見出し画像

2005年ヒッチハイクの旅「旅はまだ終わらない」1日目

旅支度

 夢ではない。私は今たしかに北海道の地に立っている。飛行機に乗り、こうして北海道の北の果て、稚内にいる。ほんの数時間前まで、大阪であくせくしていたのが嘘のようだ。

 飛行機に乗ること。それは最初の難関だった。とにもかくにも、飛行機の乗り方がわからなかった。飛行機に一人で搭乗するのは今回が初めて。以前に家族で乗ったのも、もう十年以上前になる。「飛行機の乗り方」などのサイトを見てまわり充分に知識をつめこんでいた。
 今回の旅は、日本の最北端から大阪に戻る旅。当初、最北端から最南端までの旅を予定していた。そのために、稚内までのチケットを取ったようなものだったが、お金と時間の面からそれはあきらめた。最北端から、大阪に戻るだけにする。バイト先では、怪我をして来られなくなった人や急に辞めた人がいて休みが取れるかどうか不安だったが、新しい人も入りなんとかなった。

 時は1か月と少し前までさかのぼる。航空会社のANAのサイトを見る。するともう予約できる席は残りわずかになっていた。弟に「飛行機って2か月くらい前に予約するんが普通やで。そんなんも知らんの?」と言われる始末。
 お金はある。バイトの休みも都合はつく。学校も夏休みに入る。早く予約をすれば割引になることもあって予約を入れることにした。搭乗予定日は7月29日。大阪の自分の住んでいるところから一番近く、北海道の稚内まで直行で行ける便が出ている空港は、関西国際空港のみ。航空会社はANA。一日に一便しか出ていないため自動的にそれに乗ることになる。家ではネットをつないでいるので、そのサイトで予約からチケット購入までできる。チケット購入といっても、チケットの現物はなく、チケットレスのサービスを利用する。チケットを購入するのにチケットはない。なんか変な感じだ。後ほど銀行からお金を振り込み、当日を待つ。

 まずは、飛行機に乗れなければ意味がない。朝、寝過ごすなんてことになったらそれこそ終わりだ。そうならないよう、しっかり計画を立て準備をする。
 主な移動手段はヒッチハイクで考えていたので、飛行機の経つ前日までにはスケッチブックを買った。百円均一の店で他のものも買い揃えた。必要な荷物は揃った。バッグは、スケッチブックが入る大きさのいつも愛用している黒いショルダーバッグ。靴もいつも履いているもの。衣類は、(着ているものも含めて)ズボン、靴下三足、下着二着、肌着、長袖の防寒用肌着、半袖Tシャツ、長袖Tシャツ、長袖ワイシャツ、薄いジャンパー。衣類が大半を占めている。あとは、眼鏡、腕時計、携帯電話、携帯電話の予備の電池パック、携帯電話の充電アダプター、財布、お金、テレホンカード、怪我をしたときのための健康保険証、同じく怪我をしたときのために自分の血液型が印字されている献血手帳、ほとんど身分証明にしか使う機会のない運転免許証、お金がなくなったときのためのキャッシュカード、学割が利くときのための学生証、日記をつけるための手のひら大のノート二冊、卓上版の日本地図、折り畳み傘、タオル二枚、眼鏡拭き、手鏡、油取り紙、紙きれ、筆箱(ペン類一式)、コンパクトカメラ、フィルム、スケッチブック、太い油性ペン、ウェットティッシュ、ボディウェットティッシュ、方位磁石、透明のゴミ袋、歯ブラシセット(歯ブラシ、歯磨き粉)、使い捨て歯ブラシ、使い捨て髭剃り、ピンセット、ティッシュ、小さいサイズのシャンプー、使い捨てリンスインシャンプー、ジッパーつき小物入れ、その他旅に直接関係ないものをちょこちょこ。一番かさばる着替えを極力少なくしているので、全体としての荷物は少なめ――その分、途中で着替えを洗濯して乾燥させないといけない――になっている。バッグは衣類などで少しパンパンになってはいるが、それほど重くない。
 服装は、はたから見たらヒッチハイクで旅中だとは絶対思われないだろう。というより、旅に適した服を持っていない。本当は夜間、道を歩くときのために安全面で明度の高い服を選びたかったが、なかったし、買いもしなかった。

