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エミリーと15の約束 二次創作小説(#BirthdaySHELF)

「だから、無理だって言ってるだろ」
壊れてないものをどうやって直せる。俺は一枚のレコードを目の前の爺さんに押し返す。
「頼む。この通りだ。もう一度妻の声を聞きたいだけなんだ」
爺さんが躊躇いもなく両手を地面に置く。煉瓦が敷き詰められた大広場。雪こそ積もっていないが、冬の寒さは昼間でも耐え難い。
かれこれ二時間だ。レコードの掛け方を教えるだけのはずだった。レコードにはカビも傷もなく完璧で、プレーヤーも年代ものだけど現役。ただ針を落としてもレコードは回るだけで何の音も部屋を満たさなかった。何も壊れてない。なのに鳴らない。
次第に周囲の目線が騒ぎの中心の二人に刺さる。やめてくれよ、俺が悪いみたいじゃないか。

「そのレコード、ちょっと見せて」
その声の主は冷静で齢十九の俺と同じような年端もいかない、影の薄い少女だった。さっきまで近くにこんな人はいなかったはずだ。レコードを直してくれるのかと、爺さんの目が弱々しくも彼女に光を求める。
「お爺さん、このレコード綺麗に保存できてるね。奥さんは歌を歌うのが好きなの?」
「合唱団に入っていたよ。度々ソロを任せられることもあった。発表会には家族揃って聴きに行ったさ」
「他のご家族は」彼女は淡々と質問を続けた。
「息子が二人。どっちも独り立ちして遠くに引っ越してったよ」丸まった背中が音もなく小さくなっていく爺さんを見ると、さっきまでの怒りも無くなっていた。この爺さん相当な寂しがり屋じゃないか。
そう、と彼女は一瞬目を瞑って考えると周りの人だかりを一瞥。爺さんに言う。
「一緒にレコードを聴きたい人を夜までに集めて。それまでに直してくるよ」これ預かるね、と彼女はレコードを持って広場を後にした。妻の声が聴ける期待と、見ず知らずの小娘に大事なレコードを持っていかれる不安、そして急な提案に爺さんは混乱していた。

街灯が灯ると、田舎とはいえ木の暖かみを大切にした街は、落ち着いた雰囲気に包まれる。俺の大切なものだ。日が暮れて、暗さが増すのと、時計の針が進むのと、爺さんの不安が期待を押し潰していくのが重なる。あの後、爺さんが街で呼びかけたのは合唱団の人たちや古い知り合い、買い物によくいくという商店街の人たち、合計して十人ぐらいだろうか。爺さんと対照的に皆それぞれ持ち寄った酒や肴をテーブルに広げて思い出話に花を咲かせている。
「爺さんお待たせ。結構な人数集めたね。おかげで玄関から入れないよ」昼間の彼女が窓を叩いて顔を出すと、爺さんの顔がパッと明るくなる。はいこれ、と渡されたレコードを爺さんがさっき教えた通りにプレイヤーに載せて、針を落とした。

爺さんの号泣っぷりは見ていて面白いほどだった。合唱団もレコードから流れる奥さんの歌に合わせて歌い、飯がうまい夜になっただろう。影が薄い彼女だが、案外すぐに見つけることができた。走って近づく俺の足音で、彼女が振り返って首を傾げる。
「君は聴かなくていいの?せっかくレコード聴けるのに」
「だって俺あの爺さんに頼まれてただけだし。そんなことよりあれ、何をしたんだ」
「何って。ただ直しただけだよ」
「嘘つけ。実は昼間、お前をつけて見張ってたんだ。お前は何もしてない。ただ本を読んでた、それだけだ」自分で言って、ストーカーじゃないかと思ったけど、まあこの際はいいや。
「ふーん、じゃあなんで今レコードは音が鳴っていると思う、ストーカー君」
「つけて見張ってたのは確かだけど、ストーカー君はやめてくれ」
「じゃあストーカー」
「ストレート!俺の名前は蘇芳ヒロだ。せめて呼び捨てにしてくれよ」
「それなら、ヒロ君」彼女が再び問う。「どうしてだと思う」
俺は答えあぐねた。気温のせいかとも思ったが、今は冬、暖房がついた家の中は昼も夜もあったかい。レコードもプレイヤーも問題なく動いた。ならどうして。
「あのレコードは、『約束』されてたんだ。『お爺さんが多くの人と一緒にいないとこのレコードは聴けない』って。お爺さん、結構寂しがり屋だったでしょ。奥さんはそんなお爺さんが独りで過ごすことがないようにしたかったんだろう。実際、その『約束』はお爺さん以外に二人いれば解けた。息子さんたちと一緒ならいつでも聴けるようにしてあった。まあ今回はお爺さん自身その『約束』の内容を忘れていたみたいだけど」
「待ってくれ。『約束』ってなんだ。ただの言葉でこんなことが起きるわけないだろ」
「できるよ。普通の人はできないけど、ごく一部の人間にはその能力がある。『約束』は、それをかけられると一定の条件を満たすことを要求されるものだ。その性質が故に、行動を禁ずるもの、何かを守ろうとするもの、他にも色々。私の家は『約束』を解く生業をしていて、私には『触れた代償にかけられた、約束の内容を読む』能力が引き継がれている」彼女はそう、淡々と答えたが、そんな非現実なことを並べられても、はいそうですか、と腑に落ちない。
「この街にあった『約束』の痕跡はあれだけだったから、私はもういく」
「おいおい、せめて名前ぐらいは教えてくれよ、名前を明かしたのが俺だけって恥ずいだろ」
それもそうだ、と彼女は納得して「私の名前は縹ソラ。それじゃ」それだけ残して背中をむける。
ハナダソラ。頭の中で彼女の名前を反芻する。
「待って。どうして君は『約束』を解いているんだ」俺の単純な疑問に「そういう生業だから」と単純な答えしかもらえなかった。
 


