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社長になった日

株式会社リアライズの佐藤です。
『将来生活に困りそうな人第三位だった僕が社長になるまで』

と題してマイナスから製造事業をスタートさせて個人事業主から株式会社を設立するまでを連載しています。

0~9話はこちら↓

0.将来生活に困りそうな人第三位の僕が社長になるまで
1.最初の衝動は小さい方がいい
2.実はポジティブよりもネガティブの方がいい
3.誰にでもできることを誰にもできないレベルでやる
4.・・・ざるを得ない状況に置かれると人は勝手にやるようになる
5.自分の時間を生き自分の人生を手にいれるコツ
6.何かのチャンピオンを目指せよ
7.努力を続けたらそれを凌駕するものが生まれた話
8.どんなに忙しくても必ずやらなくてはいけないこと
9.成功本、その通りやってみたらこうなった

今回は最終回になります。
このようにシリーズで長い記事を書いたことはありませんでしたし、今ひとつの作品を書き終えるような感覚があり、少し感慨もありますね。

知識も経験もなかった僕が事業を11年も継続できたことはそれまでの自分の人生を考えると奇跡のような成功だったと感じています。

ただその軌跡を振り返るとその幸運がただの偶然だった訳ではなくちゃんと理由があったようにも思います。
その理由を紐解くことはきっと僕と同じような多くの"普通の人達"にとって少しは意味のあるものではないかと思っています。

伝えたいテーマは、

弱くても勝てます

ということです。最終話お付き合いください。

成長軌道にのった缶バッジの製作事業

2009年の10月頃、平日の日中はバイトをして10万ちょっとのバイト代を稼ぎ、夜は副業でその3倍程度の収入を得るというちょっとアンバランスな収入の状態になっていました。
謎に石橋を叩いて渡る僕は、それでもバイトをすぐにやめようとは思ってはいなくて、

このまま1年がんばってみて、1年後にもまだちゃんと稼げていたらバイトをやめてこの商売で生きていこう。まずはあと1年、がむしゃらにがんばってみよう。

このように自分と約束にも似たような誓いを立てました。今思うとしがみついてたのはアルバイトなんですけどね。
この時はまだバンド活動をしていましたし、とにかく睡眠時間の少ないめまぐるしい日々を過ごしました。

仕事をするうえで大事にしたことは、

忙しくても常に前に出る為の行動はすること。
日本一お客様に優しい缶バッジ屋さんでいようという意思と自負。

2010年頃から継続してお取引をいただける常連様が現れ始め、企業とのお付き合いも始まっていく中で企業間取引の基本的なことをお客様に教えていただきながら学んでいきました。

今でもお取引いただいているある企業の社長さんが、毎月毎月請求書を間違える僕に、

「佐藤さん請求書間違え過ぎ!会計ソフトあげるからこれで勉強して。」

と、会計ソフトを下さった、ということもありました。

このようにご迷惑をおかけしたこともたくさんありましたが常にお客様に対しては感謝の気持ちを全面に伝えていましたし、本当にありがたかったんです。

以前の記事でも書いたことがありますが、

こちらの真心には真心が返ってくる、こちらの未熟さには叱咤が返ってくる。
ただその叱咤によりひとつ成長できる。

毎日寝ないで働き、学び僕はどんどん知識を吸収していきました。
僕は日々商売にのめり込んでいく自分に毎日熱狂していました。

そして約束の1年後。

事業はめざましく拡大し、僕と10人の内職さんとで運営する規模にまでなっていました。
そうして僕はお世話になったアルバイトを辞めて缶バッジ製作を生業にしていこうと腹を括りました。

2010年9月の事です。

一定の成功そして目的を失った

2010年12月には第一子が誕生しました。そしてこの時僕はバンドをやめました。

”このままではバンドを続けながら子供を授かるなんてことはできない、だから自分の仕事で月に2万円でいいから稼がなくては!”このようにして始まった僕の個人事業主としての歩みでしたがこの時、手に入れたいと思っていた目的を果たし、そして無くしたくないと思っていたものを無くしました。

バンドをやめたのは自分の決断でしたが、子供が生まれた事と缶バッジの事業がとにかく忙しかったこともあり、いつの間にか自分の中での優先順位が逆転していたことが原因でした。
この時は自分でも驚く程気持ちの切り替えはすんなりとできて、自宅で毎日24時間家族3人で過ごしながら忙しいながらも仕事をこなしていく、そんな新しい生活が始まりました。

収入もそれなりにあり、もともと贅沢がしたいタイプでもないので充分ゆとりのある幸せといえば幸せすぎる生活だったと今でも思います。
事務所を構えていた訳ではなく集客もネットが中心でお客様とのやり取りも電話とメールで不便はなかったし、全国どこにいても仕事はできる。PC持って急に思い立って旅行にも行けちゃう、なんとも贅沢な生活ですね。

ただ、そんな生活を2ヶ月ほど送るうちに、バンドをやりながらギリギリののところで生きていた時の執念の様なものがない生活の中でこの先自分が何を目指して仕事をしていこうか、といったことに答えを見いだせなくなっていくのがわかりました。

生活は充分豊かになった。でも事業開始からの1年で感じていたあの熱狂は嘘のようになくなっていて、僕はいつしか生まれ故郷の静岡に帰ろうと思うようになっていました。

それが、2011年2月頃のことでした。

震災をきっかけにして考え方が変わる

そんな時に起こったのが東日本大震災です。
震災直後の1週間は仕事がパタリとなくなりましたが、その後はむしろ震災復興祈念のアイテムとして缶バッジが使われることが増えた為にこれまで以上にバタバタとした2011年春を過ごしていました。