 2005年7月29日。当日の朝を迎える。友達に見送ってもらい、電車で空港に向かう。その電車の発着時刻も調べておいてある。空港に着くまでの間にすることも、着いてからすることも調べている。抜かりはない。日根野(ひねの)というJRの駅からりんくうタウン駅を通り、関西空港駅へと向かう。当たり前といえば当たり前だが、その駅の間は、大きな荷物を持った人たちや外国の人が多い。それを見ていて、自分の荷物の少なさを改めて感じる。
 朝の8時。駅に着く。改札口へ向かう人の流れ。改札は一つだけということも調べて知っている。皆そっちへ向かう。エスカレーターをあがる。エスカレーターの人の列は、左側を空け、右側に並んでいる。大阪を出るとそれは逆になるだろう。改札を出る。ここを左に行けば各航空会社のカウンターがあり、右に行けばホテルなどがある。その建物は、光がよく入りこみ、外の、空港に出入りする車などが見える。思っていた以上に大きなところだった。
 近くで少し休憩。朝に買った清涼飲料水が、ただの炭酸水に近い味で、あまりに不味くて捨てた。たいがい、あまりおいしくなくても、自分が買ったものはもったいなくて捨てないことが多いが、これはさすがに捨ててしまった。

 航空会社のカウンターへ向かう。自分の向かう場所はANA。大きく表示がしてあるのですぐにわかった。近くの電光掲示板にて本日の出発便の確認をする。10時25分発、稚内行き、1797便。大きく長いカウンターの隅にタッチパネル式の機械が置かれてある。そのタッチパネルで表示しているものを選択して航空券の現物を受け取る。チケットレスでも結局受け取らなければいけないのだろうか。
「手荷物カウンター」というところが見える。あそこで飛行機に乗せる大きな荷物を預けるのだろうか。それとも、飛行機内に持っていく荷物をチェックするところだろうか。わからないのでとりあえずそのカウンターに行く。私の前の人が係員にチケットを見せていたので、とりあえず自分もチケットを見せてみた。このチケットを見せる行為はなんなのかは自分でもわかっていない。自分がよくわかっていないので、係員の言っていることもよくわからない。とりあえず、この、今自分が持っている荷物(バッグ)を機内に持ち込めるか聞いてみる。この大きさの荷物なら飛行機内に持ち込めると言う。そして、少し大きくて邪魔くさいチケットを折り曲げてもいいか聞くと、機械に通すので駄目だと言われる。それだけわかって、その場を後にする。

 空港内に食事をするところがある。色々見てまわるが、特に食べたいものもないのでマクドナルドへ。いつも「てりやき」しか頼まないので、それをメニューから探していたけど、見当たらない。店員に聞いてみると、今は朝のメニューなのでないと言う。そうか、これが噂の「朝マック」か。「朝マック」なんていらないから、てりやきを食わせてくれ。と、そんなことを言えるはずもなく、適当に「朝マック」とやらの中から一つを注文をしてみた。しかし、残念ながら自分の口には合わなかった。
 腹はふくれたので搭乗手続きへ。搭乗ゲートのほうまで向かう。到着出口と出発口とが分かれている。北出発口のゲートがあり、そばにはチケットを通す、駅の自動改札機に似た機械がある。チケットを通し、指示されるままに身体から携帯やら財布などをとって身体チェック。荷物も別の機械でチェック。フィルムがあるかないかなどはなにも訊かれなかった。機械のところには、感度1600以下のフィルムは通しても大丈夫だと、あまり目立たずに書かれていた。一般的なフィルムなら通してもまったく問題ない。
 この先は、飛行機と、飛行機を待つ場所。63番搭乗口まで歩く。

 大きなガラスの壁を隔てた向こう、空の下、「稚内」行きの飛行機が待ち構えている。意外とすんなりここまで来られた。学校の人が言っていたように簡単だった。その人は、電車に乗るよりも簡単だと、冗談か本気かはわからないが言っていたが、それも少し解る気がした。出発の時間まで椅子に坐って待つ。同じように、その便を待っている人は少ないように見える。やはり、一日に一本しかないくらいだから需要はそうないのだろう。
 稚内行きの搭乗案内のアナウンスが入る。

