見出し画像

2003年ヒッチハイクの旅 〜0番線〜 5日目「事情聴取」

 若い運ちゃんらしき人に声をかけて断られた後、中年の男の人が来て、地図を見ていた私はその人に声をかけた。富山方面に行くという。その人に、どこまで行くのか聞かれ、私は逆に「どこまで行くんですか?」と聞いてみた。
 大阪まで行くらしい。
 これはものすごいチャンスかもしれない。大阪まで行く。目の前にいるこの人は大阪まで行く。高速だとやっぱりこういうこともありえるんだな。
 その男の人は家族連れだと言う。
 それを聞いて私は少し遠慮した。家族の邪魔をしてはいけないと思った。しかし、それでもいいと言ってくれた。いい人だと思いながら、本当にいいのだろかとも思った。奥さんや子どもは大丈夫だろうか。
 富山までなら乗せていってくれると言う。大阪まで一気に行きたいけど、やっぱり家族で旅行の最中、こんなやつがいたらやっぱり邪魔だろう。
 5日目の一台目である。
 外に停まっていた車に向かう。運転席に男の人が乗り込む。助手席には奥さんがいた。奥さんに事情を説明してくれていると思う。
 ワンボックスカーで、後ろのドアを横に開けようとするが開かない。中でなにか言っている。子どもに開けさせるように言ってるのだろうか。なんとか開いて中へ。
 みんなに挨拶をした。
 子供は3人もいた。
「おっ、大家族」
 といっても、私の兄弟のほうが多いのだけど。
 みな、幼稚園前後の年格好。初めは、子どもというからもっと小さい子を想像していた。暗くてよくわからないが、みんな多分女の子。ぽかーんとしていた。
 奥さんが、なにか買いに外へ。そして、男の人から150円を渡され、一度は遠慮したが、いいよというのでこれでジュースを買いにいった。中の自動販売機の場所へ行くと、奥さんがいた。出ていこうとするとき顔を見たが、美人に見えた。子どもたちも顔立ちいいような気がするし。
 ジュースを買い、おっちゃんにお釣りを渡し、乗り込む。子どもらを後ろに移動してくれている。
 ほんまにすまん。こんな奴のために。
 おっちゃんと奥さんとちょこちょこ話をしながら、高速道路を進む。途中で横になって眠る。

 2時45分。もちろんまだ外は暗い。着いた場所は、高速の出口へ出る分岐点。つまり、高速道路上。そこに車を停めてくれる。
 家族はそのまま大阪に向かうので私はここまで。
「パーキングエリアも近くにないし、ここまでしかこれないけど、気をつけて」
 お別れする。私は、一般道へ出る料金所まで歩き、家族はそのまま大阪方面へ車を走らせる。
 歩くと足が痛かった。ぎゅっと足の裏の皮が伸縮されたような伸ばされたような痛みを感じる。一歩いっぽ足を前に出すごとに痛い。
 というか、こんなところ歩いていて大丈夫なのだろうか。

 大丈夫なわけがなかった。
 料金所が見えてきたあたりで、警備の人らしき人が、明らかに私のほうへ向かって走ってきた。
〈うわぁ、やばいなぁ〉
 顔にはその表情は出さなかった。こんなところ歩いているなんておかしいだろうけど、ちゃんと説明したらわかってくれるだろう。変な自信があった。
 3年前を思い出した。私が交番なんかに寄ったばかりに、親に旅のことを言っていないことがばれて、未成年ということで家に帰らされた。しかし、今は20歳を越えてるし、大丈夫だろう。
 警備員が私の元にやってきた。これからなにをされるのだろう。
 その警備員に連れられ、建物の中に通された。みな、「なんだこの少年は」といわんばかりの顔つきである。そんなに私みたいな、高速を歩いてきた人なんて珍しいのだろうか。他にヒッチハイクしている人でこういう人っていないものなのだろうか。
 建物の中を通り、奥の一室に通される。白い部屋。テーブルと椅子、天井の明り以外なにもない部屋。まるでドラマに出てくる警察署の取調室のようだ。

