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アレックス・ファーガソンが愛された理由

マンチェスターユナイテッドを語るうえで、どうしても欠かせない人物が一人います。
サー・アレックス・ファーガソン監督です。マンチェスターユナイテッド=ファーガソン監督。そんなイメージの方も多くいるでしょう。現在のチームの話をする前に、彼、“ファギー”の話をしようと思います。

👿ファーガソン監督の功績

私がもし就活中で、面接官に「尊敬する人は誰ですか?」と聞かれたら、「アレックス・ファーガソンです」と答えるだろう。そのぐらいファギーの事を敬愛している。

ファーガソン監督は1986年にマンチェスターユナイテッドの監督に就任し、退任する2013年まで実に27年間もチームを率いた。ただ率いただけでなく、そのうち1992シーズンからは常にリーグのトップ3に入っている。

まさに、彼のもとでユナイテッドは常勝軍団になった。数字的な功績は下記画像を参考して頂きたいが、やはり27年も率いたということが、現代フットボールの世界では考えられない年数だろう。

👿27年も続いた理由

良く言われるのが、「今のサポーターもメディアも忍耐が足りない」ということだ。特に常勝を義務付けられたビッグクラブの監督は、結果が出ないと見るや、すぐにファンから解任要求が起き、フロントから「違約金をやるからやめてくれ」と言われてしまう。スペインの白いクラブ(レアル・マドリー)やロンドンの青いクラブ(チェルシー)のお家芸にもなっている。

確かに「結果が出てないから首」というのはロジカルで、一見誰もが納得できる理由のようだが、実際は少し違うような気がする。我々サポーターが解任を声高に叫びだすのは結果だけを見てではない。希望が見えないからだ。

ファギー以降のユナイテッドの3人の監督もそうだ。モイーズ監督がフルアム戦で81本ものクロスを上げさせ、公園でセットプレーの練習をしていると知って、希望がないと思い、ファン・ハール監督の試合中指示も出さず、ずっとノートにメモを取る姿や、クリス・スモーリングの事を“マイケル”・スモーリングと呼んだことに希望がないと思い(笑)、モウリーニョ監督が公に自分の選手を批判し、ポグバの「アタック!アタック!アタック!」に対して「リスペクト!リスペクト!リスペクト!」で対抗しているのを見て希望がないと思った。

モイーズもファン・ハールもモウリーニョも「時間をくれ」と言った。彼らは時間の問題ではないことに気付くべきだった。サポーターに希望を示せない監督は解任されるのだ。

ファギーは常にサポーターに希望を与え続けた。優勝を逃しても、ベッカムが退団しても、ロナウドが退団しても、CL(チャンピオンリーグ)でバルサに無惨にやられても、それを乗り越えられる方法を示し続けた。だから27年も続いたのだと思う。

👿ファーガソン監督の手腕

ファギーは決して戦術に秀出た監督ではなかった。彼は選手の能力を、適材適所で使うことで伸ばしていくことが上手かった。1999年から2003年までの、ベッカム、ギグス、スコールズ、キーンのスペシャル・ワンダフル・マーベラスなカルテットも、彼らの個性を最大限に活かし、補完し合うことでユニットとして完成していたし、2007年から2009年までのロナウド、ルーニー、テべスの高速カウンタートライアングルもそうだ。ちなみに、その3人を後ろでファーディナンド、ビディッチ、エブラの3人が支えた2007~9年ごろのユナイテッドを歴代最強に上げる人も多いと思う。実際その時期にユナイテッドサポになった方もいるのではないだろうか。

またファギーは、選手マネジメントの面で突出していた。悪童と言われたカントナロイ・キーンを手なずけ、セレブの仲間入りしたベッカムにスパイクを蹴りつけて退団させ、かわいいかわいいロナウドのプレーを独善的と批判したファン・ニステルローイを追い出し、MUTVでチームメイトを批判したキャプテンのロイ・キーンも追い出している。
彼は何よりも規律を重んじた。(唯一の例外はロナウドだった)選手がクラブよりも大きな存在になることを絶対に許さなかったのだ。