 飛行機の中の、指定された席に移動する。荷物は頭の上にある荷物入れへ。フライトアテンダントがアナウンスを始める。これから滑走路を走り、離陸する。自分の席は通路側。窓側までの二つの席は空席。窓側へ移動をして外の景色を眺めたいが、肝心の窓がない。後ろと前の席にある窓が少し見える。
 滑走路を何分かゆっくりと走った後、強いGがかかり、外の景色は斜めを向く。ゆっくりと浮上しているのがわかる。自分の真横に窓はないが、その前後の窓が少し見えるので、もどかしいながらも見ている。さらには我慢できず、窓のない窓側へ移動し、前の席にある窓から外を眺める。本当は離陸時には席を離れてはいけないのだか、そのことを後で知った。

 予定では約2時間で稚内に着く。「ただいま新潟上空です」と言われても雲しか見えない。日記をつけたり、機内備え付けのものでラジオみたいなのを聞いたりする。途中、無料でジュースがもらえるので、パイナップルジュースをもらって飲む。おかわりも頼む。旅に出る前、仕事場の人に、飛行機に乗ったら、毛布もらって寝るのがいい、と言われていた。毛布はいらないやと思っていたけど、寒くなったのでもらう。

 高度が下がりはじめた。北海道上空。外の景色もだんだんと木の緑や海の青がはっきりと見えてくる。ここに来て耳鳴りが始まる。尋常じゃないほどの痛みが走る。小学生のときに飛行機に乗ったときは、これほど痛いものだった覚えはない。そういえば友達に、飛行機に乗るときには飴をもらう、と聞いていた。
〈飴舐めて、唾をのみこめば、耳鳴りがやわらぐんやったっけ。でも、飴ちゃんはもらえへんかったなぁ〉
 とりあえず、唾だけ飲み込む。それほど効果なし……。
 痛い! 痛い!
 たとえるなら、耳の毛細血管が破れて血が出ているような感じ。どうしようもなく、ただ痛さを我慢しつつ、空から見ると意外と小さく見える北海道を眺めながら、私を乗せた飛行機は稚内空港へと着陸する。

スタート地点

 飛行機を出ると、やはり空気が違う。匂いが違う。大阪のよどんだ空気ではない。
 関西空港に比べると小さな稚内空港。すぐに出口に辿りつき、外を見渡す。木々が多い。敷地内に車がちらほら見える。
 さて、ここから国道へ出なければならない。天気は曇り。気温は約21度。時刻はもうすぐ13時になる。少し肌寒い。長袖のシャツを上に着てきて正解だった。友達には、絶対長袖などいらないといわれていたが。
 方位磁石を取り出し、方角を確認し、それっぽい方向へ歩き出す。この道は他に歩いている人などいない。

 30分ほど北に歩いていくと海が見えるその国道に出る。この国道を右に行くと宗谷岬。ほどよく車が走っている。店もあるがまばら。まず最北端の宗谷岬へ行くためにヒッチハイクをしなければいけない。

 北方領土が、もし日本の領地なら、最北端の地は今の宗谷岬ではなかっただろう。宗谷岬までは陸続きで、車で30分くらいのところにあるらしいことは調べてわかっていた。歩くとなると相当な距離になり、かなりの時間を要するので、恥ずかしくてもヒッチハイクはしなければいけないと思っていた。
 ヒッチハイクは2年ぶり。2年前、青森から九州の福岡までの往復を、ヒッチハイクのみで行った。恥ずかしがり屋で、人見知りする、オタクっぽい自分からするとその旅はものすごいことだった。
 前回の旅の目標の一つに「ヒッチハイクのみでの移動」があった。前回はそれを達成できたため、今回はヒッチハイクにこだわらない。もし、北海道から青森へヒッチハイクで行くのであれば、フェリーにお金を払わずに乗る必要がある。そのためには、トラックをつかまえなければいけないだろう。長距離トラックなら、たしか助手席一人分の料金はタダになった気がするのでお金は出さなくてもいいが、そんな長距離トラックもヒッチハイクではなかなか停まってくれない。それが前回の旅でわかった。東京観光もしたいということもあり、さすがに人の多い東京をヒッチハイクで移動しようとは思えない。
 前回、ヒッチハイクで本州一週したのだから、いまさら日本の最北端から大阪までヒッチハイクで行ったところで、前回以上のことができるわけでもない。でも、主な交通手段としてヒッチハイクでと思っていた。バスや電車で移動するよりもお金がかからないのはもちろんだけど、それよりも、ヒッチハイクでしか味わえないものがある。それをまた味わいたくて今回もまた、こういう旅に出たのだと思う。本当は前回で、もう、こういう旅もできないと思っていた。旅は前回で終わりだと思っていた。しかし、運良く、バイトを長期間休めたのでそれもできた。
 期間は、8月15日まで。15日の夜にバイトを入れている。それまでに大阪に戻る。

