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Life is go on

最近はますますコロナ感染者が増え、田舎町でも数百人の感染者が発生する様になってしまった。

毎日のようにニュースでコロナ感染者数が今日は何人になった。前日よりこれだけ増えた。との話を目にする。
私もつい昨日3回目のワクチンを打ち、今は、軽い頭痛と微熱と左腕の痛みに耐えている。

つくづく思うのは、「なんでこんな事になっちゃったんだ?」というやり場のない鬱屈した感情だ。

おそらく世の中の大半の人(コロナ禍後に生まれた赤ちゃんは除く)は同じ思いを持っていると思う。

誰も恨む事はできないが、日常の生活や仕事は一変し、皆がどこで感染するかわからない恐怖を感じながら生きていると思う。

私は1970年代に生まれ、これまで40代中盤までは大きなウィルス感染とは無縁だったのだ。
もちろん、毎年流行るインフルエンザや、鳥インフルエンザ、o157、ノロウィルスなど気をつけなければいけない感染症は体験しているが、今回のコロナのように世界的な規模でなおかつ長期間続く感染禍は未体験であった。

日々の買い物にもマスクは欠かせなくなり、もはやマスクをしていなかったのがいつだったか思い出すのも難しくなってきている。

職場では家族の行っている学校や保育園で陽性者が発生し、数日間出勤停止となる人が続出し、(現に私もそれを経験した)出勤した残りの数の少ない職員は過酷な残業続きの勤務を行なっている。

全く先の見えない毎日だが、ふと、これは、戦時中も同じかもっと酷い状態だったんじゃないか?

と思い至った事がある。
戦争と感染症を同義に捉えるのは不謹慎かもしれないが、そんなおかしな事すら思わせる雰囲気が今の世の中にはある。

いつ終わるともしれぬ毎日に戦々恐々としながら、ある日突然、「戦争は終わった」と誰か偉い人が告げるのだろうか?

それともこんな状態があと数十年も
続くのだろうか。

誰にもわからないが、今、この世界に生きているという事実は全世界の人共通だ。

自分の生まれた意味を考え、(たとえ何の意味もなかったとしても)今出来ること、したい事をやるということが、せめてもの理念だと考える。

「今やるべきことをやろう」などとかっこよく考えてみても、ぼんやりしたものだが、「今やりたい事をやろう」
はわかりやすい。

もちろん全ての人がやりたい事をやれる世の中ではないが、少なくとも私のやりたい事は、新しい音楽をいっぱい聴き、ギターで思い通りのフレーズを弾き、自分自身で満足出来る音楽を作る事だ。

こういうと、私に作曲能力があり、譜面も読めるような印象を与えるかもしれないが、どちらも私には出来ない。

ただ思いのままにギターでコードを奏で、そこにへたくそな歌を載せられたら良いなと思うだけである。

それは、誰かに聴かせるためのものではなく、自分自身の自己満足のための歌だ。

それが、今一番私のやりたいことだ。

人生は続くのである。

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