未整備な道路の上を走るトラック。そのグラグラと揺れる荷台の上でソラが目を覚ます。そして開口一番言い放った。
「なんでついてきてるのさ、ストーカーの距離感でもないぞ」
「師匠の言う『約束』ってのがどんなのか気になって」俺は今、見も知らぬおっさんのトラックに乗せてもらっている。師匠というのはソラのことだ。気安く名前で呼ぶと軽く刺されそうで怖いからやめておく。俺らの体を揺らしているこのトラックは、師匠の巧みな話術で得た、遠く離れた隣町への移動手段。真面目そうな見た目なのに、軽やかで相手を乗せるトークは側から聞くと楽しいが、どうしたらそんなものが身につくのかと少し怖さも感じる。
「昨日あっただけで師匠呼ばわりはキモい。それに『約束』については昨夜話した通りだよ」何も面白いもんじゃない。とぼそっと呟いた。
「実は昨日のあのレコードのことで知りたいことが山ほどできた。それを訊くまで帰らない」それから俺は矢継ぎ早に質問を重ねていく。師匠はあいも変わらず淡々と返す。

『約束』についてまとめるとこういうことらしい。
①『約束』ができる人間はごく一部である。
②『約束』に必要なものは3つ。『約束』をする二人の人間(少なくとも一方が能力者であれば良い)、『約束』の内容、『約束』の器となる代償だ。
③代償は『約束』が果たされるまで腐らないし傷つかないし壊れない。完全な保存状態になる。
④『約束』を説くには、その内容を履行する方法しかない。
⑤『約束』の履行は原則『約束』した張本人たちのみ。ただし、双方死んだ場合は誰もがその『約束』が公開され、履行可能になる。

「それはそうと、次はどこに向かってるんだ。確か痕跡がどうのとか言ってたけど、遠く離れた『約束』も探知できるのか」
「さすがに遠く離れた場所の探知は無理だ。今向かってるのは二藍町。港に面した町で文化の中心でもある。というか、私についてくる前提で話すな。でもまあ、今回はありがたいかもしれないな。依頼があったんだ」
依頼はこうだ。二藍町の萌黄家の当主は3年前に死んだが、今でもその霊が屋敷に住んでいるという。その地を統べてきた大きな屋敷で、『約束』を使える血筋だった。その能力を使って町を大きくし富も築いてきたのだそう。ただここ数年『約束』を使える能力者は出て来ず、静かに暮らしている。ちなみに当主家族の他に、住み込みの使用人が数人が住んでいるが、屋敷住人全員が当主の死霊を目撃している。住人たちは四十九日を過ぎてもなお消えぬ前当主に呪われているのではないかと怯え、霊媒師などを呼ぶ前に『約束』の可能性を無くそうと師匠を招いたらしい。