 旅の目的はというと、特にない。でもそういうものもいいと思う。初めは、出発するまでになにか目的を見つけないと、と思っていた。しかし、いつも行くネットのお絵かき掲示板で、目的のない旅もいい、という風なことが書かれていたのでそれもいいかなと思った。
 旅をする目的はないけど、旅の途中でしたいことはある。行ったことのない東京に行ってみたい。そして、何回か見たことはあるが久しく見ていない、青森のねぶた祭を見たい。そして、ネットで知り合って、会ってみたいと思った人に会いたい。今の時点で数人と会う予定でいる。
 初めに会うのは、北海道にいる、ハンドルネーム、モンゴルさん。女の人。札幌で会う予定でいる。宗谷岬に行ったあとは、札幌に行ってモンゴルさんに会い、函館のフェリーで青森へ上陸する予定。

 国道の北側は茂みがあり、その向こうに海が見える。近くのバス停の時刻表は、1日に4度しか停まらないことを示している。バッグからスケッチブックとペンを取り出す。スケッチブックにペンで「宗谷岬」と書く。「宗」の字が少しでかくなってしまい、失笑する。少し意気込みすぎた。宗谷岬は、日本の最北端に位置する。そこを、この旅のスタート地点と決めていた。

 ドキドキする。ドキドキする。
 2年前、恥ずかしがり屋の自分が、よくヒッチハイクなどできたものだと思う。そのとき、初めてスケッチブックを掲げたときは、恥ずかしさのあまり数分で切り上げてしまった。今回は、もうそういうことはない。でもやっぱり恥ずかしい……。
 場所や交通量や時間帯は、ヒッチハイクをするにはいい条件がそろっている。人通りも少なく、見られて目線をどこにやればいいのか、ということもない。スケッチブックの下の部分を左手で持ち、腰の横で道路側に向かって掲げる。頭の上で掲げるのは恥ずかしいのでこのスタイル。することのない右手はバッグの紐をつかんでいることが多い。

 通り過ぎる車を待つ。旭川ナンバーが多い。
 待つこと約20分。一台の車が、速度を落として私の横で停まった。後ろの席にいたおばちゃんが顔を出す。乗せてくれるらしい。よかった。記念すべき一台目である。礼を言って中へ。助手席に乗る。運転しているおばちゃんと二人でこれから宗谷岬へ遊びに行くところで、その途中で私を見かけ、わざわざ戻ってきてくれた。

 空は終始よどんでいて、雨が降りそうだった。右手に見える町並みは、それほど高い建物はないが、建物自体はそれほど少なくはない。左手に見える海。その海を見ておばちゃんがもう一人のおばちゃんに言う。
「あ、波、なぎってるね」
「ほんとだ」
〈なぎる? なぎるってなんや?〉
 聞いてみると、波が穏やかな状態のことをいうと話してくれる。てっきり、その逆かと思った。荒れているようにも見えたけど、このくらい大したことないのだろうか。

 前方を走ってきたトラックが、ライトをチカチカさせた。
「教えてくれた」
 とおばちゃんたちは言い合う。なんのことかさっぱりわからない。よく、道をゆずって「ありがとう」の意で用いるのは知っている。わからないので聞いてみた。すると、この先に警察がいるということを伝えていたのだと言う。つまり、速度を守って走行しないと捕まるぞということ。なるほど、そういうことか。信号の少ない北海道らしいと思った。北海道に限ったことなのか、大阪でも他の場所でもあるのか、車を運転していない自分にはわからない。