 事情聴取が始まった。
 まず、免許証を見せ、住所を答えたり、どこから来たのかやなにをしているのかを答えたり、母、父の名前を書いたり、問われるままに答えたりする。
 大阪の親がいる家に電話をすることになった。まさかこんな夜中に電話するとは……。
 その間、40から50歳ぐらいと思われる男の人としゃべる。この人はあまりきつい言い方はしなかった。ヒッチハイクしているということも、そうかそうかという感じで話を聞いてくれた。
 電話を代わるというので、また別の男の人が部屋に入ってきて、私は部屋を出たところにある、事務用と思われる電話をとった。
「夜遅くにごめんな」
 電話越しの母は特に怒ってはいなかった。前回の旅のときも警察からの電話があったこともあり「またか、しょうがないなぁ」という感じで受け取ってくれた。
 少し話をして、今回は旅を続けてもいいことになった。その代わり、毎日、青森の祖母と大阪の母には電話なり入れるようにと言われる。そして、ちゃんとホテルなどで泊まるように言われる。
 家に電話をかけてきたのが警察の人だと勘違いしていたことについてはつっこまなかった。
 話を終え、電話を男の人に代わる。
 その後、すぐ切るのだろうと思ったが、男は、
「帰らせますんで」
 という言葉を口にした。
 おいおいおいおい。そりゃあないやろ。俺は帰らんぞ。説得してでも旅を続けるんや。
 しかし、電話はすぐ終わらなかった。母が私の代わりに説得してくれてるのだろうと思った。電話を切った後も、特に帰らせるという話にはならなかったので安心した。
 そして、無事に開放され、富山駅までの行き方を教えてもらって、その場を後にする。

 教えてもらったとおり、目の前の道を左にまっすぐ行く。道沿いにホテルがあると言う。
 真っ直ぐな道を歩き続ける。
 ホテルに泊まる気はなかった。母には嘘を言ってしまった。ホテルなんかに泊まったら、ヒッチハイクをしている意味がない。お金がないからヒッチハイクしているようなものなのに、それを母はわかってるのだろうか。危ないというイメージがあるかもしれないが、実際に旅に出てみるとそうでもない。もちろん、ホテルのほうが断然安全だろうけど。
 道の両脇には、ホテルが見えた。しかし、見るからにラブホテルである。
〈俺に、ラブホテルで泊まれってか?〉
 さっきの警備員につっこみをいれたくなる。いや、ちゃんと探せばビジネスホテルもあるとは思うが。
 富山城なるものが見える。カラスがやたら多い。そこ周辺のビルの上にもカラスがやたらいる。
 歩く間に日が昇り、明るくなる。オフィス街は閑まりかえり、車が走る音が響く。たまに人影も見える。
 富山駅に着く。

 富山駅に用があるわけではないが、とりあえず、富山駅に行こうと思っていた。そして、YやNに会えるかどうか聞くのもそれから。
 駅のコンビニで「お腹が空いたらスニッカーズ」という謳い文句のお菓子、スニッカーズを買う。昔にけっこう食べていたことがあって、腹がふくれるというイメージがある。でも、横にある同じぐらいの値段の板チョコと、カロリーはほとんど変わらなかった。
 高いが、携帯電話の充電器も買う。ベンチが見当たらなかったので、近くのバス停の椅子に座って、ご飯代わりのスニッカーズを食らい、ケータイを充電させて、眠る。

