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『東大のくせに英語話せない』のは何故?(それは受験英語のせいではありません)

もちろん東大生(と、卒業生)の中には英語をちゃんと話せる人がいます。しかし、一般的なイメージとして『東大生=英語を話せる人』とは思われていません。それどころか、「英語の成績はいいくせにろくに話せやしない」代表格とみなされ、「だから日本の英語教育はダメなんだ、大学入試にスピーキングテストを入れて、4技能改革をするしかない!」となっているのが現状です。

(4技能をもっとバランスよく、という改革は大切ですが、現在進められている大学入試共通テストへの民間試験導入については、公平性が担保されていない等、問題点も指摘されています。)

悪いのはこれまでの英語教育と入試制度なのか?

今回の投稿のタイトルと同じ質問を僕のまわりの人にしてみたところ、やはり一番多かったのが、「英語教育が悪い」「入試制度が悪い」でした。日本国民みんなに同じ質問をしたとして、もっとも多い答えはおそらくこれになるでしょう。英語熱、とりわけ『英語でコミュニケイトすること』への熱がまた高まっている今ですからなおさらそうです。しかし、『東大生』について言うなら、この理由は正しくないと僕は断言できます。「東大のくせに英語話せない」のは、英語教育や入試制度のせいではありません!

東大生が英語を話せない理由は、『話したいと(本気で)思ってないから』

正直、理由はこれに尽きます。言いかえると、今の教育制度のままでも、東大生ならば、本気になれば短期間で(ある程度は)話せるようになります。

『いやいや、東大生だって英語話したいと思ってるよ』という反論もあると思います。たしかに、東大生に「英語を流暢に話せるようになりたいと思いますか?」とアンケートをすると、大多数が「なりたい」と答えるでしょう。でもこれは「あなたは歌がうまくなりたいですか?」のような、ある種の誘導尋問です。そりゃなれるなら誰だってうまくなりたいさ、ということなのです。ですから質問をもっと具体的なものにして、「あなたは週に〇時間の勉強を△年間継続することによって、英語を流暢に話せるようになりたいですか?」にすると、本気で英語を話したいと思っている人以外は、「いいえ、そうまでして話せるようになりたいとは思っていません。」と答えるはずです。

※「英語を話したいと思う理由」のよくある例として「外国人のパーティーに出たけれど会話に加われず隅っこで突っ立っていた」とか「外国での学会で自分の英語の拙さがばれてしまい恥ずかしい思いをした」などがあり、「やっぱり英会話は大事だとそのとき思いました」と言ったりするのですが、そこで一念発起して英語を話す練習を始める人はごく一部で、多くの人はそれでも「本気」にはなりません。なぜなら、パーティーも学会も、ごくたまにしかないのですから。まさに『喉元過ぎれば熱さを忘れる』です。3日に1度パーティーがあり、毎週毎週学会があるなら、ようやく本気になるでしょう。

ただし、どんなに英語の知識があったとしても『口を開けて英語を話す』経験を積まない限り、英語は話せるようになりません。

これが、現時点で「東大生=英語を話せる人」となっていない理由です。そして、「話さなければ話せるようにならない」というのは、東大生に限らず、(一部の語学の天才を除いて)すべての外国語学習者について当てはまる真実です。

では、「単語や文法といった知識はあるのに、話す経験が足りていない」私を含めたみんなが本気になって英語を話す経験を積み始めたとすると、もっとも上達が早いのはどんな人たちでしょうか?「他の誰よりも単語を知っていて、他の誰よりも文法の間違いをしない」東大生は間違いなくその中に入ってくるでしょう。というより、(帰国子女やインター生、海外留学経験者などを除いて)日本人の中で「英語ペラペラ」にもっとも近いのは東大生(と、東大生レベルの英語の知識を持つ人)と言って間違いありません。

※このように言うと、「東大生のような知識は無くても話が上手でコミュニケーション力が高ければ東大生よりも早くペラペラになれる」という反論が出てきます。東大生よりもおもしろい人は世の中たくさんいますし、話し上手な人の方が英会話の上達が早いことも事実でしょう。しかし、こういった「話し上手」とか「コミュニケーション能力が高い」とかいうのは、「英語教育」「英語学習」とは別の領域の話だと思いませんか? それに、英語を話す際、英語の知識よりも「上手に、面白く話すスキル」の方が本当に大事であるなら、英語のスピーキングテスト以前に日本語のスピーチやディベートを入試に課すべきです(漫談や一人コントでもいいくらいです)。

東大を舐めんなよ。

東大生こそ英語ペラペラに最も近い、と僕が考える最大の理由は、「東大生は頭がいい」ということです。(「頭がいい」の定義はいろいろですが、ここでは「いわゆるお勉強的な頭の良さ」「試験でだれよりも高い点を取れる頭の良さ」と定義して話を進めることにします。)僕はこれまでいろんな東大生や東大卒の人間と出会ってきましたが、全員僕より頭が良かったです。先ほど定義したような頭の良さというものは、その人の言動からある程度分かります。僕は早稲田出身で、まわりに自分より頭のいい人はたくさんいましたが、東大生は脳味噌のサイズがひと回り大きいというか、6科目受験のトップ校の凄みみたいなものがあるのです。ここで東大生の英語力の話をすると、以前東大1年生の学生さんがアルバイトに来ていて、当時僕がTOEICの勉強に力を入れており、何度目かの受験の末ようやく900点ちょうどを取ったときだったので、TOEICを受けたことがあるか聞いたところ、偶然同じ回を受けていて、「力試しのつもりでほとんど準備せずに初めて受けてみたら905点でした」と言われ、「俺のあの努力は何だったんだ!?」と思ったことがありました。(本人曰く、大学受験のときに勉強した知識が頭にまだ残っていたから割とできた、とのこと。)彼は地方の県立高の出身で海外留学の経験もないふつうの東大生だったので、大学受験時の知識を忘れていなければ、東大生の大多数はTOEIC(L&R)ならば1~2度過去問を解いて出題傾向と時間配分をチェックしておけば初回受験でも800点台後半以上は取れる、といえるでしょう。ウソだと思う方、東大を舐めてはいけません。

