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「哲学者」を目指す須藤 凜々花さんへのお願い

元NMB48の須藤凜々花さんが芸能界を引退して「哲学者」を目指すというニュースを見ました。須藤さんについては、ヤフーニュースやワイドショーで得たくらいの情報しか知らないのですが、人を惹きつける「華のある」アイドルさんだという印象です。でも、僕がこのニュースを知って心躍ったのは、「哲学者を目指す」という部分です。いいじゃないですか、哲学者。俺もあこがれるよ、哲学者。

まあ、ふつうに考えたら「何言ってんだこの人は」ということなんでしょうけど、まだ若いしこれから大学入って院へ進んで哲学系の博士号を取れば哲学者を名乗ってもおかしくないと思いますし、博士でなければ哲学者を名乗ること禁止、という法律があるわけでもないので、信じた道をつきすすめば夢はきっとかなうと思います。ソロで紅白歌合戦のステージに立つことよりも実現性は高いんじゃないかな、哲学者としてどう評価されるかは(まだ未知数なので)別として。

僕は須藤さんがどういう動機で哲学の道を志し、今後どういう哲学をやりたいのかは知りません。このnoteを書く前にネットで調べようかと思ったのですが、やめました。「哲学者 須藤凜々花」という言葉から湧き起こる妄想を大事にしたいと思います。

さて、ここからが本題です。須藤さんはコメントの中で

いつの日か「哲学者」須藤凜々花でお会い出来たらと思います。

と言っていました。僕は、そんな「いつの日か出会える哲学者」須藤さんに是非ともやってもらいたいことがあるのです。それは何かというと、

著書のタイトルを、「ザ・哲学書」な感じの(哲学的に)ハードコアなものにして欲しい

ということです。そう、哲学書は「タイトルが命」なんです、分かってくれますよね、須藤さん!!!

須藤さんの件とは関係なく、僕は以前から、かつての知の巨人級の哲学者が今の世の中に現れて、世界や人類について哲学的に語って欲しいと思うことがありました。(ただ、その人に盲目的についていきたい、という思いはありません。)いや、今現在も哲学者は世界中にたくさんいます。しかし僕のようなふつうの人からすると、今の哲学者の方々は、大変恐縮なんですが、昔の哲学者と比べてなんだか見劣りするのです。それはなぜか。それは、「著作のタイトルがしょぼい」からなんです。昔の人はすごかったよ、シビれるのばっかだよね。ということで、今頭の中で哲学書のタイトルを思い出してみたんですが、結構覚えていたのでそのまま書き出してみますね、何も調べずに。

「純粋理性批判」「実践理性批判」「判断力批判」「饗宴」「国家」「ソクラテスの弁明」「精神現象学」「大論理学」「道徳の系譜」「善悪の彼岸」「この人を見よ」「ツァラトゥストラはかく語りき」「人間的、あまりに人間的」「存在と無」「存在と時間」「死に至る病」「あれか、これか」「方法序説」

どうでしょうか、どれもこれも最高で『あまりに哲学的』じゃないですか!中でもニーチェのタイトルは別格ですね。タイトルだけで哲学的気分に浸れるという。しかし、こうやってタイトルをすらすら思い出しながらも、悲しいかなこの中の1冊もちゃんと読んだことがないという、、、すみません最低ですね。ただ、それでも僕は「哲学」が好きなんです。

僕が読んだのは、いわゆる一般の人向けの読み物っぽい概説を何冊かだけです。それらの本に、さっき書いたような本の内容がほんのちょこっとずつ紹介されている、その程度です。あ、「ものぐさ精神分析」なら読んだぞ、と思って調べて見ると、岸田秀は心理学者でした、残念(泣)。実は先ほど挙げた哲学書のうちの何冊かは、本屋の棚で手に取ってレジに持ってこうか迷ったこともあるんです。でも、僕は本を読むのがものすごく遅いという弱点があるため、結局しり込みして買わずじまいになってしまいました。

