自己紹介
今日は少し頑張りたい。約150日、毎日書けてます。みんなのおかげかなあと思います。ぼくの文章にスキをくれて感謝します。
まだ、自己紹介の記事を正式に書いていませんでした。書いてみます。
ぼくは東京のある下町で父、正。母、年子の長男として、誕生しました。
当時、父は自動車板金の自営をしており、母は経理と家の家事をして、父に協力していました。
下に弟と妹が生まれ、王子様天国だった期間は過ぎ去ってしまい、お兄ちゃんにならざる得なくなり、何かてきとうに面倒を見ていたと思います。
当時、父の会社はたくさんのお客が来てくれたので繁盛しており、ぼくは私立のS幼稚園に入れられました。でも、交友が下手で、友人はなんとなく一人できましたが、何のために幼稚園にいかねばならないのかと考えていました。
やがて、公立のH小学校に入学し、今思う躁鬱に悩みながら、いやいや通っていました。工作が得意だったので、その時間が楽しみで、体育は最悪で、1回、体育をエスケープしたことがありました。
さんすうが16点と言う点と取ってしまい(勉強はしていなかった。遊びに夢中だった)先生と母に言われます。勉強しなきゃダメでしょと。
何で勉強なんかしないといけないの?それより仲間とトムソーヤごっこしてた方が100倍楽しい。だから、母に学習ドリルをやるように言われ、頭が痛かったです。
寒い冬のある日、父の工場が火事になりました。母に急に起こされ、「火事なの。逃げるのよ」と言われ、気が付くと火の海。パジャマに毛布だけで、近所の公園に逃げました。そこから大きな火の柱。母は号泣していました。
警察はタバコの消し忘れたのが、ガソリンに引火したのではと言っていたそうです。ぼくは妬みによる放火とみています。人間不信になりました。本音が先生にもクラスメイトにも言えなくなりました。
工場を貸してくれた大家さんが急いで、近所のアパートを手配してくれたり、近所の親切なおばさんが、おにぎりを差し入れてくれて、人の親切に初めて触れ、泣きそうでした。
父の借金は数千万になり、逃げださないで、同じ場所に大家さんに借金して工場を再開、周りの白い目を気にしながら、頑張っていました。
ぼくが公園で休んでいると、おばちゃん連中が、「よく平々凡々、遊んでいるよね。迷惑をかけたのと思わないのかしら」と言い、去って行きました。
ぼくは悪くないのに。
(つづく)
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