トラックの運転手に別れとお礼を伝え、俺らは町からも見える、丘の上に建つ西洋風の館に向かった。
噴水を中央に据えた、真ん中の道を中心に左右対称に設計された庭園にはバラの蔓と棘が見えた。なんとなく、雪が降れば童話の世界になるのにと、そんなことを思うほど均整の取れた館だ。手入れが隅々まで行き届いている。
「ようこそ、萌黄家へ。縹様ですね、お待ちしておりました。メイドのマツシゲと申します松が重なって松重です」皺が刻まれた頬と手、まっすぐに伸びた背筋と柔らかな視線は長年勤めている証だろう。松重は館の人間全員のいる食堂へ通してくれた。歓迎ムードの裏に何かヒリついたものを感じた。
「よく来てくださいました。当主の裕也、前当主の裕三の息子です。依頼した内容は封書でお伝えした通りです。何かお訊きしたいことがあれば松重に。彼女は父の幼い頃から勤めているのでお力になると思います」松重は再度お辞儀した。
松重の案内で、館の中を歩く。歴代当主の大きく笑った顔の肖像画が飾られた食堂から、小さな図書館とも言える書斎、寝室、背丈の二倍もある大鏡を設えた大広間。部屋は多いが、線対象の館だからか迷子になることはなさそうだ。建物はこの館だけだが、前庭の他にも裏山を所有しているという。さすが地主だな、敷地がデカすぎる。

「それで、前当主さんの幽霊が目撃されたのはどこですか」
「決まってこの大広間です。ただ時間はバラついていますが深夜が多いです」
「服装とか見た目はどうですか。昼間も見たというなら何歳ぐらいの時の見た目でしたか」
「亡くなった頃の見た目で服装は白無垢、棺に入った時と同じ服装でした」
そうですか、と師匠は顎に手を当て目を瞑る。金の装飾に凝った大広間に静寂が響く。開いた目には不安。
「ご遺体は焼きましたか」
「ええ、葬式も滞りなくお済みになりました。お墓は裏の敷地の一角にございます。ご覧になりますか」
「そんなこと勝手にしちゃっていいのかよ」
「現当主様からは必要ならなんでも手伝うようにと言われていますので」
ええ…、依頼とはいえ初めて会う人の墓を掘り返すなんて。触れたものに掛けられた『約束』を知れる能力持ちの師匠のことだ。遺灰に触れて『約束』を読み取ろうと考えているのだろう。でも遺灰に触れるなんて気が触れる。
松重は軍手を両手にはめて墓石の下を覗き、そして一つの骨壷を取り出した。
「こちらが前の当主、裕三様のものになります。蓋も開けましょうか」
「いえ」師匠は断り、細めた目で骨壷を見ると、今度は目を瞑って何かを探るように手をかざした。
「厄介なことになったな。全く『約束』の気配がしない。これじゃあまだ『約束』の中身がわからない」
松重に前当主の骨壷を再度しまってもらう。長年仕えた主人の骨壷も淡々とした事務作業のようにしまう様子を見ていると、心を抑えて、むしろ何も考えないように松重は必死なのかもしれないと思った。
「ってことは、生前の恨みがあって幽霊になったわけだよな。俺らの出る幕なくない?」
「いや、まだ可能性は潰しきれてない。それに、『約束』の気配が感じられるしね」