 一瞬だけ見ると「富山地獄」にも見えなくもない「富山地鉄」というそのバスが目の前に停まっていた。朝、ここへ着いたときに駅で見た大きなリュックサックを背負っている人たちはこれに乗るために待ってたのか。またも、てっきり私と同じようなことしている人らかと思っていた。
 荷物を大きなはかりで量り、やる気のなさそうな従業員は乗客からお金をもらって、荷物を持った人はバスの下に荷物を入れるか自分で持つかしてバスの中に乗り込んでいった。
 その従業員を見ていると、どうやら、10キロ以上の荷物が650円、20キロ以上は850円が、乗車運賃以外にかかるらしい。そんな重い荷物を持ってどこに行くのだろう。靴を見た感じでは、山登りのように見える。私の荷物は一体どれくらいあるのだろうか。この人らから比べたらものすごく少ない。絶対、10キロもないと思う。
 そのバスが出発するのを見届けた後、駅構内に行ってみる。
 そこには待合室のような場所があり、皆が座っている場所があったので、私もそこで座って寝ることにした。
 折り畳み傘ではない傘を手に持っているので、それがけっこう邪魔。そう、山形で買ったときの傘だ。それを今もこうして持ち続けている。
 なかなか眠れない。
 横になって寝ている人もいたので、私も、周りの目を気にしないで、カバンを枕代わりに横になって眠ることにした。

 昼前に起き、Yに電話。しかし、会うのは無理。Nにもメールしたが無理。会うことはあきらめて、国道へと歩き出した。
 あくまで、会うのはついでだった。会えなければしょうがない。会うのが目的ではない。ヒッチハイクをするのが第一の目的。
 でも、もし、「会うため」にこうしてヒッチハイクするとしたらどうだろう。誰か好きな人がいて、その人に会うためにヒッチハイクをしてわざわざ会いにいく。「貴女のために遠路はるばるやってきました」と言える相手がほしいものだ。不純な気もするが。

 駅から北へ歩き、国道8号線へ出ると、西へと歩く。ここまで来ると、けっこう駅周辺は建物が多いと思っていたことも嘘のよう。やはり、建物が密集しているのは駅周辺だけなのだろか。
 前に、富山に来たときに、Yが富山を田舎だと言っていたことを思い出し、さっきの駅周辺を見てそうでもないんじゃないかとも思ったけど、やっぱり田舎なのだと感じた。
 富山で降ろしてもらったときから痛む足の裏は、まだ痛い。どうしても、歩くスピードが遅くなってしまう。
 なかなかヒッチハイクできる場所が見当たらない。できそうな場所でも、中途半端で、これより先にもっといいところがあるかもしれないと思いながら、国道に出てから1時間以上歩く。しかし、どこも同じような場所のため「ここでいいや」と決めた場所は、停まれるスペースはあるものの、何百メートルか先に信号機があるものの、車のスピードは速い。しかし、幸い波がある。
 波があると、車がどっと来るときに停まってもらうのは、ほぼあきらめている。しかし、その波と波の間に来る車には、私の姿を見てから停まれるまでの時間がある。
 かかげた行き先は「金沢」。石川県金沢市。少し遠いと思ったが、途中まででもという思いもある。
 予定としては、このまま日本海側を通り、富山から、石川、福井、そして内陸に入り、滋賀、京都へ。
 いつもいつも思うことだけど、目のやり場に困る。自分、まったくといっていいほど、運転手の顔を見ることができなかった。それは、3年前にヒッチハイクをしようとしたときに、車に乗っている人たちがこっちを見て笑っていたのが強く残っていて、それがトラウマのようになっていたからだった。
 しかし、実際は笑っている人などほとんどいない。むしろ無視。こっちを見ているか前方を見ているか。
 運転手の顔を見ない私は、車のナンバーを見ている。それで、地元の車が多いかそれ以外の車が多いか確かめ、行き先を考えたりしているのである。