 約30分で最北端の地、宗谷岬に着く。ただ、本当の最北端、最北端の地の碑があるところにはまだ行かず、その前にいい景色のところを案内してくれるという。
 通行止めになっていることもあるという、その宗谷岬の「裏」の場所を行く。小山の間をうねうね走る。これがいい景色なのだろうか、この先なのだろうか。でも、この小山の景色も悪くない。おばちゃんたちは、その小山の道を通り抜けたところでここだと言う。
 そこには広大な草原が広がっていた。それは大きな牧場で、牛が放牧されている。
「天気がよかったらもっと景色きれいだったんだけどね」
 と言われる。でも、それでもきれいだった。曇りは曇りでよさが出ている気がする。そして、車の中で流れる演歌がまたよく合っていた。

「ホリエモン……」
 とおばちゃんが言う。
「ホリエモンです?」
「そう、ホリエモンが宗谷牛をインターネットで売るって言ってるの」
 そうなんや。

 風車が見える。眼下には海を望む。ここが最北端なのかと思ったら、下っていく道があり、そして、サイトを廻っていて写真を見たことのある、最北端の地の三角形のモニュメントが目に入る。

 ここから先は、別に行動するのかなと思っていたが、行動をともにしてくれる。車を一緒に降りて、写真を撮ってもらうべくそのモニュメントの場所まで行く。記念写真を撮っている人が数人いる。その近くには間宮林蔵の像がある。初め、間宮林蔵ってなんか聞いたことあると思ったけど、ついこの間、日本史で出てきた人物だった。
 順番を待って、モニュメントの前で記念撮影。撮ってもらう予定のおばちゃんは、目が悪いとかで、その場で記念撮影していた男の人に撮ってもらった。
 近くの公衆トイレは自動ドアになっていた。その最北端のトイレで用を足す。
 道沿いには「食堂最北端」と銘打っている店がある。その隣の店は「元祖日本最北端の店」と書かれてある。

 その後、車に乗り込んで、次は西にある稚内駅に行こうと思っていることを言うと、そこまで乗せていってもらえることに。
 雨が降り出す。車に乗ってからでよかった。運がよかったといえばよかったが、天気がよければ、最北端から海の向こうに島が見えるという。やっぱり運は悪かったのだろうか。でもやっぱり、こうして乗せてもらえるということは嬉しい。
「なかなか乗せてくれる車いないよねー」
 と言われる。
「いるじゃないですか、ここに」
 と答える私。

 車中で二人は私に、自分達が何歳に見えるか聞いてきた。
 少し悩んでこう答えた。
「60代くらい」
「そう見えるのかー」
〈えぇぇ、あああ、間違ってた?〉
 少しあせった。
「50代ですか?」
 と聞くと、二人とも70代後半らしいことがわかった。全然見えなかった。

 話をしながら約1時間後、JR稚内駅へと到着し礼を言って降りる。
 親孝行しなさいね、と言われたり、道路の上に下矢印の表示があるのは雪で地面が見えなくなるからそのためにあると教えてもらったりした。
 稚内駅は思っていたよりもずっと小さな駅だった。

謎の青年

 駅構内の電車の待合室に入る。立ち食いのそばとうどんを出している店があった。おばちゃんの言っていたとおりだった。待合室の椅子で休憩したあと、少しお腹も空いてきたし、その店でうどんを食べることにした。駅の近くに、ダイエーやイトーヨーカドーなどの大型スーパーでもあれば、ゆっくり休憩したり、なにか買って食べたりできるのだろうが、ここら辺にはそういったものはなさそうだった。
 温かいうどんを食べ終わり、店のおばちゃんに「ありがとう」と言って、すぐまた近くの椅子で休憩をする。この旅の道中でコンビニなんかで会計をしてもらったときなんかに、「ありがとう」とか「どうも」とか意識して言おうと決めていた。普段そういうことをあまり言わないので。飛行機の中でフライトアテンダントにも言えた。やっぱりこういう店にしても、働いている人がいないとこちらも買うことができない。「買えて当たり前」とか「客やねんから」とか、そういう考えをしたくない。
 椅子で少し寝ることにする。
 駅は数人の人が電車を待っている。今は夏だけど、長袖やトレーナーの人が普通にいる。そっか、それが北海道。それが稚内か。聞こえる話し声は、少しなまっている。ロシア人っぽい人もいる。ロシアの人だと思ったのは、さっき乗せてくれたおばちゃんたちが、稚内はロシア人をよく見ると言っていたから。