肉体の方になければ残っている可能性は幽霊の方しかない。
夕食を済ませると俺たちはあんぱんとパックの牛乳を携えて大広間に居座った。暖房のない広間は冷えるからと、当主家族のぼっちゃんである橙也(トウヤ)がブランケットとカイロをくれた。親から渡してくるようにお願いされたのだろう。右頬にあるほくろが可愛らしさを増強している。それはそうと、「全員が見た」ということはこの子も見たのか。
「なあ、おじいさんの幽霊はいつ見たんだ?」
橙也は急にそわそわと何か言いたげにしている様子を見せると、「誰にも言わないでね」と前置きしてこう続けた。
「じいちゃんの幽霊を最初に見たのは死んじゃって1ヶ月ぐらいの夜で、僕の誕生日に父さんからプレゼントされたボールを蹴って遊んでたんだ。本当はここで遊んじゃいけないんだ。あの鏡が割れたらいけないからって。だからこのことは絶対に誰にも言わないで」うるっとした瞳が真っ直ぐに俺を見る。小さい子にお願いされるとなんでこう断りづらいんだ。まあ誰にも言わないけどさ。師匠が横から口を挟む。
「おじいさんを見た時、何か話さなかった?」
「誕生日おめでとうって言われたよ。あとこのボールのことも。そのときは幽霊とかあまりわからなかったけど、鏡の向こうにいるのは不思議に思わなかったな」ぼっちゃんは話しながらリフティングを披露し始めた。やはり3年も続けると技術は身に付いてくるものなのだろう、率直にすごいと思った。
「そっか。じゃあこんなのはどうかな?『誕生日だし何かプレゼントしよう』とか」
「ああ、言ってた言ってた!『わしからも一つ何かあげるよ、あと2週間ぐらいしか時間ないけど用意する』って。そしたら僕嬉しくてさ、絶対だからね、って。でもまだ何ももらってないんだ」
師匠が目を細めて答える。「そっか。ありがとう。おじいさんのこととても大好きなんだね」
「うん!」ぼっちゃんがこれまでにないほどに眩しい笑顔をした。
「あ、こら!ここでボール遊びはいけません。当主様に見つかる前にお部屋に行きなさい。もう寝る時間ですよ」見回り中の使用人に見つかってぼっちゃんは逃げていった。
再び静かになった大広間に二人分の呼吸の音が吸収されていく。
「『約束』について聞きたいんだが」
「いいよ、何?」
「幽霊も『約束』の能力を使えるのか」
「生前にその能力を持つかどうかによる。前の当主はその能力を持っていなかったようだから今回は『いいえ』、かな」
「そうか。じゃあ次。『約束』の代償に生き物を指定することはできるか」
「勿体ぶった訊き方だね。答えは『はい』。この世に存在するものが代償になりうる」
「最後だ。その代償に、幽霊を選ぶことはできるのか」
「そうだね。代償には存在するものが選ばれる。でも死んだ人間はもうこの世には存在しない。でも幽霊という見えるものとして現れる。いるのかいないのか、その曖昧な『あわい』に佇む存在として幽霊を考えると、不可能じゃない。私の憶測に過ぎないんだけど、『約束』されたのは死後四十九日の間じゃないかと思ってる」
ゴーン、ゴーン。時計の針が全て頂上で揃った。そろそろ出てくるはずだ。
「今更だけど、幽霊って師匠怖くないの」
「怖くない。依頼をもらった時に決心ついてたし。ほんと今更」「嘘つきめ。あんぱんを持つ手が震えてまともに食べれてないじゃないか」ムっとした視線が真正面から飛んでくる。言い過ぎたかな。でも新しい表情を見れてちょっと面白い。
「こんばんは。お客さまですか」しわがれた老人の急な呼びかけに、ヒッ、と師匠が俺の後ろに身を隠す。この館で、この寒い時間に出歩くような人、ましてや老人なんていない。いるとしたら。
「お邪魔しています、前当主様」
「ご用はなんでしょうか。なんて、もう答えはわかってるんですが。『約束』を解きに来てくださったんですね」
「やっぱり『約束』なんですか」「ええ」そう答える前当主様は、話せば話すほど柔和な感じしかしない。
「私の父や祖父などから聞いた話と、よく似ていたので」そうか、なら話が早い。こんなに優しい幽霊ならばと、師匠の方を振り返る。
「って気絶してる⁉︎」そんなに怖かったの⁈これじゃ『約束』がなんなのかわかんないじゃないか。大広間の寒さに負けない驚きと呆れ。代わりに俺が訊くしかなかった。
「それで、誰とどんな『約束』をしたんですか」
「あれは、三年前の夏のある夜のことでした」と、まるで自分の人生全部を眺めるように話し始める裕三を見て、ああ冬の夜は始まったばかりなんだと、寒さが一層身に染みた。



暖房の効いた食堂はまるで天国だった。丘の上だからか日の出がちょっとだけ早い気がする。
「調査の方はいかがですか。昨夜はずっとあの鏡の前にいらしたのでしょう」熱いコーヒー、新鮮なレタスやハムを挟んだサンドイッチの軽い朝食。大きなテーブルを挟んで一族が静かに食指を運ぶ。
「ええ。そのことで一つお願いなのですが、探し物を手伝っていただけませんか」
「使用人に手伝わせま」「いえ、この場にいる皆さんに、です」

朝食を終え、師匠が伝えたように動きやすい服装で裏庭に当主を含め全員が館裏の庭に集まった。
「これから探すものは裏山の小屋の鍵です。ただ、探す範囲が裏山全体なのでみなさんに手伝っていただきたいのです」
「ちょっと待ってくれ。小屋?そんなもの聞いたことないぞ」
「私も前の当主様から聞かなければ知りませんでした。松重さんたちが持っている鍵束の中には小屋の鍵なんてなかった。つまり、小屋は前当主様が秘密に建てたものではないでしょうか。そしてその小屋の中に、幽霊となってこの世に留まる理由があるのだと私は考えているのです」まあ、とりあえず探しましょう。師匠はそう言って、枯れ葉をどかすように鍵を探し始めると、ぼっちゃんたちも探し始めた。