 1時間弱、何度も何度も波を見送りながら、そろそろあきらめようと思っていた。
〈この波で最後〉
 ヒッチハイクする時間は、1時間と考えている。1時間したら、別の場所へ移ろう。いつもそう思っている。そして、最後と思っていた波が終わったが、車が途切れたわけではない。私から見る前方には、車が見える。車が見えるということは、向こうの運転手もこちらが見えている。
 自分でも阿呆だとわかってはいるが、「あきらめる瞬間」を見られるのが恥ずかしい。そのため、タイミングがなく、そのままボードを掲げ続ける。
 しかし、ヒッチハイクは「運」である。
 あきらめようと思ってから、そう経たなかった。すぐに一台の車が停まった。
 運転席には男の人。助手席に乗せてもらう。
 乗せてもらったのは、仕事帰りだという45歳のおっちゃん。
 今の世の中を「世知辛い世の中」だと言ったのは、この13台目のおっちゃんである。
 昔はよかった、と言うその人の話を聞くと、やっぱり今の世の中は世知辛いんだなと思えてくる。今じゃ、色んな事件も起きていて、乗せる方も乗る方も危険がある。
 それでも、こうして私のために停まってくれる人がここにもいる。
 わざわざ、あの交通量の多い中、追い越し車線にいたにもかかわらず、私の姿を見つけて、かかげていた行き先が自分の行く方向なので乗せてくれた。そう考えると、わざわざ私を乗せようと近くに来た人は私が思っている以上にいるのかもしれない。ただ、行き先が違っていたりしているのかもしれない。
 その人も、昔は、国道を車で旅したことがあるという。話を聞いていると面白かった。田舎道、畑仕事かなにかをしているお年寄りに声をかけて、その人の家でご飯を食べさせてもらう。その土地でしか味わえないつけものなんかを食べるのがいいと言っていた。お茶も、昔はそこで採れた葉で作っていたから、それぞれ味が違うという。
 このおっちゃん、私の話に、必ずしも相槌を打ってくれる(つまり共感してくれる)人ではない。自分の意見をちゃんと持っていて、そうじゃないと思ったら、それを口にする人。
 けっこうしゃべってくれる人。
 これから金沢より先の、福井との県境辺りの「加賀」というところに行くらしい。
 こちらの「行けるところまで行きたい」という意図が伝わっていなかったらしく、後になってそれを理解してくれた。
 その人は、私を金沢で降ろして、その先の加賀に行く予定だった。そして、日曜日に京都にお墓参りに行くとかで、ちょうど、私が日曜日に加賀にいたら京都まで乗せていってくれると話していた。しかし、私は、行けるところまで行きたいので、それを解してくれたその人は、加賀まで乗せていってくれると言う。
 どんよりとした雲の下を、少し寝たり話をしたりしながら、車は行く。
 途中で、Yがバイトをしている店の道案内の看板が見えた。富山駅での昼前の電話で、「多分行かんけど、行けたら行くかもしれん」とYに言っていた。
 さらば富山。
 俺は一気に石川まで行くぜ。

 田舎道をずっと行き、その場所に着いた。
 わざわざヒッチハイク場所を3か所教えてくれた。
 そして、ヒッチハイクしてつかまらなかったときのために、近くにある駅の場所も教えてくれた。そこなら野宿できるかもしれないと。ここも、山形の湯沢駅と同じように、都会育ちやとあまり目にすることのない小さな駅。
 中は売店があり、待合室もある。そこの待合室なら、もしかすれば野宿が可能かもしれないと言う。
 野宿する場所を教えてもらったが、もしもヒッチハイクできなければ自分の家に来てもいいと言ってくれる。風呂、飯、寝る場所の面倒をみてくれるという。
 ありがたかった。特に風呂に入りたかったが、でも、まだ夕方なので、まだ先に進める可能性は充分にある。
 乗せてもらえなかったら電話すると言って、電話番号を交換する。おっちゃんはこれからまだ仕事が残っている。何時間かねばっても乗せてもらえなかったら電話することにした。もし乗せてもらってもそのことを伝えるためにどっちにしろ電話は入れると約束する。
 そして、教えてもらった一つ目のヒッチハイクポイントまで乗せていってもらってお別れ。最後まで親切にしてもらった。

