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命の旨味を思う。|『僕は猟師になった』(2020)

最近、伊丹十三の『ヨーロッパ退屈日記』という本に書いてあった「スパゲティ・アル・ブーロ」という食べ方にハマっている。

名前だけ聞くと何だかすごそうな響きを持っているが、なんてことはない、ただのスパゲティのバター和えをそう呼んでいるだけ。でも、これがなかなか美味しい。本のなかでも書いてあるけれど、これにチーズをかけるとすごく満足した気持ちになれる。作り方も、茹で上がったパスタにバターを一欠片くわえて混ぜるだけだからすぐに作れるし、皆さんも興味があったら試してみると良いと思います。

と、スパゲティを食べながらふと、この食卓に上っている食材はどこから来るのかなんて考え始めたりして。そうして本や映画をみるなかで印象に残った思ったものを、今日は紹介します。


『僕は猟師になった』(2020)

『僕は猟師になった』は、京都の山で狩猟をしながら生きる千松信也さんに密着したドキュメンタリー映画です。罠猟と呼ばれる手法でイノシシやシカを捕らえ、その肉をさばき、食べる様子を映像に落とし込んでいる。なかなかにショッキングな映像も多いけれど、これが命を奪う、殺すという行為なのかと思わされます。

殺されまいと唸りながら抵抗するイノシシやシカの叫びが、だんだんと力なく弱々しくなっていく様子。そこから目を背けることなく、淡々と腹に、心臓にナイフを突き刺し、トドメを刺す千松さんの様子。

僕なんかは血が昔から苦手で、目を背けたくなるシーンが多かったんだけど(実際に一時停止しながら見るところもあった)、狩猟の現場ではこうした場面は「日常」なわけで。むしろ、こういうシーンから逃げようとする自分がいかに「命を奪うこと」から遠い場所にいるかが分かるような、そんな思いがした。

自分で肉を調達し、自分で食べる。必要な分だけ。

特に印象的だったのは、その年の初物を仕留めた夜のこと。解体したイノシシの部位で最初に食べたのは、心臓だった。

心臓自体はそんなに油がないので。まぁ、取れたあとに最初に味わうのが心臓なんで。まあ、このイノシシだって僕が取り押さえて馬乗りになって、狙った先が心臓で。その心臓を突いてこいつの命がなくなったわけで。

まあ、何となく心臓は内臓の1つのパーツでしかないんだけど、特別な感じがして。とった心臓はなるべく取った直後に食べるっていうのは、いつのころからかやるようになりましたね。

映画『僕は猟師になった』

「生かされる」という表現について考える。なぜ、〜されるという受動的な表現なのか。受け身とすると、生かす主体は誰になるのか。そもそも、「生きる」という能動的な表現じゃだめなのか。

正直、こういう言葉じりだけを捉えた考えは、あまり好きじゃないけれど、この映画を観ていると単純に混じりっけなく「他の命を殺し奪うことで、僕らは生かされている」と思わされます。人間のために生きているわけじゃないといえば、動物に限らず、植物も同様に。


以前、猟師をしているという知人に聞いたことがあるんだけれど、イノシシを捕まえるのは本当に難しく、大変らしい。映像のなかで千松さんも言っているようにイノシシは警戒心が強く、人間の匂いに敏感。特に罠猟なんかは罠自体に人間の匂いがついているから、なかなか引っかかってくれないとのこと。さらに危険なのはイノシシが持つ鋭く、固い牙。実際に、イノシシの牙に噛まれて失血死だとか、背後からその巨体でもって一突き……なんてことも多くあるのだと、語っていた。

その意味で、狩猟とは真剣勝負そのもの。罠にかかったイノシシとの間合いを詰め、木の棍棒を構え、一瞬の隙を突いてイノシシの頭を叩く千松さん。そしてすぐにナイフで心臓を突き刺し「止め刺し」を行う。さっきまで生きていたイノシシの体がだんだんと冷たくなり、鮮血が吹き出て、命が終わらせられるイノシシ。これを残酷と思うかどうかは、人によってさまざまあると思う。

動物と向き合う暮らしを自分が選んでて、その狩猟の最中に自分が起こしたミスなんで、自分だけまたピカピカに直してもらって「よし、これでイノシシと対等に勝負するぞ」ってのは、ピンとこないっていうか。こんなギプスを巻いてもらっているだけでもめちゃくちゃ有利だと思ってますけどね。

これがまた全然関係のない仕事中に交通事故で(足が)折れたとかだったら普通に気にせず手術してたかもしれないですし。僕適当なんで…。

映画『僕は猟師になった』

人間の勝手な都合……と言ってしまえばそれまでではあるが、2000年代以降、山間の地域では人手不足の影響からか限界集落が増え、山に人が入らず古き良き「里山」なんかも消滅しかかっている。実際に、僕が少年時代を過ごした茨城県も44市町村のうち17もの市町村が「全部過疎市町村(6)」「一部過疎地域を有する市町村(10)」「特定市町村(1)」に認定されており(出典:一般社団法人全国過疎地域連盟)、それまで山奥にいたケモノが集落に降りてくるようになっている。

これは何も茨城県だけのことではなく、作中でも語られているようにそうした獣害について被害総額が160億円にも上るとも言われている。こうした状況を思うと、狩猟を正当化することも、ケモノ達を生かしうることも、なかなかに難しく思ってしまう。

これが正しいとか、間違っているではなく、二律背反の状況を、どのように解釈し進めていくのか。ホワイトでも、ブラックでもなく、グレーの状況をどれだけ受け入れることができるのか。0か100かでモノを考えがちな僕らに、この映画はそんな問いを突きつけてくるような気がします。

この山から最初にとったオスと、こいつ(メスのイノシシ)といただいたんで、もう終わりですね。必要以上にとっても仕方がない。

映画『僕は猟師になった』

「命を奪うことに慣れることはない」

とまあ、いろいろ考えたんだけど、それでもやっぱり肉の旨味には勝てない自分がいる。冒頭で紹介したスパゲティ・アル・ブーロもバターにチーズに、乳製品の使用は欠かせないですから。

ただ、この問題はこの先もずっと考えていきたいです。カルマ。


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