 2時間ほど寝て、起き、トイレで服を着こんで外に出る。18時。もうすぐ夜。雨が降っている。
 雨の当たらないところで駅の外を見ていると、一人の青年に声をかけられた。
「あの、このあたりに野宿できるようなところ知りませんか?」
 えっ? もしかして、私と同じようなことをしているお仲間さん?
「実は自分も、そういうところ探してるんですよ」
 と答える。そして、この人のことを色々聞いていくと、自分とは事情が違っていることがわかった。バッグを盗まれ、それに入れていた財布も盗まれ、お金も電車の切符もなく、埼玉に帰ろうとしても帰れない。ヒッチハイクで、ここより南の旭川から稚内まで来た。親は自営業で家におらず連絡がつかない。友達にお金を貸してもらおうにも、銀行のカードがないし、あってもものすごく地方の銀行らしく、振り込んでもらっても、受け取れない。稚内に来たのは、飛び込みでバイトができそうなところがあるかもしれないと聞いたから。手も足も出せないくらいに最悪な状況である。
 旅には、そういうことがつきもので、自分もまた例外ではない。お金を盗られるかもしれない。車に轢かれて死んでしまうかもしれない。乗せてもらった人に暴行を受けるかもしれない。そんなことは充分にありえる話だし、実際にあったという話も聞く。
 早く帰らないと、仕事をクビになるし、でも、私は埼玉に帰るだけのお金を貸すこともあげることもできない。人の優しさをもらって旅をする自分が、人の助けになれないなんて、なんて人間なのだろうか。でも、思う。手助けをできたとしても、お金を渡すのは違う気がする。なにか、買ってあげたり、食べさせてあげられたりしても、お金を渡すのは違う気がするし、お金を貸すという行為自体好かない。それに、もし、「この人の言っていることが嘘」だったら嫌だからである。嘘でもなんでも、お金を渡す以外の助けはしてあげたいと思う。
 とりあえず今日の寝床のことを一緒になって考える。
 稚内駅の外にある、周辺の地図を見ながら、寝られそうなところがないか探すが、ない。
「今日寝る場所なかったらどうするんです?」
「ここで野宿でもします」
 いやいやいや。自分はジャンパーを着ているくらいに寒いのに、しかもこの雨。雨に濡れなくても、それだけ冷え込んでいる。「ここ」といっても、駅の中では寝られないことは、駅員さんに聞いて知っているらしい。埒があかない。とりあえず、今後の天気を駅員さんに聞いてみた。駅員さんはなにやら奥に行ったきりなかなか戻ってこない。どうしたのだろうと思っていると、親切にもウェブの天気予報を印刷してくれていた。雨は続きそうだった。南稚内駅への行き方も訊いてみた。私はそこに行って、そこから海沿いへ出る道へと進んで北海道を下っていこうと思う。南稚内へは歩いてそうかからない。それは、普段の生活で車を使う人からしたら遠く感じるかもしれない距離ではあるが。

 男の人に、天気のことを伝える。南稚内までの行きかたも一応伝える。でも、彼はここでどうにかするらしい。
「なにも役に立てなくてすいません」
 そんなことを言いつつ、いつまでもここにいても仕方ないので、私は傘をさし、歩き出す。すると、後ろから、彼が声をかけてきた。
「あのー、もしよかったらでいいんで、2、3千円貸してほしいんですけど」
 きた。お金きた。もしかして、私がお金を貸してくれることを期待していたのか。困った挙句、こう返す。
「お金を貸すのは好きじゃないから、千円だけやったらあげてもいいですよ」
 お金を貸すと、返してもらわないといけない。どんなに仲のいい人にでもお金だけは貸さない。もしなかなか返してくれなかったとき、いつ返してくれるのだろうと思うと自分がストレスを感じてしまうだけだし、お金の貸し借りはトラブルの原因になりかねない。
 だから、貸さない。だから、あげる。千円だけなら、もし、これが嘘だとしても後悔はしない。