 さっきまでいたトラックの姿はなかった。よかった。誰かに近くで見られているのは嫌なので、もしもいたら、別の場所にしようと思っていたところだった。
 教えてもらったヒッチハイクポイントの二つ目は、この先。三つ目はもっと先で、歩いてすぐに行ける距離。三つ目を過ぎるともうヒッチハイクできそうな場所はないという。
 一つ目が駄目でもまだ二つある。そう思いながら、スケッチブックを広げ、「京都」という文字を書く。そして、次の紙に「敦賀」と書く。ここ石川県の隣である福井県に敦賀という大きな町がある。
 そして、かかげた行き先は「京都」。それで駄目ならすぐに敦賀に切り替えられるようにと思っていた。
 2時間ねばろう。そして、20時になっても停まらなかったら、さっきの男の人の電話しよう。

 しかし、30分とかからなかった。
 私がヒッチハイクしているトラックでも停まれるスペースに、一台のトラックが停車した。
 私は迷った。
 このトラックは、ただ単に休憩するためにここに停まったのだろうか、それとも私のために停まってくれたのだろうか。
 トラックは私の後方で停車している。
 わからん。わからん、わからん。でも、違っていたとしても、京都まで行くかどうか聞こう。
 その場で少し迷ったあとは駆け足で助手席側から近づいた。見ると、運転手が助手席側に身を乗り出している。そして、なにやら片付けている。
 私はジェスチャーで自分がヒッチハイクしていることを伝え、乗せてもらえると確信し、ドアを開け乗り込む。案の定、私を乗せてくれるために片付けていたらしい。
 ボードでトラックに乗せてもらえるとは思ってもみなかった。
 こんな私を乗せてくれたその男の人は、自分もそういう旅を経験したことのある人だった。
 そして、大阪まで行くという。本当についてる。
 さっき乗せてくれた人に電話を入れ、無事に乗せてもらえたことを伝える。

「メシ食ったか?」
 そういえば、朝食べてからなにも食べていない。
 私は、食べてないと答えると、おにぎりを出して、私にくれた。自分で食べるためにあるものだと思うのに。
 朝食べてからは何も食べていない私は、その梅のおにぎりをありがたくいただいた。
 そして、途中でコンビニによって「好きなもの買い」と言われたので、ペットボトルのお茶を買ってもらった。
「ビールは飲むんか?」
「飲まないです……」
 でも、なにか酒でほしいものがあったら買ってあげると言う。遠慮すると「いいよ」と言われたので、小さいチューハイを一つ選んだ。
「遠慮しないで大きいのにしなよ」
 あまりお酒が飲めないし、やっぱり遠慮して小さいのにした。
 トラックの中で、運転手のおっちゃんはなにも食べないのに、私だけ食べていた。

 ほとんどとぎれることなくしゃべりかけてくれた。
 いろいろな話を聞かせてくれた。1つ3000万円もする機械を運んでいる最中に、運んでいた荷物がかたむいてしまったときの話が印象に残っている。その機械を3つ、つまり約1億に相当するものを、気を遣って気を遣って運んでいたのに、他の会社の運転手が後方を確認しないでドアを開けたため、急ブレーキをかけた。その運転手に怒鳴り込み、電話で上にも文句を言い、積んでいたものが駄目になってしまっていたらどうするんだという話になった。機械も、見た目が壊れているほどのことでもないが、実際に起動させてみないと駄目になっているのかどうかもわからない。自分に過失はないのでまだよかったが、結局その後どうなったのかよくわからないらしい。
 そして、22〜3歳のときに、ヒッチハイクをしていたときのことも聞かせてくれた。金がつきたら、昔はとびこみでバイトができたと話す。今よりやっぱり昔のほうがよかったと言う。
 よくしゃべってくれることは嬉しかったが、幾度と睡魔が襲ってきては、「寝てもいいよ」と言ってくれないかなぁと思っていた。しゃべっているとあまり眠さを感じないのだが、それでも眠いほどだった。
 21時ごろには風呂に入った。ガソリンスタンドにある風呂。明日にはCに会う予定なので、体を綺麗にしておかないとと思っていたので助かった。
 ガソリンスタンドに風呂なんてあるなんて思わなかった。しかしそのおっちゃんいわく、大型トラック相手のガソリンスタンドは、だいたい風呂があるという。
 普通の一軒家の風呂場と変わらない。おっちゃんから借りた、ボディーソープやらを使って全身、きれいさっぱり。風呂場には湯を溜めて、身体を浸かる。
 裸になって靴下を脱いでわかったが、足の裏の痛みが、なんで痛むのかがわかった。山形から土砂降りの中歩いていたあと、雨で靴下もびしょびしょの状態にも関わらず、靴下を脱がずにそのままにしていた。それで一度足の裏がふやけ、そして、そのふやけた形のまま元のふやけていない状態に戻ったためと思われる。足の裏は白くしわしわになっていた。

