BDスピンコート

私の会社履歴5 光ディスク生産設備

皆さんこんにちは。
前回に引き続き、自分が行った会社の思い出第5弾を書きたいと思います。
前回の記事は以下になります。

会社履歴4

次の派遣先は、大井川町にある光ディスク生産設備の会社です。

光ディスクとは?

DVD、BD(ブルーレイディスク)等の音や映像を記録する媒体の事です。
15年以上も前なので今ではすっかり見なくなりましたが、
当時は最先端の技術でした。
業務内容は生産設備の設計にとどまらず、
組立・設置・試験・評価・部分構想と幅広くやりました。

埼玉に8ヶ月出張

当時は光ディスク業界はイケイケでしたので、
海外の工場に設備を設置する為、まずは国内で設計・組立・設置確認
する為に、埼玉県久喜市に8ヶ月出張に行きました。

ずっと久喜に居た訳ではなく、週末は静岡に帰り
月曜にまた久喜に行くという生活を8ヶ月繰り返していました。
今思うと凄いお金がもったいないと思いますが、
当時は湯水の如く予算が使えたので可能でした。

この時の思い出は、当時付き合っていた彼女との事です。
彼女は箱根のラフォーレ強羅で働いていました。
なので、出張の帰りに静岡に帰らず小田原で降り、
箱根登山鉄道で強羅駅に着いて、そこから15分掛けて歩いて
彼女の寮に毎週行くという事を8ヶ月していました。

特に冬の箱根は寒く気温がマイナスになるので、
最後は白い息を出しながら歩いたのを覚えています。
その後に入る露天風呂は格別でした。しかもタダで。

彼女は従業員なの露天風呂はタダで入れますが、
僕はただの彼氏だったので普通はタダで入れませんが、
彼女の根回しのおかげで、裏の通路があるボイラー室から入るという
裏技を使って毎週入ってました。

海外出張の思い出1

海外の工場に設備を設置する為にアメリカへ2回行きました。
1回目はDVDの生産設備を50ライン設置するという、
予算がある企業でなければ出来ない規模のプロジェクトでした。

そこで、入って半年しか経ってない僕に上司が重箱の隅をつついて
激怒されるという、理不尽な仕打ちを受けました。
なので僕は帰れと言われて実際に帰ってしまいました。
滞在期間は4ヶ月の予定でしたが、5週間で帰りました。

その後、怒られてから帰国するまでの間が飛行機のチケットの関係で
2週間程あり、周りの従業員からは腫れもの扱いされて昼飯も一人で食べ、
上司にはシカトされるという最悪の状態でした。

帰国後、上司の意図を僕に教えてくれた先輩がいました。
わざと怒って僕を発奮させて成長させようとしたみたいです。
ただ理不尽な事はいくら若い頃(当時24歳)でも言い返した方がいいと
僕は思っていたので、この会社を辞めても他の業務の経験があるので
何とかなると思っていましたから、今振り返ってみると
間違ってはいませんでした。

海外出張の思い出2

2回目のアメリカも色々ありました。
期間は2003.03中旬から3週間でした。
詳細に日付を明記したのには理由があります。
2003.03.20よりイラク戦争が始まったからです。

戦争が始まるかもしれないというニュースがある中出国し、
到着の2日後に戦争が始まりました。
とりあえずアメリカで業務する分には影響はなかったのですが、
問題は帰国です。

インディアナポリス→シカゴ→成田の経由で帰国するのですが、
戦争の影響でアメリカの航空会社の使用が禁止されたので、
インディアナポリス→シカゴ間を車で5時間掛けて移動しました。
普通は飛行機で1時間なので、かなりの時間でした。
しかも帰国は1人だったし英語もしゃべれなかったので、
車内はほぼ無言で運転手さんと過ごしました。

海外出張の思い出3

1回目も2回目も週末になると、
工場のあるテレホートからインディアナポリスまで買出しに行きました。
そこには日本の食材店や飲食店があったので、そこで息抜きしていました。

初めて日本食材店に行ったとき、お菓子コーナーに真っ先に行きました。
アメリカのお菓子は味が濃くて、自分には合いませんでした。
なので、そこでおにぎりせんべいがあった時は思わず声を出しました。

無類のせんべい好きで、特におにぎりせんべいが大好きな僕にとって、
それは最高の癒しになりました。
結果、毎週おにぎりせんべいを買い占めるという暴挙にでました。

BD(ブルーレイディスク)のスパッタリングの開発

DVDの次世代ディスクとしてBDがあります。
そこの生産工程の1つにスパッタリングというのがあります。
簡単にいうと、反射膜と呼ばれる銀の薄膜を付ける工程です。

開発当時はBDの生産工程も何種類か開発中でしたので、
そのうちの1つを反映する形でスパッタリングの開発を行いました。
この時は、構想設計から試験評価まで全てやらしてもらいました。

結果はうまくいかず、その工程は採用されませんでしたが、
開発の最初から最後まで関われたのは初めてでしたし、
貴重な経験をさせてもらいました。

契約終了

結局ここには約5年いました。
今までで一番長かった会社であり、色々な経験もさせてもらいました。
まさか自分が海外出張に行けるとは思いませんでしたし、
新規開発も出来るとは思っていませんでした。
今振り返ってもここが一番の会社でした。

でもここから先、また色々悪い事が起きていきます。
それは会社履歴6でお話します。

最後まで読んで頂いてありがとうございました。

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