 電話番号を聞いてもいいかと聞かれ、教え合う。
 一応、携帯電話は持っているみたいだけど、プリペイド式のケータイで、残金がないためかけられないと言う。埼玉のどこの市に住んでいるかなど聞いて、旅の途中で会いにいけたら会いにいくことを言う。埼玉に着くころには、もう彼も戻ってきているかもしれないし。財布にあった千円札を渡す。自分から好んでないものを渡すのは、なにか妙な気持ちになる。

 雨の中、再び歩き出す。途中でいい方法を思いついた。彼の友達からお金を私の口座に振り込んでもらい、それを彼が見ているところで私が銀行からおろして彼に渡す。
 そのことを伝えるために駅まで戻ろうか考えた。歩いて数分の距離だったが、この雨の中だし、電話で話してみることにした。電話を掛ける。出た。そのことを話す。テレホンカードは持っているようなので、それで友達に電話をしてほしいと言う。その人もそれで了解してくれる――しかし、後にまた確認したときには、電話してみたけど無理だったと返ってくる。

寝床

 自分の靴は、雪国用の靴。以前、秋田で生活を始めるときに買ったもの。通気性は悪いが、その分、外からの水をある程度防いでくれる。だから雨のときは重宝するが、それでも雨足の強い今、徐々に靴の中がびしょびしょになってくる。
 稚内駅周辺で宿を探そうとも思ったが、探すのが面倒だし、南稚内駅で野宿できるかもしれないし、などと思って結局探さずにこうして歩いている。これなら、一台目のおばちゃんに、稚内駅まで乗せてもらうのではなく、南稚内駅で降ろしてもらえばよかった。南稚内は、稚内に行く途中にある。

 約30分後、南稚内駅に着く。駅には誰もいない。駅員もいない。でも、明かりはある。夜中に閉まるかどうかはわからないが、多分、閉まらなさそう。駅員がいないのでそう思った。椅子が並べられてあり、平らではないが、横になって眠れる。びしょびしょになった靴を脱いで、ぐしゅぐしゅになった靴下を脱ぐ。バッグを枕代わりにして横になって眠る。眠りにつくまでの間に、駅の中を数人が出入りしていた。

 いなかったはずの駅員に起こされる。出ていかざるを得なくなった。時は22時過ぎ。
 びしょびしょになった靴下は、持ってきていたゴミ袋に入れて鞄にしまい、新しい靴下を履き、あまり乾いていない靴を履く。靴下は二足しか持ってくる予定ではなかったけど、三足持ってきていてよかったと思う。地図の示す限りでは、南稚内駅から西に伸びている道を進めば海沿いの道に出られる。

 モンゴルさんに会うため札幌に行くには、北海道の内陸を通る道と、西の海沿いを通る道とがある。
 このまま、ここら辺でヒッチハイクをして内陸を進んでいくこともできる。
 わざわざ歩いて海沿いの道に出ることもないが、海沿いの道のほうが信号がない分早く進めると、北海道に行ったことのある友達が言っていた。だから海沿いから進もうと思った。海沿いの道に出るまではヒッチハイクはできないと思った。どしゃぶりの雨ということもあるが、普通の民家が建ち並ぶような道だし、人通りがある。ヒッチハイクという普通の人がしないようなことをしておきながら、恥ずかしがり屋の自分は、そういう人が行き交うところではあまりしたくない。それに、こういう中途半端な場所では次の目的地をしぼりにくい。それなら、海沿いまで出ればあとは下っていく車だけにしぼれる。

 駅の改札から出てきた人は外で待っていた車に流れる。駅の近くの道を歩く。
 一台の車が私の横を走り去るとき、水溜りを走り、水がこっちまで飛んできた。ズボンの膝から下がずぶ濡れになってしまった。かなり腹が立つ。ああいう人間は車に乗る資格がないと思う。
 しかし、そんな腹立たしいやるせない気持ちが、やがて虚しい気持ちになってきた。
 泣きっ面に蜂、とでもいおうか。なぜ、私がこんな目に遭わなければならないのだろうか。

