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塾講師たちの責任について

2回目の投稿です。「スキ」してくださった方、ありがとうございます!とっても書く励みになります(^O^)/

さて、今回はタイトルにある通り「責任」について。

「責任」という言葉が示すもの…いろいろありますよね。「責任が付きまとう」と言えばマイナスなイメージ、「責任感が強い」と聞けばポジティブなイメージ。そして、今の時代を象徴?するような「責任逃れ」。嫌なニュースがあるから、「責任」なんて聞いたら耳をふさいでしまう人もいるかもしれませんね。

私は塾のスタッフですから、塾にももちろん「責任」がある。ただ、「塾の責任」も見方によってはいろいろある。

・地域に対しての責任(「学習」を通して、この地域を活性化したい)

・経営陣としての責任(スタッフを路頭に迷わせないように!)

・一社員としての責任(塾の規模拡大や、収益アップの貢献)

どれも大事だし、どれもが欠けてはいけない「責任」なのです。その「責任」があるからこそ、必死に働いているという側面があることも忘れてはいけない(と、自分を日々戒めている)。

今回お伝えしたいのは、現場に立ち、生徒たちに指導するスタッフが一番意識していなければいけない「責任」についてです。

現在の世の中は、ずいぶんと職種も増えたので一概には言えませんが、「教育業」にはある特徴があります。それは、「「生徒」という「生きもの」を扱う職業である」というものです。「もの」を扱う職業とは違うのです。そして、成長期を送る子どもである以上、見せる表情はさまざま。反抗期を迎える中2もいれば、まだまだ幼い小学生もいる。「子ども」とひとくくりに出来るほど「子ども」を簡単に捉えることはできません。それくらいに多様だからこそ、過ごす日々も色濃いのです。

紹介するのが遅くなりましたが、私の塾は集団塾です。30~40人を1クラスにして進学指導を行っています(授業については、また別に投稿します)。

「塾だから、頭のいい子が行くんでしょ」

いえいえ、そんなことはないんですよ。もちろん、やる気があり、積極性に富んだ生徒もいますが、おうちの方が無理やり入れたというケースもあります。ですから、クラスの雰囲気維持にも努力が必要になるんですね。理解できない子は騒ぎだしてしまうこともあるし、全く考えず意識がどっかに言ってしまう子、隣の子とコソコソ話してしまう子…。

指導するスタッフたちは、学習する雰囲気をまずつくって、そこに生徒たちを染め上げ、スタッフのペースに乗せて、その日に出来るようになるものを出来るようにさせて帰しているのです(そうできないときもありますが)。どうすれば興味を持ってくれるかな、どうすれば夢中に話を聞いてくれるかな、そのためにはどのような授業進行にしようかな、今日は事前準備があるから家に帰っても眠れないな。スタッフはすごくすごく生徒のことを考えているのです。

言うことをなかなか聞いてくれない生徒。私が若かったころは「何だこの子は! 塾を辞めてしまえばいいのに!」と思ったことがたびたびありました。「ちゃんと話を聞かない」「姿勢が直らない」「学ぼうとする意識がない」頭にくることはたくさんあって、先輩たちに、「辞めさせたらどうか?」と話したこともたくさんありました。その時の会話、とてもよく覚えているのです。

「確かにね、言いたいことはよくわかる。」

「だったら、本人に叱責するなり、保護者を呼び出すなり厳しい対処をした方がいいのではないでしょうか。その子だけ困るならいいんです。周りの子たちへの迷惑になるなら、いる価値が無いでしょう。」

「でもな、」

「なんですか?」

「その子を手放したら、その子はどうなる?」

「好きにすればいいじゃないですか。自分がやっていることが愚かだって後から気付けばいんですよ!」

「それは違う。」

「なんでですか?」

「後から気付けばいいなんて、こっちの都合だ。子どもなんだから、その場で確実に指導しないといけない。そもそも、一度この塾に入ったのなら、塾の雰囲気に染め上げられなかったこちら側に問題がある。お前は、その子に対して、「本気で何とかしてやろう」と思って何かしたか? 本気であがいたか? その場で行動を起こさずに、生徒が帰った後で愚痴るなんてお前は卑怯だ。」

「え…」

「その瞬間、その瞬間が、成長のチャンスなんだ。「今日、自分の授業を受けたことで、その子の将来が変わるかもしれない」って考えて授業をしたか?」

「いや…」

「上手い授業をすればいいんじゃない。そんなものより「必ずこの時間でなんとかしてやるからな!」という熱意が表に出ている授業の方が100倍いい。覚えておけ。塾講師の使命は「子どもたちの人生に責任を持つ」ということだ。この塾で学べて良かったと思ってもらえるように、地を這うくらいに必死に行け。この環境にベテランも若手も関係ない。生徒の可能性を信じ、あきらめずに関わり続ける。その姿を見せることこそが生徒を変える原動力になるんだ。」

「…」

「すべての事象の原因は自分にあると思っておくといい。それは悲観とは違う。自分の行動で何か変えられることがあったのではないかと、前向きに考えることだ。自分を批判的に見て、足りていないところを埋める努力をするんだ。愚痴と批判は違う。」

なつかしい。入社して2年くらいの頃ですかね。私は大学卒業と同時に、今の塾で働いているものですから、当時はまだまだ世の中知らずの大学生のようなものでした。いやぁ、先輩の言葉は衝撃的だったし、自分中心でものを見ている幼稚さに嫌になりますね。。。

今日のタイトル、「塾講師たちの責任」の答えは「子どもたちの人生そのもの」なのです。ずいぶんと、重い仕事をしていると思われがちですが、自分の努力が100%反映させると思うと、必死になれるスタッフにとっては得られるものがたくさんあって、楽しいです(どこかで楽しい面も書きますね)。

人を扱う仕事は大変。しかし、やりがいもあるのです。