英語をほとんど話したことのない東大生でも、『本気』で1か月やれば英検1級の面接をクリアできます。

東大生が本気出せば、これくらいは可能です。実社会では、英検1級を取ったからといって「英語ペラペラ」だとは言えませんが、学校や塾の勉強だけで英検1級合格レベルに到達できれば御の字ではありませんか? また、英検1級であれば、世間的にも「英語が(ある程度)話せる」人だとみなされるでしょう。もし、それ以上に話せる力を求めるなら、それは学校教育で教えられる範囲を超えていると思います。(これについては後述しますが、実はそこに今回の入試改革・4技能改革を国が推し進める背景がある、と僕は思っています。学校教育の範囲を超えるレベルの英語力を持つグローバル人材を国が欲しがっていたら、国はどういう改革を行うか、という話です。)

本気を出した東大生が『1か月で英語を話せるようになる』ためのプログラム

もし僕が彼らの勉強のコーチングをやるならこうする、という方法を、ざっくりですが書いてみます。

第1週目・・・『瞬間英作文トレーニング』1冊を徹底的に覚える。

この本が一番有名なので選びましたが、数百の暗記用の例文が載った本であれば基本的にどれでも構いません。第1ステップは、反射的に口から出てくるような短文を数百~千くらい体内に仕込んでおくということです。この本には790の英文がのっていますが、本気の東大生なら1日あればこの790文で『日本語の例文を見て英語の例文を言うこと』ができるようになります。ウソだと思う方、また言ってしまいますが、東大を舐めんなよ。(本を開いてもらえばわかりますが、東大生でなくても英語を結構勉強した人なら同じようにできます。)そして、2日目からは、日本語の例文をランダムで出題して、それに対応する英文をどんどん口に出して言ってもらう練習をします。790文をテストするのにだいたい1時間くらいかかるので、やれる量は1日2セットか3セットでしょうか。これを6日間、イヤというほど繰り返して行えば、この790文をある程度使いこなせるようになるはずです。また、この期間にネイティブの先生に発音やリズムを修正してもらってもいいでしょう。

第2週目以降は次の3点セットで学習

1.「ネイティブとのマンツーマン会話+間違いの修正」を1日に2セットくらい行う

2.WEBの英文記事(英検の面接を受けるなら、そこで扱われそうなテーマを選ぶ)を1日に4000語~6000語程度読む

3.「英語の音声を集中して20分聴く」を1日に何セットか行う

1.の会話練習の際、1週目の「仕込み」が威力を発揮します。彼らは自分が覚えた例文の「構造(つまり構文)」を理解しているので、単語を置き換えて別の文を作ることが容易にできます。あとは、間違いを直され、経験を積んでいく中で「応答時間」を短くすれば、だんだん会話がつながっていきます。応答時間を短くするために、僕が以前投稿したメソッドもぜひ取り入れたいところです。

また、会話を毎回動画に撮って、レッスン後にそれを見ながら間違いを直してもらう、というのが効果的だと思います。

2と3については、厳しい受験を勝ち抜いた人たちですから、もともと得意な分野です。すでに単語の知識は(一般の人たちに比べて)豊富なので、ふつうの人よりは短時間で効率的に学べるはずです。WEB記事の場合はGoogle翻訳でラフな全文訳も出せるので、辞書引きの時間も大幅に短縮できます。

そして、もし本当に英検の面接を受けるなら、最後の1週間では1の部分のレッスンを模擬面接にすればよいでしょう。

以上が、『本気を出した東大生が1か月で英語を話せるようになる』ためのプログラムです。(英検1級の1次試験について何も言っていませんでしたが、『本気を出した東大生』なら、8割の生徒が1次試験をクリアできます。ウソだと思う方、もう一度だけ言わせてください。東大を舐めんなよ。)

まとめ:『英検1級じゃダメなんですか?』

今回は英語の成績の良い人の代表として「東大」をキーワードにしましたが、途中でも言った通り、英語の成績が東大生と同じくらいの人でも同様に当てはまる話です。つまり、今の教育制度のままでも、しっかり勉強していい成績をおさめれば、(1か月の「本気の」集中訓練によって)英検1級レベルの英語力はつけられるのです。蓮舫議員ではないですが、僕は政府の方々に問いたいです。あなたがたが求めるグローバル人材というのは『英検1級じゃダメなんですか?』



『英検1級程度ではまだダメだ』

というのが政府の本心であり、今回の改革の核心だと僕は考えています。

(国がどれだけ「グローバル人材」というものを欲し続けてきたかは文部科学省のサイトで過去の議事録を見れば分かります。)

つまり、『限られた予算で、英検1級を超えるレベルのエリート層を育てるにはどうすればよいのか?』ということであり、その答えは

保護者のお金で、民間の教育機関でも学んでもらう』

『国としては、学校へ出せる予算が限られているので、英語学習熱が国内に高まるような雰囲気づくりをする』

なのです。


子どもたちのだれもがエリートになる可能性を持っている、と考えれば、『みんなのための改革』と言えますが、実際にはみんながエリート層になることはありません。今回の改革は今までで最も『エリート養成』の意味合いが強いということを私たちが共通認識として持っておくことは、大事ではないかと思っています。

主に英語学習について、みなさんにお伝えしたいことを発信していきます。ご質問・ご意見はコメント欄へ何なりとどうぞ!