 今は確かに夏。大阪なら今の時間帯は、ちょっと暑いかなという感じだろう。夏の間、日本で一番暑いのは大阪だと思う。夏の間、日本で一番寒いのは稚内だと思う。今の私は、持ってきた衣類でできる限りの防寒をしているのに、少し寒く感じ、はてには足は濡れて冷たい。セーターの一つでも持ってくればよかったかもしれない。途中ですぐにいらなくなるだろうから、捨ててもいいようなそんなものを。本当は持ってくるか悩んだけど、バッグが今の状態でパンパンなので持ってこなかった。
 車と水溜りに気をつけながら歩く。

 西に向かっているはずであった。しかし、道が曲がりだし、この先の道が、海岸沿いまで伸びているのか不安になる。持ってきていたはずの方位磁石はない。多分、乗せてもらった一台目の車の中で服を着込む際に落としたと思われる。
 一軒のコンビニが見えた。セイコーマート。オレンジがイメージカラーのコンビニ。
 稚内に来てから初めて見たのも、この名前のコンビニで、それからこのコンビニ以外見ていないような気がする。客はちらほらいる。中に入り、なにか食べるものを探す。おにぎりを持ってレジへ。
 レジのおばちゃんに聞いてみた。
「この道をまっすぐ行ったら、海沿いの道に出ますか?」
 すると出るという返事がくる。どうやらこの道で合っているらしい。あとは道なりに進めば出られるだろう。
「歩いていくとどのくらいかかります?」
「歩いてですか!? 歩いてだと、1時間くらいだと思います」
 そんなに遠くはない。
 なにも問題はない私をそのおばちゃんは心配してくれた。私は大丈夫なことを返す。

 民家の並みを幾分か歩く。それが終わると、その先はなんの光もない道だった。
 嫌な予感がする。街灯も何もないということは、人が通ることはあまり考えられていない。車だけが通る道。一昨年の悪夢を思い出す。同じくヒッチハイクの旅の途中、山形の市街を抜けるときだった。そのときも今日のように雨が降る夜だった。スケッチブックを掲げるも、まったく停まってくれず、しかたなしに先を歩いていくが、次第に休憩するところすらなく、人が歩くのもやっとの道を夜が明けるまでずっと歩いていた。この先はどんな感じだろうか。なにもないこんな道がずっと続くのだろうか。悪夢が繰り返されるのだろうか。
 もうすぐ海岸沿いに出るはず。あのコンビニの店員さんの言っていたとおりならもうすぐ出るはず。海岸沿いはきっとこんな暗いところではないだろう。
 少し迷い、その、暗がりの道を歩き出す。両側は小山で囲まれている。足元もあまり見えない暗さ。これだけ暗いと、少し怖いという感情が出てくる。かろうじて見えているのは、たまに通る車のライトと、空。雨雲がかかろうと、空はそれでも周りの木々よりは明るいのだ。

 コンビニを出てからは、歩きながらモンゴルさんとケータイでメールのやりとりをしていた。モンゴルさんからメールをもらったからである。「夜分遅くにすいません」ときた。今の自分には、夜分遅くもくそもなかった。いつ寝ているかどうかもわからないのだから。
 さっき、車が轢いた水で濡れてしまったことを言ったら、「北海道民としてスイマセン」と返ってきてしまった。そんなことを言わせるためじゃなかったのに、申し訳なくなってきてしまった。モンゴルさんと落ち合う札幌に、いつ着くかは、この旅ではわからない。だいたいの予想は立てるが、遅くなるかもしれないし、予想外に早く着くかもしれない。31日まで急にバイトが入ってしまったことを聞く。早かったら明後日の31日に着くかもしれないが、多分1日ごろに着くと思う。31日に着いても、一日くらい時間はつぶせる。
 ただ歩いているだけでも、こうしてメールをしていると幾分かそんな道も楽しくなる。

 やがて、街灯が見え安心する。視界のずっと先はよく見えないが、多分あれは海だろうと思う。道沿いに駐車スペースと公衆トイレがあった。そこにあった案内だと、目の前が海らしい。ここをもう少し行くと海岸沿いの道か。
 道も合っていて一安心し、そこで少し休憩する。

1日目の終わりにいた場所

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?