俺は鍵を探すふりをして、昨晩の前当主との話を思い出していた。
「人は死んでからは一旦幽霊になります。身体は死んでも、魂がまだ死んでいないと思い違いをするからです。私もポックリ逝ってしまったからか死んだ感覚は全くありませんでした。ただ、橙也のほくろが左頬にあるのに不思議に思っていました。今となってはそれが私が鏡の中に入り込んでしまっているとわかってはいますがね。その時です、『約束』したのは」
なるほど。あのぼっちゃん、『約束』の能力があったのか。「それで、どんなふうに『約束』したんですか」
「その時、こう言ったはずです、『小屋の中にあるもの全部あげる』と」
「橙也くんはなんて返したんですか」
「『本当?絶対だよ!嘘だったらおじいちゃんのこと許さないから』でした。小屋は裏山の中腹にあって、小屋の鍵は書斎の机の引き出しの中に隠してあります。小屋には孫と遊ぶ道具が詰まっています。遊び盛りでしたから、絶対喜んでもらえると思っていました」
この話が本当なら小屋にぼっちゃんを連れて行くだけで『約束』を解ける。実に簡単だ。でもなんで。
「なんですぐに鍵の場所を教えなかったんですか。それも三年間も。誕生日プレゼントを渡せないじゃないですか」
眉間に皺を寄せながら答えた。「渡そうと思っていました。でも、その『約束』をした次の瞬間橙也が話したことが気になったんです」
俺は話を促す。
「その時から、あなた方も感じたかと思いますが、今も裕也が肩肘張り詰めて当主を務めている。元地主ということもあって外向きの顔や立ち振る舞いをしなければならないプレッシャーが彼にのしかかってしまった。それまでは私が上手く捌いていた仕事もギクシャクした。そしてそのプレッシャーも館全体滲み出して、橙也も言葉遣いだったり普段の行いも良い子になり過ぎてしまった。私が生きていた頃は親子関係は館中に笑いが響くほどとても良かったのに、今は親からの躾は守らなければならない、というような感じに。橙也はその息苦しさを私に吐き出してくれた」
「つまり昔のような館に戻したい、と?」
「死人に口無し。そう言われる世の中ですが、まだ私はギリギリ存在している。この首の皮一枚つながった状態でも、この世に残していく大切な家族に、せめて笑い声だけでも取り戻してほしい。ただ、鏡の中にいるだけで何も変えることはできない。烏滸がましいお願いになるのですが、頼めるのはあなた方しかいない。よろしいですか」
「ええ、もちろんです」背中からの声に今度は俺の心臓が飛び跳ねる。ひょっこりと師匠が顔を出した。
「それこそ未練タラタラで成仏できなくなっては困りますからね。作戦は任せてください」師匠は得意げにあんぱんを齧った。

師匠が立てた作戦はこうだ。
まず館全員を鍵探しを口実に裏山に引っ張り出す。ただ鍵は裏山に落ちているわけではないから、鍵はなかなか見つからない。つまり無駄な探しものをしてもらう。
「裏山全体探すとなると結構な捜索範囲になるから館と小屋を繋ぐ直線を中心に探そう」
「ブロワーで落ち葉飛ばして探してみます」
「斜面にいると腰が痛くなるわ」
「母さんは比較的平坦な場所探してて。僕代わりに探すよ」
「転がり落ちないでくれよ」
汚れて、冬なのに汗をかいて、使用人含めた家族と共に同じことをする。
無駄なことだけど、無意味じゃない。
「なんか昔筍取りした時のこと思い出すね」
「翌日筋肉痛でみんな動けなくて」
「松重だけが選択も掃除も全部してくれたな」
「みなさん鍛えなさすぎなんですよ、使用人は体力勝負です」
「あの後、みっちり筋トレとか指導する松重さん怖かったんですよ」
「そんなことあったんだ」
適当な頃合いを見計らって俺が小屋の鍵を落ち葉に隠してぼっちゃんに見つけさせて、小屋へ向かう。そして『約束』を解く。

