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フィンランドデザインと文化;独立とデザインの歴史

ぼくが今留学している国、フィンランドはデザインでとても有名で、マリメッコやイッタラと言ったブランドの店舗には日本からのお客さんが非常に多い。加えて近年ではサービスデザインやコデザインと言った領域でとても進んでいる国です。例えば、ヘルシンキ市政の各局、例えば移民局にデザインチームが設けられたり、Participatory Budgetingと呼ばれる政府の予算をどう配分するのか?をボードゲームを活用して市民とともに考えたり、ということが盛んに行われています。2012年にはUNESCOのDesign Cityに認定もされ、国全体においてデザインに対するリテラシーが非常に高い社会が存在してます。

では、どうしてデザインが社会に根づいていったのか、どんな歴史のナラティブの中でデザインを語り得るか?国のアイデンティティとデザインの関係性は?そうした背景から今、未来に向かって何を語らなければいけないのか?
上記のような問いをアールト大学のDesign & Cultureという授業で取扱ったため、下記のように分割しつつ紹介できればと思います。

ー目次ー
1) フィンランドの歴史とデザイン (本記事)
2) デザインの視点から見るフィンランドのアイデンティティ
3) デザインはどうアイデンティティ形成に貢献するか?
4) これからの時代と未来に向けたアイデンティティの更新

フィンランドの独立とデザイン

フィンランドは、昨年に独立100周年を迎えました。それ以前はつまりずっと他国、スウェーデンとロシアの支配下にありました。詳細は割愛しますが、1917年に契機を見出し独立を叫ぶことで支配から抜け出すことができましたが、一方で民は国としてのアイデンティティが見いだせない状況にありました。少し遡ると1835年にカレヴァラという独自の伝説等をまとめた民族詩が発行され、これこそが独立に向けた運動を加速する決め手ともなり、国民意識を高めることになります。フィンランド独自の文化を作っていこう、というムーブメントからナショナル・ロマンティシズムと言われるカレヴァラの神話を体現した装飾的な建築物が建てられました。

1920-30年にはモダニズムの流れに大きく影響を受けつつ、デザイン文化の立役者でもあるAlvar Aaltoの「アールトベース」や建築物により自然を取り込むスタイルを統合していきました。
特にベースに代表する"ガラス製品"は、戦後の影響で原材料がなくモノ作りができない時代において、フィンランドに唯一残っていたマテリアルであり、それを活用してなんとか国のアイデンティティを構築しようという意志があったそうです。
独立直後とはいえソ連配下にあったことで、周囲のヨーロッパ諸国からは共産国になると考えられていたところ、世界的に何かしらの分野で認められることで共産国ではないことを示そうとしていました。

デザインの貢献とポジションの確立

1951年のミラントリエンナーレはそうしたフィンランドの歴史とデザイン史においても大事な1ページとなります。フィンランドデザインにおけるヒーロ、Tapio Wirkkalaを中軸に、トリエンナーレでの展示において大成功をおさめたことで、フィンランドデザインは他のヨーロッパ諸国と肩を並べられる国だという認識を築き、それは国内での継続的なデザインディスコースおよび国に対する誇りを生み出しました。

ミランでの大成功はデザインの重要性を国中に知らしめることにも繋がります。これが現在のフィンランド社会においてもデザインが重要視されている歴史的背景にもなっているのだと思います。
この時期から産業化の流れを受け、生活の質も向上し、さらなる消費を促進につながり、それがデザインの需要を高めるに至ります。

フィンランド社会におけるデザインの拡張

デザインの重要性が高まる中で、デザインがより協力的なものかつ社会的な責任を背負うべきという味方が強くなっていきました。しかもそれを主導したのは、天才的なハンドクラフトのガラス製品により収めた国際的な成功への過剰な依存をしていたフィンランドのデザインカルチャーに対し辟易していた"学生たち"でした。

無論、AaltoやWirkkala、Armi Ratia (マリメッコのファウンダー)らが手がけるデザイン製品は、収入・地位・人種に限らず誰しもにとって生活を彩り美しくすることを念頭に作られ、これらも社会的かつモラル的な責任を考慮したデザインとして見られていました。しかしながらデザイナーの役割が装飾的なものに限定されていたことも確かで、目まぐるしく社会・生活環境が変化していく中で一部の学生達には苛立ちと不安が募っていったそう。

その中の最も熱量あふれる学生グループが行動を起こし、他の北欧諸国で同じような憤りを感じる学生に働きかけ、国際的な組織を作りました。彼らは当時の教育を風刺するような展示や政府への嘆願書に加え、シンポジウムの開催により、デザインをより道徳的、社会的、環境的な影響を考慮したプラクティスに昇華させるに至りました。 
(このシンポジウムに関しても非常に面白いのですが長くなるので割愛)

特にシンポジウムは大成功を収め、国民テレビで放映されるほど。これにより社会の変化に応じるためのデザイン教育の必要性をどれだけ学生が訴えていたかを国中が知ることになります。その成果もあり、1973年に国として正式なデザイン教育機関としてthe University of Art and Design Helsinkiが誕生し、社会的な視座に根ざした教育が始まりました。

フィンランドの最近

少し時代を飛ばし、最近のフィンランドはというと冒頭でも述べたようにWorld Design Capitalとなり、国を挙げてさらにデザインを社会に統合しています。公共・民間ともにサービスデザインの考え方が広く浸透し、かつデモクラティックなカルチャーから、市民やエンドユーザーを巻き込みながら未来を描き、次へのアクションを意思決定しています。

従来の工芸的なデザインを残しつつ、新たな領域へと先手を取ってデザインを拡張している背景を少し垣間見た気がしました。次回は具体的なアイデンティティに焦点をおいて考えたいと思います。

追伸:
翻って日本のアイデンティティとデザインの関係性はどのようなものなのだろうか?どんな歴史的背景と繋がっているのか?
そうしたまなざしから日本を改めて考えたいため、意見や考えがある方はぜひご共有・議論いたしましょう

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