 ついに、5日目の14台目にして京都まで来てしまった。
 本当は、滋賀県の琵琶湖の西側に位置する近江舞子の交番にいた、3年前のすぐに終わったヒッチハイクの旅のときにお世話になった警察官に会おうかなと思ったけど、そのまま通り過ぎた。アポイントも取っていないので、いるかどうかもわからないし、帰りにでも寄れたら寄ろうと思った。そして、後のほうになってやっと言ってくれた「眠たかったら寝ていいよ」という言葉あたりから少し眠り、ここ、京都まで来た。
 トラックのおっちゃんは大阪まで行く。
 私は、京都でCに会う。メールで、明日会おうと言っている。明日はちょうどバイトが休みらしい。本当にタイミングがよかった。
 大阪と京都、会うとしたらどっちが近いのかよくわからなかったが、当初の予定である京都にした。
 わざわざ、京都駅の前までトラックを走らせてくれ、そこで降ろしてもらった。
 もう目の前が、何度か見たことのあるJR京都駅。
 前方から歩いてくる二人の女の人が、手をつないでいた。レズかと思った。他人の目を気にしているようにも見える。ただものすごく仲がいいだけなのかもしれないけど。
 都会になればなるほど、変な人が多くなってくるように思う。

 京都駅にはベンチがなかった。これは予想外だった。
 大きな駅にはベンチがある。そう思っていた。浮浪者が寝たりしないためにベンチを設置していないのだろうか。
 駅の裏側に行ってみる。駅構内の地べたで寝ている人たちがいた。みな、新聞紙などを敷いて寝ている。乞食のような汚らしい格好の人だけでなく、普通の旅行者みたいな人も、その売店の閉まった前のスペースに陣取って座り込んでいたりした。
〈私に地べたで寝ろってか?〉
 少し考えたが、他に場所はなさそうなので、私もここで野宿することに決定。
 ゴミ袋が役立つ。単に、スケッチブックが雨に濡れないようにと買ったゴミ袋が、山形では、雨の中の建築中の家で寝るのに使用し、今回また寝るのに使用する。よかった、ゴミ袋を買ってきて。こんなにもゴミ袋が役に立つとは思わなかった。
 角に場所を取り、そこにその大きなゴミ袋を二枚敷いて、シャッターの下りた隙間から吹く風で飛んでいかないように脱いだ靴で固定し、座りこむ。
 うん。悪くない。とりあえず、蜘蛛はいない。
 変なおばちゃんがいた。おばあちゃんにも見えなくもないその人は、なにを言っているのかよくわからないが、なにかやたらと叫んでいる。こんな人、今まで旅してきて見なかった。やっぱり都会になればなるほど変な人が多い。
 メールでCとやりとりをして、早朝、会えることになった。本当は、Cの家で風呂に入らせてもらいたかったし、泊まらせてももらいたかったけど、じいちゃんがいるとかで無理だと言われる。しかし、Cの家にお邪魔することはできるという。パソコンで絵の合作ができそう。
 風呂には入れないが、朝から開いている大きな銭湯に連れていってくれるとのことで、奈良から京都駅まで車で迎えにきてくれる。
 日付はもうとっくに変わっている。
 楽しみだ。朝に備えて早く寝なければ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?