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道具を創るための道具を創る

今1ヶ月のフィリピン語学留学に来ており、1日英語ばかり話しているせいで、思考がじっくりと発酵できないので「書く」ことで思考するということを再開しようかなと思っています。とはいえ、今までのぼくの「書く」という行為のパターンからすると、しっかり書こう!という気概が全面に出てしまうので、考えすぎずに雑に綴るなかで、点と点がゆるやかに紡がれてって、それが時と共に発酵しちゃって、いずれ綺麗な思想の織物ができればいいなあと思う次第です。1日30分は書く!と。とりあえずフィリピン滞在の残り2週間で、これを習慣化させたいです。

さて、最近興味があるのがタイトルにある通りこのテーマなんです、メタ的なツールメイキングとでもいいましょうか。

なにそれ?ってそのままなのですが、例えば「書く」という行為を通じて今ぼくはこのテクストを生み出してるわけですが、そのためにMacbookという道具を使い、noteというサービスを使い、綴りっているわけです。
ぼくのクリエイションはこれらの道具によって支えられています。多分、(紙の)ノートに書こうとしたら、30分/日がきつくて初日から挫折します。

要はもうちょっと抽象度を上げると人の創造可能性を広げていく道具って素敵だよねということです。道具を創るための道具というワードの"前者の道具"は、「人の創発性を引き出す」と言い換えてもいいかもしれません。そして"後者の道具"は、人工物全般を文字通り指します。ワークショップのような一時的状況・環境、クリエイティブ・コモンズのようなルール、無論Macbookのようなテクノロジー、なんでもありです。

少し前に、佐藤卓さんの「塑する思考」を立ち読みしていたときに、風呂敷のお話が書かれていましたが、まさにそれが象徴的だなと思ったんですよね。
風呂敷は単に1枚の布でしかありません。でも、使い方は状況に応じて無限に広がります。たった1枚の風呂敷でありとあらゆることができちゃいます。

・小さな荷物をまとめて運ぶ必要があったら?カバンにしちゃいましょう
・もしちょっと首元が涼しかったら?ストールちっくに巻いちゃいましょう
・人が来るのに家の棚が散らかってたら?かぶせて隠しちゃいましょう

こうした、人々と状況と対象の関係性の中に見出され、創発されるものは美しさを感じます。そういったものがなぜ美しいのか?人が生きるための工夫の痕跡をまざまざと感じられるからではないかと思います。

デザインと"生きる"ことは切り離せません。デザインを意識せずとも、誰もが日々の中でブリコラージュしながら、自分にとってよりなめらか生活を形成して生きてるはずです。その一瞬一瞬における自己創発に歓びを感じるわけです。

昨今のデザインにはそうした人の創発をが薄れてきているような気がしています。イヴァン・イリイチが1970年代から提起している「各人に、おのれの想像力の結果として環境をゆたかなものにする最大の機会を与える」というコンヴィヴァリティのための道具を生み出すこと。それは人の可能性を信じて、人類のボトムラインを引き上げることに繋がると思います。そうした創造性を引き出し、それが内的成長につながるような道具、その方向性でのデザインに従事していくことがぼくの探求する豊かさへもつながっていくと感じています。よし、だいたい30分で書き上げられました続けられますよう。

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