『構造と力』のインパクト

僕が、「哲学書を読まざる哲学好き」になったのは、間違いなくこの本の影響です。と言いながら、読んだことないのですが(泣)。なぜ影響を与えたかというと、僕が生まれて初めて聞いた哲学書の名前だからです。「構造と力」(浅田彰)の出版年を調べてみると1983年とあり、僕が中学の頃です。ニーチェやサルトルは、母親が鼻歌で歌っていた野坂昭如の歌で名前だけ知っていた程度でした。そんな中飛び込んできた「構造と力」というバズワード。いや、当時本当に流行ったんですよ。特に、YMOを熱心に聴いたり宝島を読んだりしていた中高生は、ほぼ全員知っていたと思います。「構造と力」や「ニューアカ(ニュー・アカデミズム)」を。そういえば、「パンツをはいたサル」(栗本慎一郎)もこの頃か。でもやっぱ「構造と力」だな、タイトルは。中学生なので誰もその本を読んだりしなかったけど、タイトルを口にするだけで少し頭が良くなったような気がしたものです(笑)。

※今考えると、そういう「時代」だったんだなあと思うのが、調べたところ、New Orderの「権力の美学」が1983年、Japanの「錻力の太鼓」が1981年。どちらもタイトルが小難しい感じだし、Japanに至っては、「ブリキ」をわざわざ「錻力」と表記することで「〇〇の〇〇」というニーチェ風にした感が否めません。そしてJapanは「ニュー・ウェイヴ」バンドと呼ばれ、音楽とは関係ないけど「機動戦士ガンダム」の最初の映画が1983年で、描かれたのが「ニュータイプ」。いや、当時はまさに哲学の風が吹いていました。

こうした時代のこのような出会いのおかげで、僕は「哲学ってかっこいい」という印象を持つようになりました。そしてこの好印象が役に立ったのが、大学受験のための勉強の時(浪人時代)です。その頃(1988年)、ニューアカのブームは去っていましたが、ニューアカ的な思想の流れは続いていたようで、現代文の評論のテーマとして、その界隈の思想が頻繁に取り上げられていました。ソシュールとかいっぱい出てたなあ。僕からすると、評論で扱われる学者たちの名前は知ってるし、哲学に対するあこがれもあるので、とてもポジティブに勉強できました。そのおかげか、本を読むのが遅いという弱点のために読書をほとんどしてこなかったにもかかわらず、国語が得点源となって希望の大学に入ることができたのです。ありがとう浅田彰!ニューアカ万歳!

須藤さんには、新たな『哲学ブーム』を起こしてほしい

ということで、須藤さんには、いつの日かド直球でハードコアなタイトルの著書を引っ提げて、日本の思想界に天使のように舞い降りてきてほしいと思っています。日本の哲学書で言うと、「善の研究」「共同幻想論」「構造と力」と並べても引けを取らないくらいインパクトのあるタイトルで是非お願いします!たとえば、「想念の墓場」(須藤凜々花)、「白濁する悟性」(須藤凜々花)、「ペシミズムの帰還」(須藤凜々花)なんていかがでしょうか。だめだ、僕は才能無いですね。でもそんな感じの方向です、僕が求めているのは。そして須藤さんが、誰もがシビれるようなタイトルの哲学書でデビューすれば、新たな哲学ブームがきっと来るはずです。哲学書は「タイトル勝負」ですから!僕は10冊買って中高生に配って回りますよ。そうして中高生たちが哲学に興味をもつようになり、僕のような人間もブームに乗せられて今度こそはあの知の巨人たちの著作を読むことになるとしたら、それは私たちの社会にとってプラスなことだと思うのです!(・・・たぶん。)本の内容は?それはまだ哲学者としての須藤さんの能力が未知数なので分かりませんが、でも大丈夫です。当時「構造と力」に反応した中学生のほとんどが、結局内容を知らないままだったのですから!須藤さん、僕はあなたのことは存じ上げませんが、これからは須藤さんのやりたいように学び、研究をして、本を出せるようになったら、タイトルだけは気合いの入ったものを是非お願いしますね、陰ながら応援しています!

僕の願いが届かず、本のタイトルが『凜々花のものぐさ精神分析♡』だったとしても、多分買っちゃうけどね。

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