「父さん!見つけたよ。絶対この鍵のことだよ!」橙也の歓声に裕也も「よく見つけた!」と軍手をはずし、橙也の頭を撫でた。
裏山中腹の小屋、閉ざしていた南京錠を解錠する。
「父さん、こんなコレクター癖あったのか」
「ねえ、お父さんこのボードゲームどう遊ぶの」
「昼ごはん食べたらやってみようか」
「そうおっしゃると思ってサンドイッチ、朝と被りますけど用意したんです」
「おお、さすが」
「こういうのもたまにはいいもんだな」
家族水入らずの様子はちょっと離れた場所から見ていてもいいもんだと感じる。しっかし、汗で土が肌にへばりつくし、乾燥し切った落ち葉の切れ味は侮れない。暑くってまくった腕の至る所が赤くなっていた。師匠なんてさっきは斜面を数メートルずり落ちていた。「師匠はさっきのずり落ちで怪我してない?」横を見ると、俺と同じように腕を捲った師匠は、その真っ白な腕で額の汗を拭っている。
なんか、そう。言葉にすると恥ずかしいが、なんとなく自分の心臓が跳ねた気がした。
『約束』を知ってから三日。師匠と出会ってからも三日だ。この三日を通して見えた、誰かを心配する気持ち、愛する気持ち。俺は『約束』を温かいものだと思った。
その夜は館でゲーム三昧だった。年齢も役割も肩書きも何も気にせず笑う声が、大鏡のある広間にも響き届いていた。


「何かお礼と言ってはなんだが、好きなものを持っていっていい」
鍵探しの翌日、裕也に言われて、師匠は松重の作ったお弁当を、俺は書斎に入って古本を所望した。書斎には『約束』にまつわる萌黄家代々の記録が残っていて、本当はそれが読みたかったけれど、のちに本当に必要となる橙也のためにも残しておくべきだと考えた。
そして師匠と俺は、来た時とは大違いに柔らかい雰囲気の館を後にした。
「ヒロは、古本好きなのか」なんか意外、と言いたげな顔は俺をムカつかせた。
「そういう師匠はここの食事気に入っちゃって。ここに住まわせて貰えば」
「筋トレ好きじゃないから遠慮しとく。そういえばこの町、古本市やっているみたいだしどうだ。寄っていかないか」
俺は師匠の誘いに乗っかった。なんだかんだ言って俺が着いていくのを師匠が許してくれているのが嬉しかった。

館のある丘から伸びる下り坂は観光名所らしく、お土産屋などが並ぶ中を食べ歩きする観光客で賑わっていた。師匠がさっき松重から結構な量の弁当をもらっていたし、別に食べようとは思わないけど。
「ヒロ君は何か食べないの。肉まん美味しいよ」いつの間にか師匠の両手が肉まんで塞がっていた。
「いや、美味しそうだけどせっかくもらった松重さんの弁当食べ残したら悪いだろ」
「何言ってんの?これ私の分だよ」
え?野球部の合宿に差し入れに持っていくようなレベルの量を師匠一人で食べるのかよ。館にいた時に俺の方睨んでたのって、幽霊が怖いのを揶揄われたことを根に持ってたんじゃなくて、俺のサンドイッチ狙ってたのか。
二藍町の中心にある広場に入ると、木陰には棚が並び、老若男女が古本を眺めていた。さすが文化の中心の古本市だ。インテリアや食事の見た目も気にしつつ、読書を嗜む人が多いとは。俺も棚に近づいて本のタイトルをなぞりながら気になったものを抜き出してぱらぱらと紙の質感を確かめるようにめくる。
俺が本に目を奪われて、棚の端から端までを眺めると、古本と言いつつ新品のように手入れされた一冊に手を伸ばした。
「なあ師匠、この本ってもしかして『約束』されてないか」

ただこの問いかけは意味をなさなかった。さっきまで近くにいた師匠がいなくなっていたからだ。まだ遠くまで行っていないはずだと市を見回しても、町中を探しても師匠の姿は見つかることはなかった。まあ、もともと無理についてきただけだもんな。

夕に染まりつつある町で、廉価な喫茶店に入りナポリタンを頼む。出来上がるまでの間、今日の収穫物を眺める。まずは館でもらった小説。そして市で手に入れた古本は、どこかの旅人の手記だった。その最初のページ目に刻まれた手書きの文字に俺の目は釘付けになっていた。



「縹ソラの『約束』を解いてくれ」


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原作:majiko - エミリーと15の約束 Music & Lyrics :カンザキイオリ
https://www.youtube.com/watch?v=Id2a2gbW1Zs


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