そんな中、当時お付き合いのあったあるお客様から「東北のとある施設が震災後に人が全然来なくなり運営に困っている為、内職仕事など振ってあげられないか」と相談を受けました。
自分が力になれるならとすぐにその施設に連絡をとり、何度かのやり取りの末に缶バッジ製造用の機材とパーツを送るという形で大枠の話はすぐにまとまり施設の方はこの取り組みを歓迎してくれていたのですが、途中でどこかから待ったがかかり最終的にその話は頓挫してしまいました。

理由は僕が個人事業だったから

一緒に組んで取り組む相手としてふさわしくないと判断した誰かがいたようです。

悔しかったです。

社会的に信用がないと人助けもできないのかと、もちろん憤りも感じましたけどそれ以上に無力な自分を情けなく感じました。

この悔しさと無力感は少しずつ自分の考え方を変え、

ここから先自分がやりたいと思えることに出会えた時には手を伸ばせば少なくともそれに挑戦できるような自分でいたい。その為に必要な力をつけていこう。

と思うようになりました。極貧生活の中で生まれてきた”バンドを活動をしながら生活を支えていくための仕事をつくる”という目的以来の長期的で大きな目的だったように思います。

そうして僕は缶バッジ製作事業の法人化を目指すことを決めました。2011年5月頃のことです。


社長になった日

"株式会社をつくる"

お金を稼ぐということ以外に仕事に対する将来的な展望を見いだせなくなっていた僕にとっては大きな変化でしたし、事業を始めてからの2年半、ただただゼロイチで作った事業に注文がくること、ありがとうと言ってもらえることに興奮していただけの自分にとっては考えたこともない価値観でした。

でも一度そのように考え出したら「社長ってかっこよくない?もし本当に社長になれたら、なんか俺すごくない?」という小学生のような自分がこの先にやってくるかもしれない未知数の未来にわくわくし始め、目の前にある仕事を頑張るというだけの働き方から未来に向けて計画を立て働くようになりました。

これまで僕と内職さん15人という組織体制で運営をしていましたが、その中から2人内職のボスのような形をお願いし僕はその2人に製作の相談をし業務の割振りはその2人がするような組織にしました。
ちなみにその2人は今では共に子会社の代表をしてくれています。

2019年7月には初めての大きな設備投資をし、7畳の仕事部屋にTシャツのダイレクトプリンターと熱プレス機を設置しTシャツのプリント事業を開始しました。
もともと付き合いのあったお客様からはすぐに仕事をいただけるようになり缶バッジの製作とTシャツのプリントという2事業を抱えて、ますます寝れない日を過ごすようになりましたが、缶バッジの事業が動き始めた頃のような熱狂した日々を再び過ごせるようになっていきました。

そこからの数か月も少しずつですが事業規模を拡大させながら、2011年12月、ついに株式会社リアライズが設立され僕は代表取締役に就任します。

法人名のリアライズは創業当初からなのっていた屋号でしたし、これまで慣れ親しんだ名前だったのでそのまま付けました。

たった一人のそれでも誇らしい船出でした。

最後に

事業が軌道にのってから法人化までを駆け足で書きましたが、振り返ってみると、事業での収入がバイト代の3倍になっても1年間、ただのアルバイトにしがみついた僕は何か新しいことに一歩踏み出す時に人が変化を恐れることを身を持って感じています。
でもその変化だって大したものではないことも今ではわかっています。

恐いのが自然。だから安心して怖さに向き合いビビらずに飛び込むこと

そして生活が豊かになりバンドをやめてしまった時のことや東北の施設との取組みが頓挫してしまった時のことを振り返って今感じるのは、

何かに満ち足りた状態よりも何かに向かっていく精神性の時の方が人は幸せで、その状態をつくる為に「悔しさ」って結構いいカンフル剤になる

ということです。

思えばバンド時代から今でも何かにがんばれた時は怖さを感じたり、悔しかったり、そういった一見すると負の感情のようなものが出発点だったことが多いように思います。何かネガティブな感情が自分の中に生まれた時にはその事象を冷静に見つめてそれを成長の種にできないか考えてみると良いかもしれません。

事業立ち上げから法人化まで3年間は僕の人生を劇的に変え、人間性も大きく変えてくれた3年間でした。ただ社長になったからって全然変わっていないことがあります。
それは小さなことにくよくよしてしまうことだったり心配性な自分だったりする”人としての弱さ”です。これは起業から11年経った今でも変わりません。というかむしろ増してるかもw
でも臆病だからこそいろいろなことを心配しそれに備え努力し事業を継続してこれたと、今では自分の弱さに感謝すらしています。
多くの人は大スターにはなれません。
でも自分の弱さと向きあってその弱さを利用することができたら、僕達凡人が思いつく大概のことは叶えられてしまうのではないかと感じています。もしかたらあの大スターだって小さいことでくよくよしてる臆病な人かもしれませんよ?

今回の創業期を振り返るにあたり一貫して”弱くても勝てます”と伝えてきましたが僕は今ではこう思っています。

弱いからこそ勝てます!

最後までお読みいただきありがとうございます。これを読んでくれたあなたの小さくて偉大なストーリーをいつか聞かせていただける日が来ることを楽しみにしています。

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