またその一方自伝のなかで、

“閉じたドアの向こうで人を怒鳴ることはできる。しかし公の場では、その人間を外部のひどい評価から守ってやらなくてはならない。それが「監督の仕事をするなかで忘れずにいた原則」だった”

と、ファーガソンは書いている。

「ファーギーズ・フレッジリングス(ファギーのひな鳥たち)」に代表されるように、彼は若手の育成に定評があった。ロナウドもビディッチもチチャリートも無名の存在からユナイテッドで世界的選手になった。(もちろん才能を開花できなかった選手も数多い)

彼はユナイテッドに所属した選手全員の父親のような存在だった。そしてサポーターにとってもそうだった。ユナイテッドというクラブ自体の父親だった。

👿フットボールビジネスとファーガソン

キャリアの晩年、ユナイテッドは相変わらず国内では強かったが、ファギーはもがいていたように思う。

国内では、金持ちオーナーに買収された、チェルシーやマンチェスター・シティが大金を叩いての大型補強の成果で徐々に力をつけていた。チェルシーやシティに象徴されるように、フットボールの世界は大金が動き、投資家たちの格好のビジネスの場となり、ユナイテッドも移籍市場で、チェルシーやシティの後塵を拝するようになり、思うような補強ができなくなっていた。

フットボールビジネスの波にのまれ、それまでのようにチームと監督というシンプルな構造では収まりきらなくなり、ファギーにコントロールできない事柄が多くなっていった。

ルー二―の退団騒動や、金の亡者と化した代理人による移籍操作(ポグバなど)といったことが起こりファギーは憤りを感じていただろう。ベッカムやロナウドの存在が、フットボールの世界をよりビジネス化させる一端を担ったという事実は皮肉だが・・・

👿ファーガソンが香川に託したかった事

ペップ・グアルディオラの登場により戦術の重要性がクローズアップされることが多くなっていたが、ファギーは2011年のCL決勝でバルサに完敗してから、カウンター主体のムービングフットボール戦術に限界を感じていたように思う。

ファギーのラストシーズンである2012年に、ドルトムントから香川を獲得しているが、日本人としてはうれしく、大変誇らしかった一方、ユナイテッドらしからぬ補強だと当時思っていた。そのときの移籍市場でユナイテッドの補強は、アザールか香川かと言われていたが、アザールを取り逃がしての香川だったのか、ギュンドアンとセットで取るつもりが香川だけになったのかはわからない。(ファギーはアザールを取らなかった理由を移籍金の高さと言っている)

香川は一級のテクニックを持つ一方、プレミアでやるにはあまりにもスローで、インテンシティが低かった。だがその香川獲得に、ファギーのポゼッションサッカーへの移行の意図が見えなくもない。(実際は彼一人ではどうしようもないのだが・・・)

香川獲得のシーズン、2013年5月19日、ファギーは勇退した。表向きの理由は”奥さんとの時間を大切にしたい”というものだった。

ユナイテッドのサッカーを変えようとしている矢先に退いた。本当の理由はわからない。後任をモイーズにしたこともチグハグに感じる。事実モイーズは伝統的イングランドフットボール戦術に回帰し、香川はフィットするのに苦労することになる。その後ファン・ハールの下では全くキャラに合わない守備的MFなどもやらされるが、監督の要求に応えられず構想外になり、退団することになった。

👿監督キャリアの終焉

ファギーに後悔はなかったのだろうか?きっとあったし、なかったのだろう。まるで父親が成人した子供から離れるような気持ちで、親としてやるべきことはやったと自分に言い聞かせ、あとは子供自身の選択に任せたのだ。達成感と不安の入り混じった複雑な気持ちで。

ファギーはいつもガムをクチャクチャ噛み、カメラに抜かれたその顔は鼻毛ボーボーだった。それでも彼にはカリスマ性があった。オーラがあった。私はなにより、ユナイテッドがゴールを決めた時の、彼の子供のように喜ぶ笑顔が大好きだった。彼はどんな時もチームと共に戦っていた。

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