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イギリスへの憧れとマンチェスターユナイテッド

初めましてMasaユナイテッドといいます。私は2000-2001シーズンからマンチェスターユナイテッドを応援しています。サッカーに興味のない方でも一度は名前ぐらいは聞いたことがあるかと思いますが、イギリスのフットボール(サッカー)クラブで、世界中にファンを持つメガクラブです。かつてはベッカムや香川真司選手も所属していたのでご存じの方も多いと思います。

このnoteではマンチェスターユナイテッドのコラムやマッチレポート、移籍情報などを中心に書いていこうと思っています。幾分素人ですので、私的偏見に満ちた内容になる時もあるかもしれませんが、読んでいただけるとうれしいです!

私はサッカーの経験もなく、マンチェスターに縁もゆかりも無いのですが、そんな私がなぜ応援しているのか、まずはその事を書いていこうと思います。

👿UKロックとfootball

2000年、コンピューターの2000年問題や、世田谷一家殺人事件が起こり、モー娘や、サザンの「TUNAMI」がヒットした年、大学生だった私は音楽に夢中だった。友達とバンドを組み、大学にはロクに行かずに来る日も来る日も作詞作曲をしていた。ジャンルはUKロック。高校時代からThe Beatlesが大好きで、それがきっかけでギターを始めたのだが、学生当時は「ブリットポップ」が全盛で、OASISやBlur、RADIOHEADを筆頭に次々新しいUKロックバンドが登場し、私を夢中にさせた。
 
リアムの歩き方や、デーモンの髪型、トム・ヨークの醸し出す負のオーラまで、彼らの一挙手一頭足がかっこよく見え、彼らのようになりたいと思っていた。
 
当時は「日本なんてクソだ、日本の音楽もゴミだ」という、ロックスターの鏡のような(笑)考えを持っていて、完全なイギリス至上主義者だった(失笑)。自分がここまでイギリスに憧れるのは、たぶん前世でイギリス人だったのだろうという根拠のない確信を持っていて、当時の友人達は呆れていただろう。(何年か後に占い師に、あなたの前世は日本人です。と言われ愕然とします。)
 
そんな私だったので、UKロックのアーティスト達が、もれなくどこかのイングランドのサッカークラブのサポーターであるという事実に気付くのに時間はかからなかった。
OASISのギャラガー兄弟がマンチェスターシティのサポーターなのは有名だが、The Stone Rosesのイアン・ブラウンはマンチェスターユナイテッド、Blurのデーモン・アルバーンはチェルシー、最近ではKASABIANが岡崎慎司選手所属のレスターシティのファンなのは有名である。
 
そこで私が下した決断は、私もイングランドフットボールを見て、どこかのサポーターになるというものだった。

👿アタッキングフットボールの衝撃

貧乏学生だった私は、CS放送の契約などできなかったので、イングランドの試合を見る機会がなかったのだが、WOWWOWを契約しているバイトの先輩に、試合の録画をお願いすることにした。

当時のチャンピオンリーグに出ていたイングランドのクラブはマンチェスターユナイテッド、アーセナルリーズユナイテッドだったと記憶している。すべての試合を録画してもらい、見ることになったが、ガンダムのモビルスーツの中で一番好きなのはガンダムというミーハー気質の私は、見る前からシーズン連覇中で一番強く、一番有名なマンチェスターユナイテッドに心惹かれているのは拭いようのない事実だった。
 
確かに、ガナーズ(アーセナル)の華麗なボール回しや、Bad Boys軍団リーズのファイティングなサッカーも魅力だったが、初めて見たマンチェスターユナイテッドの、圧倒的なアタッキングフットボールにOASISのLive Foreverを初めて聞いた時のような衝撃を覚え、すぐに虜になった。

マンチェスターユナイテッドの選手たちは、これまでたまに見ていたJリーグとはまるで違う競技をしているように見えた。とにかく彼らはゴールを目指していた。中盤の選手もバックの選手も、常にチャンスをうかがい、相対する相手マーカーをなぎ倒し、隙あらばペナルティボックスに侵入し、セカンドボールを拾い波状攻撃を仕掛けていた。
 
こうしてユナイテッドサポになった私は、翌2001-2002シーズンからCS放送の見れるマンション(無料だった)に引っ越し、ユナイテッドの試合をチェックし、プレステとウイイレを買ってきてユナイテッドを操り、愛読書は「ワールドサッカーダイジェスト」になった。

👿ベッカムはスーパースター

2001-2002シーズンのマンチェスターユナイテッドは、前シーズンでプレミアリーグ3連覇の偉業を成し遂げ、4連覇に向けてオランダのPSVからルート・ファン・ニステルローイを獲得。最終ラインにも、スタムに代わり、ローラン・ブランを補強、中盤にはアルゼンチン代表のファン・セバスチャン・ベロンを加え盤石の体制でシーズンに臨んだ。しかし、公式戦36ゴールを叩出したファン・ニステルローイの活躍があった一方、ベロンを加えた中盤が機能せず、リーグ戦もカップ戦も思うような結果が出ず、首位アーセナルから勝ち点10差の3位に甘んじる結果となった。

そんなシーズンだったが、私はユナイテッドを応援し、ミーハーな私は当然ベッカムのファンになっていた。今でこそスコールズの凄さが分かるが、当時のベッカムも半端なくスーパーな選手だった。彼の右足から放たれるレーザービームのようなアーリークロスは機械のように正確で、数センチ手前の相手DFの頭には当たらないが、すぐ後ろにいるファン・ニステルローイにはピンポイントで届くという手品みたいなシーンを何度も見た。

私はそれまでノエル・ギャラガーのような猛者苦しい髪型だったのだが、2002年に控えた日韓ワールドカップに向けてベッカムヘアー(ソフトモヒカン)に変身して、日本でベッカムの、そしてイングランド代表の雄姿を見るべくテンションを上げていった。

しかし、記憶にある方もいると思うが、ベッカムはワールドカップを控えた4月のチャンピオンリーグ(CL)でデポルティボのドゥシェルのタックルを受けて足を骨折。ワールドカップに間に合うかギリギリの状態になってしまった。結局何とかピッチには立ったが、本調子とは程遠い出来だったベッカム。それでもイングランドのユニフォームを着てテレビの前だったが応援したのは今でも良く覚えている。

👿ユナイテッドという習慣

こんな感じで私はマンチェスターユナイテッドを応援し始めた。あれから18年クラブにも色々なことがあった。ベッカムがクラブを去り、クリスチアーノ・ロナウドウェイン・ルーニーがやってっきて、CLを制覇し、香川もやってきて、ファーガソン監督が勇退し、暗黒時代に突入・・・

私もすべてのユナイテッドの試合を見てきたわけではもちろんない。仕事中もユナイテッドのフォーメーションを考えている時もあれば、ハイライトだけチェックして試合を見ない時期もあった。でもユナイテッドの情報をチェックすることは歯を磨くことぐらい当たり前の習慣としてずっとやってきた。

正直、ファギー(ファーガソン監督)勇退後のモイーズ→ファン・ハール→モウリーニョの3監督時代は見ていて辛かった。少なくとも、私が虜になったアタッキングフットボールはもはやなかった。見事に壊され、バラバラにされ、醜態をさらしていた。無気力にピッチに立つユナイテッドの選手たち・・・

しかし、現在、ユナイテッドは復活しようとしている。オーレ・グンナー・スールシャール暫定監督のもとで。

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