでるなら居ないほうが良くないぞ」
「こんな部屋作って遊んでないってことは、……どれにしてもダメだよ」
「わかってあげたいんだけど、わからない」

わすれものさま

「百葉箱の中には温度計なんて入ってないんだ」
「あの中には子供が大人になるにつれて忘れていく最もまっすぐな気持ちが全部入っているに違いないんだ」

お父さんのピュアネスと羞恥心と逆ギレ…

マヨネーズだった奴

冷蔵庫のマヨネーズがある日人間の高校生になり、高校で追試を受けさせられるシュールさ。

「英語と世界史が追試? だりいって面倒くさい、やだやだやだ勉強したくない」
「冷静に考えてよ先生? 俺先月までマヨネーズだったんだぜ?」

世の中そんなことありえないという常識を、九月さんがパワーでねじ伏せていくところが圧巻。

「俺が結構賢いマヨネーズだったからよかったものをさ、追試2科目なの褒められてよくない?」
「俺はまだ人間として安定してないの!」「多くを求めすぎなんだって」

マヨネーズは暗喩なんじゃないですか? え、これ求められる役割に足りない人間のこと言ってる?

はざまの世界

「私本当は、役者になりたかったんです」

生活費を稼ぐために始めた家庭教師の仕事で、理性をぶち壊されるに至るまでの話。
理性を徐々に手放して狂気に至る九月さんの存在感が珠玉。

雪の子

1歳で10センチ、2歳で20センチ。誕生日ごとに×10センチの雪が積もる法則を持つ女の子が18歳になって、「できれば東京に行かないか」と親が懇願する話。

繰り返し描かれるモチーフ

いつのまにか狂気の法則性に足を踏み込んで、それに気づいて必死に周囲に訴える人。
他者からの疎外感を抱える怪物。
それらは、九月さんのコントを見ていると、複数の作品に繰り返し用いられるイメージであることに気付く。
それはインタビュー(九月、話そうや【9話】)でも語られている通り、青森で優秀すぎるため孤独を覚えた彼自身の姿であり、過去の彼自身を客観化し、消化するための人生への向き合い方にも見える。
それは本来、純文学の役割なんじゃないだろうか。
九月さんは、お笑いというフォーマットを用いて、自身の人生へと向き合い続けている自作自演作家と言えるような気がする。

「僕は本来、めちゃめちゃパワー系なんですよ」
と自身が話すように、その一端もコントの中に頻繁に表れている。

社会の中の役割に合わせて演じるという一般的な手法ではなく、彼は彼であることを人生の主題に据えているのではないかと思う。
それを貫くための手段が「コントを書き、思考をパッケージ化・作品化する」「それを再現して見せることで、物語を観客に見せる」ということなのではないか。
自分であることを仕事にすることは容易ではない。
誰しもがそれに憧れたことはあるだろうけれど、それが叶えられるのは『特別』である人だけなので、普通の人は社会に求められる役割を演じて、居場所を得る。
自分を貫くことのしんどさ、きつさを、本人の持つ知性とエネルギーと愛嬌と言葉の力で実現しようとしている人、というのが、現在の私の九月さんへの認識である。

>コントは全て何らかの意味での日記
ってすごいなって思って引用させていただきました。
書いたものへの責任の持ち方がすごい。

興味を持った人、こちらもどうぞ

九月の観るラジオ

Twitterで連載している企画「九月の読むラジオ」の映像版。
匿名で投稿された相談事に、答えていく内容なんですが、九月さんがネタではなく、対話ではなく、素で話している姿を見ることができます。
48時間軟禁ライブの後の疲弊しきっているだろうタイミングで、これだけ頭が回転するのがすごい。伝わりやすい話し方や、整理の仕方が鮮やかです。

九月、話そうや【18話】

京都大学を卒業している九月さんが、
「勉強には、上手い下手がある」
「上手いやり方はコツがある」
と受験にあたって、率直にノウハウを詳しく話している回。
これ、私の受験前に見たかったです。
結局のところ、仕事を達成させるための、タスク整理から向き合い方などの話なので
仕事にも役に立てられる話だと思いました。見て損はしないのでこれだけでも見て。
人類の役に立つ話。

そして何より、ライブに足を運んでみるといいと思います。

■追記 本が出ます

まだ発売前なんですが、とても楽しみにしてます。

■追記 ご自身のプロフィールページ


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